1月17日放送

 2011年4月に始まった「ほっかいどう元気びと」は、この3月で丸5年になる。年末に少し長い書き物をしていて、この番組の意味や自分の役割、出演者のお話から見えてくる普遍、そして、これからの世の中の方向など、ああそうかと気がついたことが幾つかあった。
 奇しくも、東日本大震災の翌月から始まったこの番組。世の中全体、ひとりひとりが「自分は何をしたらいいのか、何が出来るのか」という課題を突きつけられながらの1年また1年という積み重ねだったが、インタビューで多くの人の視点に触れ、伝えるという役目を続ける中で今整理出来ることは、この5年というのは、「皆がひとりひとりそれぞれの場で最善を尽くす」という「役割感」の再構築の時間だったのではないかということだ。書いてしまえばとてもシンプルで当たり前なことなのだが、震災後、多くの人が「何かをしなくては」と焦り、考え、無力感にも苛まれながら時間をかけて見出したことは、「人は自然に対して圧倒的に無力である」ということと、「だが、しかし、それでも人にはそれぞれに何らかの力が備わっていて、それを一心に集めていくことで世の中全体が底上げされていくのではないか」という希望。何か衝撃的なことがあると意識が変わり、意識が変わると行動が変わるが、その行動とは何も大それた事でなくてもいい。それぞれがこれまで準備してきたことや磨いてきた技術、土台を使い、それぞれの場でそれを発揮するということ。それを粘り強く続けていくという普遍に改めて心を込めてきた年月だったのではないか。世の中が5年というスパンでそのことに気づき、しかし、まだまだ10年、20年・・・と考え続けていかなくてはならないそんな過渡期なのだろうと、ぼんやりだがそんな答えが胸に落ちてきた。
 「それぞれの場で出来る事を、より一生懸命にする」というスタンスは、「元気びと」達の取り組みからも抽出することが出来る。「私は海で・・・」「私は山で・・・」「私は野菜を作ることで、私は音楽に関わることで、私は自然を守るということで、私は子供達に関わることで・・・」という、「私が今いる場所で、私はこれをしています」と真っ直ぐに語るひとりひとりの志がまさにそれ。前にもこの欄で書いたが、それは、「一隅(いちぐう)を照らす」という気概に他ならない。それ以前とは変わってしまった震災後の世界で、「自分が受け持つほんのひとすみを照らす」その灯りをさらに強く明るくしていくためにどんな考え方が出来るのか。多種多様な「元気びと」ひとりひとりの取り組みを通して、「あなたは、あなたの場で今何に一生懸命になれますか?」という普遍的な問いかけを、放送を通し、そしてこの「インタビュー後記」を通して伝え続けていくのが「私の一隅」なのだと思っている。

仲田隆彦さん 「一隅を照らす」という言葉を使う時に私の頭の中でイメージされるのは、北海道の地図だ。道内各地の「元気びと」の紹介をする毎に、俯瞰で見渡す北海道地図のそれぞれの場所にぽっと灯りが点る。
 1月3人目のゲストは、留萌という地に思いを込めて「食」に取り組み続ける「元気びと」、「株式会社フタバ製麺」代表取締役の仲田隆彦さん 52歳。留萌での栽培を可能にした小麦粉「ルルロッソ」で地域を盛りあげようと、「留萌・麦で地域をチェンジする会」会長としても活動する「チャレンジする麺や」さん。その原動力と未来への夢を伺った。
 フタバ製麺は仲田さんの父親が1961年(昭和36年)に創業。その頃は炭鉱の影響で安定した商売が営めたそうだが、「良い時にこそ人と違った挑戦をしなければならない」と様々な商品を開発。北海道では気候的に無理と言われた「手延べ素麺」にも果敢に取り組み、5年かけてものにして10年かけて定着させたという。
 「チャレンジするDNAが父親と同じ」という隆彦さんも、「頼まれたら断らない」という信念で様々に持ち込まれる頼まれ事に向き合いこれまでも数多くの麺を開発してきたが、心の中に強くあったのが「留萌生まれの特産品を作りたい」という思い。手延べ素麺を物産展などに持って行くと、「なんで留萌で麺?留萌なら数の子じゃないの?」などと言われて、ずっと悔しい思いをしてきたのだそうだ。何とかしたいと思いつつ、これというものがないというジレンマ。そんな時に、やはり強く思っていれば出会いは訪れるということなのだろうか、「北海259号」というイタリアでパスタを作るデュラム種に近い小麦粉が道内の製粉会社でひっそりと栽培され国の指定を受けられないまま日の目を見ない状態になっていることを知るのだ。その小麦を使った料理の試食会に参加した仲田さんは、日本人の口にはこの道産の香りのいい粉で作ったモチモチのパスタの方が絶対に喜ばれると確信。行政や関連企業にも呼びかけて留萌での栽培に尽力。「栽培を引き受けてくれた留萌の製粉会社の林寛治さんがいなければ今がなかった。林さんは僕の恩人」と言うように生産者にも恵まれ、「ルルロッソ」と名付けて留萌生まれの生パスタを開発・製品化に成功。その時から一緒に動いてくれた地域の有志達の集まり「留萌・麦で地域をチェンジする会」を通して普及と宣伝に努めているのだという。
 新製品が軌道に乗るまでには「手延べ素麺」に孤軍奮闘した父親の例もあるように、やはり生パスタに関しても逆風はあったそうで、「最初はこれはパスタじゃないとも言われ、ホテルのレストランなどに持って行っても全然相手にして貰えませんでした」と苦笑い。それでも「留萌から特産品を発信する」という一念で時間をかけて改良し、わかって貰える工夫を地道に続け、今ではルルロッソに惚れ込んだ札幌のレストランのシェフ達によって様々なメニューで展開されるようになったと言い、本州などからも「留萌のルルロッソでなくては」という引き合いも増えたのだとほっとした表情で語る。
  「パスタの他にルルロッソでパンなど、他にもいろんな展開が出来ると思う」とも話す仲田さん。それによって留萌の生産者がやる気を出し、地域の若い人達がそれを受け継ごうという気持ちになって貰えるのが次に続く夢ですと、留萌を輝かせるための構想を語ってくれた。

仲田隆彦さん 収録後に、「あなたの宝ものは何ですか?」と恒例の質問をすると、「人です。会う人によってここまでやってこられました」と、周りのすべての人への感謝の思いを言葉にする。
 「そんなふうに人の出会いを生かすコツは何?」とさらに訊くと、「人から吸収したいものを肌で感じているのかもしれません。そのためには人を信じること。たとえ裏切られても、その時はその時だって思って、それも吸収します」と続ける。
 この「ほっかいどう元気びと」は、ふたつの潜在力を引き出す番組だと思っている。北海道という土地が持つ力と人の中にある力。今回の話を聞きながら、北海道にはまだまだ食文化を担う素材の潜在力があり、そうして、逆風にも怯まない「前に進む力」という人の中の潜在力を存分に感じさせていただいた。
 「プラスマイナスすべて吸収して、いいと信じたことを続けていると、必ず味方になってくれる人が現れる」と仲田さん。地域地域で「一隅を照らす」ために何をしていけばいいのかの大きなヒントだと思う。そうやってひとつひとつは小さいけれど真摯な灯りが繋がって、全体がより照らされる。それこそがこれから益々求められていくことなのだと強く思う。

(インタビュー後記 村井裕子)

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