9月11日放送

※この度北海道を襲った台風の被害に遭われた皆さまに、この場をお借りしてお見舞いを申し上げます。まだまだ本来の生活に戻れない方々も多くいらっしゃるとのこと。
一日も早い復旧をお祈りしております。

 最近、明治という時代がとても気になっている。その辺りに戻ってみると、今の時代の忘れ物みたいなものが見えてくるのではないかと、興味が尽きない。
 1867年(慶応3年)生まれの夏目漱石は、明治維新で西洋から沢山の文明が入って来てから日本人は深くものを考えなくなった、皮相上滑りになったと嘆いている。もっと鶴嘴を持って自分自身の鉱脈を掘り当てろと。日露戦争の勝利で一等国になったと浮かれて拝金主義、出世主義、享楽主義に向かう世相に違和感を感じ、「亡(ほろ)びるね」と小説の中で未来の「予言」をもしている。一方、1861年(万延2年)生まれの内村鑑三は、人間が後世に遺すことの出来る「最大遺物」は、何より「勇ましい高尚な生涯である」と断言している。お金や事業や文学も価値ある遺物だけれど、後世のために弱いものを助けた、後世のためにこれだけの艱難に打ち勝ってみた、後世のためにこれだけの品性を修練してみた・・・といったような高尚な生涯を遺すことが最大の価値なのだと。1896年(明治29年)生まれの宮沢賢治は、「かつてわれらの師父たちは乏しいながら可成り楽しく生きていた」と、大正当時の芸術、宗教、科学の堕落と暗さを指摘し、東北という田舎から「農業と信仰と芸術」を融合させた真善美の興隆を訴えた。
 精神性が高く気骨のある明治人達が、当時の「現代人」に対して「大事なものを見失うな」と苦言を呈し、それぞれが口を揃えて「強く正しく生活せよ」といったようなことをメッセージしている。彼らの懸念はその後、戦争の世紀を迎えることで不幸にも現実のものとなり、そして、その道は遥か先の「今」にも繋がっている。
 それにしても、あの時代の文人達は、なんと率直に「善き生き方」を語っていることだろう。今なら揶揄されてしまいそうな「人として大切なこと」を、真っ直ぐに未来の私達に伝えている。現代の私達の「忘れ物」のひとつは、「真剣に生き方を考え、語ること」かもしれないと思いつつ、それらの言葉からヒントを探っている。

伊藤春竹さん 今回の「はっかいどう元気びと」でお話を伺ったのは、小樽の老舗「旗イトウ製作所」代表取締役の伊藤春竹さん 33歳。その創業が明治2年であり、春竹さんは6代目であるということに純粋に興味が湧く。初代は名古屋の熱田から入植してきたとのこと。江戸時代生まれの人が、明治維新を経験して北海道に渡ってくる。しかも、「旗章指物師(きしょうさしものし)」と「悉皆屋(しっかいや)」という、旗作りと染めの技術を持って。どんな思いだったのだろう、そして、150年近くもその技術が受け継がれて来たのはどんな志の受け渡しなのだろうと想像を膨らませながらお話を訊かせていただいた。
 小樽の産業と足並みを揃えるように大漁旗作りの老舗として定着してきた「旗イトウ製作所」。時代と共に大漁旗を掲げる風習は少なくなってはきているが、今はお祝いや記念品用としてもオリジナルの大漁旗は喜ばれ、また、様々な用途・種類の旗、お店などの暖簾、手拭いなどの需要に応え続けているとのこと。
 6代目の春竹さんが、先代である父親の跡を継いだのが2015年。学校で工芸や染めの技術を学び、本州の旗製作の会社での修業も終えて父親の元で一緒に仕事をしていたので、勿論、家業を引き継ぐ心積もりでいたそうだが、実際に自分が主となり作業も経営も一手にこなすという日々は大変なことも多いですと訥々と語る。
 「職人」と呼ばれる人は、「ものづくり」が表現の手段だからか比較的無口な人が多い。春竹さんも「日々、あまり話さないほうです」と、言葉の代わりに笑顔で答えるほうが多かったが、優しさ溢れる人柄から伝わってきたのは、根っから「旗作り」が好きなのだということ。先代が「旗づくりは、元気が大事」と文字や図案を力強く書いていたのを守り、「元気に、元気に」と心がけながら製作をしていると楽しそうに話し、そんなふうに自分が手掛けた旗や飲食店などの暖簾を街で眺めるのが大好きだと笑う。夢は、ヨーロッパの街がホテルやお店などあちこちでセンス良く旗を掲げているように、小樽の街もそうやっていろいろな場所を旗ではためかせたいとのこと。

伊藤春竹さん 好きな「ものづくり」のためにしっかりと確かな技術を身につけ、ひとつひとつの仕事に穴を開けないようにと365日仕事に没頭していることが佇まいから伝わってくる、旗作りの6代目。創業明治2年という伝統について関心を持ち始めたのは実は最近のことで・・・と素直に語るので、明治大正昭和の先人達の思いや活躍については詳しく訊かなかったが、長く受け継がれてきたコツについては、ある職人さんから言われたという「守・破・離」という言葉で表現してくれた。「守・破・離」とは、茶道や武道、芸術などの師弟関係のあり方として大切にされてきた考え方。型を「守る」という修行から始まり、その後、自分の型を作ることで既存の型を「破り」、最終的には、型から「離れて」自由自在になることも出来るという「技の受け渡し」の精神。春竹さんは、「基本を守りつつ、自分のオリジナルを出していかなければならない」と言い、その代その代で新しいものを加えていくことが伝統を途切れさせずに続けていく秘訣だと思うと、老舗を守っていくための職人としての心構えを言葉にしてくれた。

 「宙宇(ちゅうう)は絶えずわれらによって変化する。誰が誰よりどうだとか、誰の仕事がどうしたとか、そんなことを言っているひまがあるか」と、若者に向けてさらに新しい時代をつくるようにと文章を綴った宮沢賢治。
 「自分の鶴嘴で掘り当てるところまで進んで行かなくては、その人は生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしていなければならない」と、学生達に講演した夏目漱石。
 「われわれに後世に遺すものは何もなくとも、われわれに後世の人にこれぞというて覚えられるべきものはなにもなくとも、アノ人はこの世に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを、後生の人に遺したい」と、やはり青年達への講演で述べた内村鑑三。 
 百年以上前に生きた徳の高い人達の言葉は、市井(しせい)の人達にこそ受け継がれているのかもしれないと、これまで280人を超える人々にお話を伺わせていただき、その姿勢に触れて、そんな思いを強くしている。

(インタビュー後記 村井裕子)

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