7月2日放送

山田勇気さん 7月最初の「ほっかいどう元気びと」は、「北海道新篠津高等養護学校」教諭の山田勇気さん 39歳。赴任後まもなく演劇部を立ち上げ、顧問として創部2年目にして高文連の道大会で優秀賞に導いたというニュースに触れ、是非その思いを聞かせていただこうとお呼びした。
 “ゆうき”さんというお名前、“勇気”という漢字からはつい男性をイメージしてしまうが、スタジオを訪れた“勇気せんせい”は小柄でチャーミングな女性。静かな中に凜とした意志を覗かせる。新篠津高等養護学校に着任したのは2014年ということだが、2002年に教職に就いて以来、ハンディキャップのある子供達の教育に一貫して携わってきたという。知的障がいのある生徒達が職業教育などを学ぶ「養護学校」に演劇部を立ち上げようと思ったのは、前任校での試みで手応えを感じ、もっと長いスパンで取り組んでみたかったからとのこと。高校時代に演劇部だったという山田さんは、発声練習や基礎体力を付けるトレーニングなどのメニューを1から組み立て、脚本もオリジナルに挑戦。その結果が、2016年の高文連全道高等学校演劇発表大会に特別支援学校の演劇部として初めての出場ながら優秀賞を受賞。この春には、岐阜県で開かれた春季全国高校演劇研究大会の出場校にも推薦され、全国の舞台にも立ったという。
 部員の皆さんの変化は? ひとつの舞台を作り上げる難しさや面白さは? 伝えたいテーマは? 演劇を通じて生徒達に何を体験して貰いたいのか?・・・訊きたいことは山ほどあるが、限られた放送時間内で何を最も優先していったらいいか・・・物理的な容量も頭の隅で考えつつも、目の前の人が語ってくれる大事な言葉を聞き漏らさないように耳を傾けていく。
 山田さんは、知的障がいの子供達がお芝居に取り組むということに対する難しさをよく訊かれることがあるが、彼らは台詞もちゃんと覚えてくるし、他では見せていない違った面も出してくれることも多く、逆に面白い発見や驚きもあると言う。舞台に立つことによって引き出されてくる何か。その“演劇が引き出す底知れぬ力”が面白い、と。とはいえ、生徒達が取り組むべきものは他者の思いを想像して他人を演じるという一般的なお芝居というよりも、自分達の体験や悩み、苦しみなどを自己表現しながら“葛藤を乗り越えて前に進む”というテーマこそ相応しいと考え、「障がいの受容」を軸に彼ら彼女らだからこそ伝えられる思いを聞き取りながら、“あて書き”でオリジナルを作っていったのだそう。
 脚本など初めて書いたのでまだまだですと謙遜していたが、伝えたいテーマや部員達の思い、観てくれる人がどう受けとめてくれるか・・・などなど、悩みながら葛藤しながら作り上げたのだろうということがお話の中から伝わってくる。演劇部にとっては、全国での初の舞台もあってかなりハードな数ヶ月間が続いたそうで、「これを経験したのだからもう何があっても大丈夫」という心構えが生徒達の中に出来たのも今回の体験の収穫だったと笑っていたが、それはそのまま率いた山田さんにも言えるのだろうなと感じさせていただいた。

山田勇気さん その、皆の力が発揮出来たという演目が「どんぐりの学校」という、宮沢賢治の「どんぐりと山猫」をモチーフにしたというオリジナル。「風の又三郎」や「雨ニモマケズ」の要素も絡めて、自分と向き合いながら障がいを受け入れ、乗り越えようとする成長の姿を描いたものだという。山田さん自身、高校の演劇部で宮沢賢治作品を演じて以来、本を読み、賢治の考え方に感銘を受けてきたそうで、賢治の世界観や想像力を借りたからこそ伝えたいことを織り込めたと話す。賢治の世界に深く共感している人がここにもいたのだなと個人的にもとても嬉しく、収録後には、“今の時代に賢治のメッセージをどう伝えていくか”などについてさらに思いを聞かせていただいた。
 山田さんは、「今こそ、賢治ですよね」と、この時代の空気にこそ宮沢賢治の世界観は必要だと呟く。「今の世の中が、助け合いながら生きていく考え方にもっとなれたら」と。ハンディキャップを持つ子供達と寄り添う中で痛切に感じるのは、理想と現実のギャップ。理想としては「みんな違って、みんないい」という平等を掲げたいが、現実社会は厳しい。効率や発展を求める風潮の中で、「役に立たないものを切り捨てる現実」は立ちはだかり、弱いものに対する風当たりは柔らかくなるどころか、益々強くなる。発展を果てしなく続けていく世の中に「ほんとうにそれでいいのか?違うのではないか?」と思いながら、その効率重視の現実の社会に生徒達を送り出さなければならないというジレンマ。ドロップアウトしてしまう人を何とかしたいのに何も出来ない自分への葛藤。演劇部の顧問としては今まさに次の脚本を練り上げている真っ最中なのだそうだが、向かっていきたい理想と、前に進むこと自体が困難な現実をどう織り交ぜたらいいのか・・・ほんとうに難しいですと、とても率直に思いを語ってくれた。
 「そんな今だからこそ・・・宮沢賢治の『世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない』なんですよね」
 山田勇気先生のそんな吐露は、現在の“強くなりたがっている国”に振り落とされそうになりながらも一生懸命に何かに向かっている人達を代弁する深い言葉だと感じた。

 そんな今だからこそ・・・宮沢賢治。ほんとうにそうだと心から思う。このインタビュー後記でも何度か宮沢賢治の精神性について取り上げているが、山田さんとお話をしながら、6月11日にもこの欄で書いた「虔十公園林」のことを再び考えていた。皆からばかにされていた虔十が一心に植えた杉の木の林が、時代を越えて未来の人達の心を潤す森になっていったというお話。ここで宮沢賢治が伝えたいのは、
 「ああ、まったくたれがかしこく、たれがかしこくないかはわからない。ただどこまでも十力の作用はふしぎです」ということ。
 “十力”とは「ほとけのそなえる十種の力。神通力」という意味だというが、人がうわべで簡単に判断する“賢い、賢くない”では測れないとてつもない可能性がひとりひとりには備わっている。何らかのきっかけでそんな“まことの力”は大きくはたらく・・・そんな、宇宙の理までをも感じさせる賢治らしい哲学が込められている。

 ここのところ、“エライ”と世間では言われてきた政治家達の言動が酷い。空疎な言動や嘘の言葉のみならず、今度は人の心を傷つける“言葉の暴力”だという。言っていることとやっていることがまるで違う。違いすぎる。呆れるのを超えて悲しくなる。学歴や職歴の華々しさと人間としての質とは関係がないのだなと改めて思う。反比例ではない。人として気づかなければならない大切なことに気づくか気づかないかだ。地位の階段を昇っていく中でそこをいい加減にすると“慢心”という大きな落とし穴が待っている。

 「ああ、まったく、たれがかしこく、たれがかしこくないかはわからない」

 養護学校で生徒達に、「とにかく、楽しかった!と思える青春の思い出を作ってほしい。それがやがてその人の力になるから」と、葛藤しながらも演劇の楽しさを伝えている山田さん。きっと、答えの出ない悩みと向き合いながら奮闘し続けているからこそ、“十力”が作用する瞬間に立ち会えるしあわせもあるのだろうなと思う。

(インタビュー後記 村井裕子)

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