10月16日放送

 私は、高校で放送部に出会ったことがアナウンサーになるきっかけだったということを以前この欄で書いたが、それ以前の数年間、中学の頃は密かに、でもけっこう真剣に「役者になりたい」と思っていた。将来、東京の文学座に入って芝居を学び(テレビで「青春シリーズ」が流行っていた頃、最も人気のあった中村雅俊が文学座出身だったという単純な理由)、自分ではない誰かを演じてみたいという幼い願望だ。演劇部の女子達は、教室ではおとなしいのに舞台に立った途端キラキラと輝いて“この世の春”という感じ。そこには何かがきっとある。私も高校で演劇部の門を叩こうと決意して入学するが、その高校には演劇部が無く、「ぇ~・・・」と小さく失望しつつ横目に入ってきたのが似た空気を醸し出していた放送部。その先輩達がこれまたキラッキラしていたのに惹かれるままに全く違う門を叩いたのだったが、それが結果的に将来の仕事の門に繋がったのだから人生どこで何が待っているのかわからない。15の頃の夢だった「演劇の舞台に立ちたい」という“種火”は今も種火のままだが、密かな「三つ子の魂」は私の中でライフワークの「朗読」に引き継がれた感もあり・・・やはり、人は惹かれるほうに引き寄せられるのかもしれないなと思っている。

西川浩一さん そんな、「三つ子の魂」を定年後に故郷で存分に花開かせている人が今回の「ほっかいどう元気びと」のお客様、「くしろ高齢者劇団」を率いる佐藤伸邦さん 75歳。札幌~道東間のJRがストップしたままなのだが、深夜バスがありますからとフットワークも軽く、到着したその朝に収録に臨んでくださるという、まさにタフな「元気びと」。高齢者で作る演劇集団の事務局長兼、作・演出という旗振りをしながら、平均年齢が68歳の目下8人の役者さん達と芝居作りに励んでいるという、その日常を伺った。
 「くしろ高齢者劇団」は、佐藤さんが2011年に仲間数人と立ち上げたそうだが、驚くのは、若い頃から演劇を続けていた役者達が高齢者になったのではなく、佐藤さん始め皆さんが60代から芝居を始めたということ。一から発声練習に取り組み、台詞を覚え、今では年に6~7回の高齢者施設での公演や、集大成として年に一度の「北海道立釧路芸術館」での公演をこなし、地域で喜ばれているという。
 道東で生まれ育った佐藤さんだが、大学卒業後は東京に就職してサラリーマン人生を送り、定年後、高齢になった母親の側にいたいと夫婦で釧路に帰ってきたとのこと。そこで、「くしろゴールデンシアターきらり座」に出会い演劇の道へ。その“種火”は子供の頃からあったそうで、放送劇団出身の担任の先生に憧れ、自分も芝居作りをしてみたいと思っていたのだと言う。「きらり座」はどちらかというと芸術性を追求する劇団だったため、自分達は気軽に楽しんで貰えるようなわかりやすい芝居を作ろうと違う道を目指して旗揚げ。佐藤さんが手がけるオリジナル作品のテーマは、「嫁姑問題」「オレオレ詐欺などの特殊詐欺被害の防止」「認知症」など、永遠のテーマから近年の関心事をも織り込み、高齢者にとっては役に立つヒントも満載なのだそう。
 年を重ねると、とにかく「ものを覚える」ことが大変になってくるし、「忘れる」ことだらけになってしまいがちだが、芝居はその「覚える、忘れない」への最大のチャレンジだ。高齢の役者さん達は、覚えては忘れ、また覚えては忘れ・・・を繰り返しながら、ひとつの舞台を根気強く作り上げるのだという。佐藤さんは失敗エピソードなどもいくつか語ってくれたが、ひとつひとつがクスッと笑えるもので、こんなふうに皆でひとつのものに取り組んで、そこから生まれたひとつひとつの出来事を笑い飛ばすということが一番の若返りの特効薬なのだろうなと、何より明るさが伝わってくるお話だった。

西川浩一さん 恒例の「宝ものは何ですか?」の収録後の問いかけに、佐藤さんはこう答える。「ちょっとキザかもしれませんが、宝ものは劇団のメンバーです」。
 お芝居を通して地域の役に立ちたいと高齢者施設などへの出前公演をする中で佐藤さんが「こだわり続けて」いるのは、「お金を取らずに芝居を観て貰う」ということ。「観ていただくのは年金をやりくりするお年寄りがほとんどなので、基本はボランティアでの取り組み。そのために、市や大きな企業に助成金をお願いし、公演費用をやりくりするのも事務局長である自分の役目。今のメンバー達は、その考えに共感してくれる人達なのです」と、劇団の仲間達と共有出来ている大切さを語る。そして、目指したいのは、「芸術性の高い『演劇』というよりも、昔、お祭りなどで親しまれた『村芝居』」と言い、わかりやすいものを演じて、観る人が笑ったり、感動したりして貰うのが一番。何より、高齢でもこんなに楽しく、一生懸命芝居に取り組んでいるというその元気も観て欲しいのですと、高齢者の立場であっても地域や誰かの役に立つ活動を担っていきたいという思いが丁寧な言葉で表現されていった。
 何かに取り組むということは、大変さも引き受けるということだ。覚えなければいけない、準備を怠らずにしなくてはならない、耳の痛いこともある、人間関係を上手にこなして、健康も上手に管理、疲れた身体も養生しなければならない・・・など、芝居という簡単ではないことに取り組む以上は厄介なこともあるだろう。でも、何よりひとつの舞台を力を合わせて作り上げて、感動して貰えた、喜んで貰えた、仲間と心が一体になったという達成感は年齢にかかわらずそれはそれは得も言われぬ心地良さに違いない。佐藤さんは、「無料で観ていただくとはいえ、皆、手抜きはせず、芝居への努力は惜しみませんよ」と力を込め、「公演の度にひとりひとりが成長し、その“成長出来ていること”に感謝出来るからこそ、お互いとてもいい繋がりが保てているんです」と胸を張る。“いくつになっても成長出来、そのことに感謝出来る”という言葉が印象的だったので、その秘訣は?と訊くと、「好奇心を持つとか、頭を柔らかくするというのはもちろん、いくつになっても人は、人から“認められたい”という願望を叶えたいのかもしれませんね」と笑い、それを満たすために何かにチャレンジしてみることの大切さを表現してくれた。

 「高齢者」と書いていて、ふと思う。きっと間もなく60代70代を迎える人達は、そういうふうに括られることが最も好きではない世代に違いないだろうということ。私も含めて、「お年寄りはこうだから」と十把一絡げで語られたり決めつけられたりすることに反発を覚えるだろう。どっこい、「みんな一緒に束ねられない」ために大事なのは、やはり「自分は何をしたいのか?」という自己を知ることだ。「好きだった」ことや「ずっとしたかった」という小さな小さな心の中の“種火”に気づくというのも案外ヒントになるだろう。忙しさで見ていなかったものや、押し込めてきたものと向き合い、まだまだ眠っている可能性を自分で見つけるという仕上げの“仕事”が人生の玄冬期にはたっぷりと残されているのかもしれない。
  年を重ねるということは、いろいろなものを「失(喪)って」いくという哀しい現実との対峙でもあるが、それでも尚、自分にとっての「宝もの」を発掘していくことは考え方によって不可能ではないし、それを人と語り合い、分かち合うことで新しい宝も見つけることが出来るのではないか。・・・平均年齢68歳の演劇集団の存在から、これから往く道のインスピレーションをいただいた。 

(インタビュー後記 村井裕子)

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