3月19日放送

 春は、新社会人達が誕生するスタートの季節。「どの会社に入るか」「どんな仕事に就けるか」といった目の前のゴールを追い続けてやっと今があると思うのだが、今一度、「そもそもなぜその仕事をしたいのか?」「その仕事を通して何を叶えていきたいのか?」「誰を喜ばせたいのか?」と目線を遙か先に向けて問い続けていって欲しいと思う。それがある限り、道の途中で想定外の出来事が起こっても自分がほんとうに辿り着きたい方角を見誤ることはない。何より毎日が面白いという宝を手に入れることが出来るはず。
 “仕事とは”と問いかけることは誰にとっても大切な根本の確認作業だが、そんな問いへの答えをひとつひとつ言葉にしてくれたのが3月19日放送の「ほっかいどう元気びと」、現在29歳のファッションデザイナー 「algorithm(アルゴリズム)」代表の石岡美久さん。「なぜ取り組み、何を叶え、何を変えていきたいのか」という原動力を聞かせていただいた。

石岡美久さん 東京出身の石岡さんは、東京でオリジナルブランドを立ち上げて独自のファッションを世に送り、レディー・ガガや安室奈美恵など人気アーティスト達にもステージ衣装や私服としても選ばれるなど世界でも評判を呼ぶ服作りをしていたが、数年前、たまたま札幌のイベントに参加。そこで思い思いに自分のやるべきことに取り組む札幌の人達の感覚の深さやストイックさに共鳴し、「ここなら世界に新しいファッションを展開していけると思い立ち、衝動的に札幌に移住していた」と話すバタリティーの持ち主だ。
 一見奇抜に見えるデザインの服に込める思いは、「人間誰しも持っているダークな部分こそが一番美しいという思想を大事にしているので、ぱっと見た時に奇異だったりグロテスクな面も柄やモチーフとしてデザインしているが、それでいてポップでありたい」というもの。石岡さんが大切にしたいのは、「アンダーグラウンドなところから幸せや平和を願う」という思い。であるからこそ、「人の中のダークな面にも目を逸らさずに表現したい」。平和のためには、“なぜ平和じゃないのか?”という原因を伝えることも大事。世の中が蓋をしている部分をあえて浮き彫りにすることで、いろいろな世界が在るということを多くの人に知って貰いたいのだという真っ直ぐな思いだ。
 この日の石岡さんは古着屋で見つけたという多色刷りのトップスを着ていたが、その模様の中にプリントされているのが何かを射貫くような沢山の“目”。奥に暗闇を抱えたような眼差しでじっとこちらを見つめているかのよう。「algorithm」のファッションを選んだミュージシャン達もそういう意志ある世界観を感じ取ってくれたのだと思うと石岡さん。不穏な空気の時代だからこそ、“その時代の先を捉えたい”というデザイナーとしての目線が、“アーティスト”と言われる進歩的な人達のアンテナにも響いているのだろう。

 石岡さんのその土台を作ったのは、大方の人はけっして経験しないような10代を過ごしてきたからだということも明らかにしてくれる。10歳で家を逃げるようなかたちで飛び出し、ホームレスのような夜を過ごしたこともあるという過酷な体験。いろいろなところに身を寄せるうちに、“アンダーグラウンドで人が差別されたり排除されたりする現実”も目の当たりにしたことで、「少数派が傷つかない世の中を表現したい」と思い立ち、好きなファッションの世界へと突き進んでいったという。始めは動物を救う仕事に就きたいという夢を叶えるために学校は何とか続けていたそうだが、ある場所で出会った障がいを持つ人に「お前は、こっちの世界と太陽の下の世界との橋渡しをするのが役目だ」という言葉を掛けられ、それまでは日々、「自分はなんで生きているのか?自分の役割は何なのか?生きている意味は何なのか?」と悩んでいたのだそうだが、その一言で、「人間の世界をまず変えなくてはという“世直し”の思い」が強くなったのだそう。
 “当たり前”にあるものに囲まれていると、人は目の前のことに一喜一憂してしまいがちだが、それが根こそぎ剥がされると、“根源的”なところへ向かっていくのかもしれない。「生きる意味」と真正面から向き合った石岡さんの10代の経験から絞り出された答えが、今の仕事の揺るぎない“コンセプト”になっているのだということが感じられた。

石岡美久さん 過酷な経験というのは、その大小はあるが誰しも何かに遭遇することがある。それを“糧”にするためには何が必要なのだろう。“人間性を膨らませる人”と“荒む人”、それを分けるものは何なのか。石岡さんがなぜ夢を抱いて仕事に向かう前者になり得たのか・・・お話を紐解いていくとそのひとつの答えが浮き彫りになっていく。インタビューで「私はこういう経験をしても、一回も人間を嫌いになったことがない」と語り、その純粋さに涙が出そうになったのだが、収録後の「宝ものは何ですか?」の答えは「友達」。
 小学校時代のクラスは全員が毎日爆笑しているような教室で、その中で石岡さんはいつも“笑わせ役”。その当時の友達が「暗闇の中にいる時も、どんな状況にいた自分も支えてくれた」そうで、その人達がいなかったら死んでいたかもしれないと話す。聞けば、石岡さん自身が“家族のように見返りを求めない無償の愛”で友達を大切にしてきたことが人との関係を繋いできたのだということが伝わってきたが、人はたとえ家族関係に悩みを抱えていても、その分、友達との絆が深いとか、何処へ行ってもギリギリのところで誰かが現れ支えてくれるとか、もしかして、“与えられる愛の分量”はひとりひとり同じなのかもしれないと思え、なんだかほっとさせられた答えだった。この、自分の足でひとり生きてきた目の前の小柄な女性には“友情というかけがえのない宝もの”が惜しみなく与えられていたのだなぁ・・・と、人の根源を支える確かなものを感じさせて貰ったような気がした。

 それにしても、仕事とは生きることそのものなのだと改めて思う。インタビューを終えて、自分自身にも問いかけてみる。なぜ私は、アナウンサーという職業を一生のものとして選んだのかと。物心ついた頃から国語の教科書を読むのが好きだったとか、高校の放送部で職業としての言葉の発し方を身に付けることになったとか、そういうことよりももっと深い心の底から答えを拾ってみると・・・私は、自分自身のスイッチを一生「ON」にし続けて生きていきたかったのかもしれないという言葉が浮かび上がってくる。誰かに命令されて何かをし続けるとか、ノルマとしての作業を心を介さずこなすという日々ではきっと私のスイッチはショートしてしまう。職業を通して何らかの感動や達成感を得ようとすれば、それ相応の準備の過酷さやら逃げ出したくなるような緊張やら心の痛い悔しさやら失敗やら息も止まるような逆境も避けて通ることは出来ないが、それら全部を背負い荷物にしても、スイッチオンの生き方をしたかったのだろうと、今の年齢の頭で言語化するとそんな思いを掬いとることが出来る。ならば、そうすることで-賢治風に喩えて言うならひとつの“有機交流電燈”となって-成し遂げたいことは何なのか。これも50代になってより単純になったことだが、ただただ、「役立ちたい」のだ。培ったものをフルに使って誰かの役に。そして、何か世界がほんの僅かでも良い方に変わる役立ちを。そうすることで、最も難しい問いである「自分の生きている意味」のようなものも立ち上ってくるのではないか。そして、そこに向かっている限り体は疲れても心は疲れない。根本のところが疲弊しない。どころか、エネルギーが湧いてくる。何より、同じように内側で何かを燃やしている人達と必然的に出会い続けるという恵みを得ることが出来るに違いない。
 思えば、それらは、「元気びと」達からも確認させて貰ったことだ。自分の中にセットアップしたスイッチは、自分のためにではなく誰かのためにONにするということを。
 ひとりひとりが意味を探し求めながら自分の“やるべきこと”に向き合う・・・その大切さを伝え続けて今回が312回目。この春からも丁寧に「人の中の力」を発信していこうと思っている。

(インタビュー後記 村井裕子)

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