10月1日放送

 時代の空気や風向きに敏感になっていたいと思っている。ここのところ吹いている風はなんとも荒々しく、猛々しい。罵詈雑言や圧力、目にもの見せてやろうという強い風が頭上を飛び交い渦を巻いている。いつの間に、こんな“戦いモード”の世の中になってしまったのだろう。気持ちがザワザワしたままだ。男性性と女性性という言葉があるが、ある時期から世界に覇を競う強さがもてはやされ、損得や欲が攻撃と繋がりがちな“男性性”優位の世界に変わってしまっている。言うまでもないが、男性だから“男性性”、女性だから“女性性”という生物的な二元論ではない。“らしさ”という役割の押し付けでも勿論ない。その人の中にある概念の割合というようなもの。例えば、すべての存在は皆深いところで繋がっていて、その繋がりへの気づきを深め、生み出す命を育み、平和のための叡知を持続させていくのが“女性性”のひとつの特性と言えると思うが、その命への感受性とも言うべき概念をあまねく拡げるために一体、今、個人個人は何が出来るのだろう・・・。 

伊達寛記さん 問いが大き過ぎてまったく答えが出ない中、「ほっかいどう元気びと」のおひとりおひとりにお話を伺っていると、そんな女性性の視点を深めながら遥か遠くの未来を見据えて自己の仕事を見いだしている人が少なくないということに心からほっとする。
 農業という取り組みも女性性そのものだ。来る日も来る日も植物という命に向き合い、手を掛け、実りにただただ感謝する。人と争わず、雨や嵐といった荒ぶる自然をも受け入れていくことで天地の理を知り、精神性を深めていく。
 今回のゲストは、その農業を、近代が目指してきた“生産性”や“効率”“経済”重視という方向ではなく、大地が持つ“命の感受性”と繋がる方向でチャレンジを続けている人・・・と言えるかもしれない。お話を伺ったのは、札幌市南区豊滝で「ファーム伊達家」を営む伊達寛記さん 48歳。独自に進めるその農法と、販売方法を通して叶えたい思いを訊いた。
 伊達さんが夫婦で取り組む農業は、自然栽培、自家採種、そして、「CSA(Community Supported Agriculture)」=「地域で支え合う農業」という米国発祥の会員制の直売方式。農薬や肥料を使わない栽培や育てた野菜から種をとる自家採種は様々な手間がかかる上に収量も劣り、形も不揃いになる。年によっては出来不出来というリスクもあるのだそうだが、会員である消費者も地域の農業を支える一員であるという意識で関わっていく仕組みが特徴なのだそう。勿論、野菜の味の濃さは断然違いますと伊達さん。手塩にかけた旬の野菜を楽しみにしてくれる会員さん達の「美味しかった」という感想が何よりの原動力ですと語る。
 そもそも、国家公務員だった伊達さんが新規就農に思いを募らせていったきっかけは、旭川に転勤になり周辺の農村の魅力に触れたこと。本で読んだ倉本聰さんの「人間が生きていく上で農業がベースになる」という考え方に共鳴し、折よく旭川市民農業大学で学ぶ機会を得、さらには「CSA」の考え方に出会い、その方法を自分独自のものに工夫した上で札幌の豊滝に畑を拵えたのだそう。

伊達寛記さん 伊達さんが手間を厭わず自然に則って野菜を作り、“顔のみえる農業”に取り組んでいるのは、「農業」イコール「生き方」であり、その実践こそが何かをより良く変えると信じているということに他ならない。人間が最低限の手を掛けるだけで植物の中の力は自ら伸びようとする。そのやり方を貫くことで太陽や土や水の恩恵に改めて気づく。その自然力によって人間も生かされているということを野菜という恵みを通して発信しているということがお話の中から伝わってくる。「食べることも大事な農作業」というキーワードが印象に残ったが、“食べる”という行為で消費者が“農”に意志を持って関わることも出来るのだと改めて感じさせていただいた。
 収録後に今年の作柄を伺うと、ちょうど黒豆が枝豆で美味しく食べられる時期に南瓜などとともに鹿に食べられてしまい、初めてなのでかなり落ち込んだという話をされていた。最初は鹿を恨んだそうだが、柵などの対処方法を考えればいいのだと思い直したのだという。「自然との調和を考えるいいきっかけと思うことにしました。13年経って、農業は自然とどう繋がり、どう自然に受け入れて貰えるかを考えることがさらに増えてきました」と。

 8月6日の「ほっかいどう元気びと」で札幌の「俊カフェ」店主・古川奈央さんにお話を伺った際に、詩人の谷川俊太郎さんの時空を超えた“宇宙観“と日常との隣り合わせの感覚が何とも好きだとこの欄に書いた。最近再び光が当たっている中国の思想家・老子がやはりそういう生き方を説いているが、老荘思想に影響を受けた詩人の加島祥造さんは著書の中でこう表現している。
 「老子はとてつもなく大きな平衡家(バランサー)だということだ。彼は宇宙エナジーの無限の働きと私たちの朝飯の一杯との間にあるバランスを見た人だ」
 そして、今の時代にこそその哲学は求められるとし、老子の価値をこう続けている。
 「すでに2,500年前、強者崇拝に走る世の中に、“弱くて柔らかなもの”の力を問うた人だ」
 自然栽培・自家採種で会員家族に野菜を届ける伊達さんの日々を想像し、きっとその太陽と土と水のエネルギーで命を育むという日々は、種の中の無限の宇宙を思いながら、同時にこつこつと足元の草取りをするという“バランス”で成り立っているのだろうなと感じた。
  そして、農業のみならず、ひとりひとりがそれぞれの立ち位置で“平衡家(バランサー)”であることが必要なのだと思う。ひとりひとり・・・勿論、世界に覇を競おうとしている為政者達こそ、“とてつもなく大きなバランサー”であってほしいと切に願う。

 「タオ(道)の本当の知恵とは、ひとびとの心を養い育てる。タオの人は、だから、争わない」(『タオ -ヒア・ナウ-』 加島祥造訳 PARCO出版より)

 その概念は、2,500年経とうが5,000年が経とうが変わらずに普遍のはずだから。

(インタビュー後記 村井裕子)

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