11月15日放送

 この「ほっかいどう元気びと」のインタビュー後記を番組開始と共に始めて4年半が経つが、毎週放送だけではなく文章を楽しみに読んでくださっている方が確実にいらっしゃることを大きな励みに更新し続けている。放送と併せてホームページで文章を発信し続ける意味は、電波で伝わる音声としての「消えてゆく言葉」と文字で伝わる活字としての「残る言葉」、その両方の言葉の力を私自身が信じているからだ。双方を組み合わせたら届き方として新たな変化があるのではというチャレンジの思いもある。「残る言葉」によって“小さくてもとても大切なこと”などをさらにゆっくりと噛みしめ共感していただけたら送り手としてなんと幸いなことかと思う。
 この後記を綴るイメージは、インタビューによって“収穫”した言葉の実を両手で掬い、そこから核になる意味を探す作業・・・という感じ。その実のひとつひとつは大きさも違えば熟し度合いも違う。それを注意深く集め、珈琲のように焙煎してドリップし、抽出する。浮かび上がるのは信念や逆境を超える智恵、原動力か。ひたすら地味な作業だがフィルターとなる「ネルの漉し布」の仕事が問われる。目指すのは、お話をしてくれた人が「その人である」以上に、その人自身も「自分にはこんな持ち味や無意識のストーリーもあったのだ」という新鮮な発見があるような深い抽出。「音声として消える言葉」と「文章として残る言葉」で「人の中の力」をひとつひとつ浮き彫りにしていって、北海道は“人という恵み”の宝庫なのだということを番組のコアメッセージとして伝え続けていきたいと思っている。

大谷周平さん 多くの方にお話を伺っていると、何かを極めるというのは積み重ねや繰り返しの結果であり、「気づき」や「発見」の集積が欠かせない。今回の「ほっかいどう元気びと」は、若き「ものづくり」の担い手。職人としての大事なことが今まさに見えてきて技も心も急成長しているその途上にある人の思いを聞かせていただいた。
 2014年に入社した東京が本社の「株式会社プレステージジャパン」東川工場で家具作りを手掛ける大谷周平さん 21歳。ちょうど一年前に、23歳以下の職人の技能を競う「第52回技能五輪全国大会」家具部門で金賞を受賞。それにより学べたことやその後の意識の変化は何だったのかを問いかけていった。
 大谷さんは、旭川で生まれ育ち、高校は北海道立東川高等学校に進学。少年の頃から野球を始め、高校ではピッチャーとして活躍。主将も任され、責任感を育みながらのびのび打ち込んだそう。その野球部の監督だった先生に「ものづくり」の道へ進むことを勧められ、北海道立旭川高等技術専門学院に進学。2年間家具作りの基礎を学び、現在の高級家具製造販売会社へ就職。技能五輪への出場は、旭川技専の先生が「大谷を出したい」と会社に申し入れてくれ、会社もその挑戦をバックアップするために練習時間を配慮してくれたのだという。出場は2回目で、前回は惜しくも「銀」だったために、今度こそどんな課題にも対応出来るようにタイムを意識し追い込んだ状況での想定練習を繰り返し、満を持しての挑戦。
 その目標達成によって何が変わったのかという問いに、大谷さんは、今ちょうど新作の家具を任されることになったと答え、そんなふうに責任を持たされたことが何より嬉しいと話す。そして、「大谷に任せておけば安心」と思われるような仕事をして、これまで挑戦させて貰ったことへの恩返しをしたいと素直な言葉で続ける。
 やはり何かのきっかけで“認めてもらう”という事実が人をぐんと伸ばすのだろう。今回の受賞で実は多くの人達がこれまで自分を後押ししてくれたことに気づき、自分は恵まれていたのだということも再認識したのだという。そして、支えて貰って出来た経験だからこそ、そのまたとない体験で得たものを次の人達へ繋げていきたいと語る。国内大会の後でブラジルでの国際大会にも出場しているが、機械の種類からやり方まで全く勝手が違い、その為の練習をして臨んではいなかったこともあり24選手中19位だったのだそうだが、その特異な状況は大会に出た人しかわからないもの。悔しい思いも糧にして、勝手の違う機械の対処方法や世界の独特な雰囲気に動じないような臨み方などを今度は自分が次の選手に伝えていきたいと話し、次回の国際大会には是非また旭川から出て欲しいと力を込める。

大谷周平さん 大谷さんの後ろには何か“支えてくれる人”や“引き上げてくれる人”、“言葉を掛けてくれる人”が見えるような気がして、旭川の「ものづくり」に関わる人達との繋がりを訊いてみると、やはりその地域で技能五輪に挑戦し受賞した先輩達との集まりを大事にしているそう。「ものづくりにとって、何が大切かという話を皆でしている」という話を聞いて、旭川という木材加工に生きる地の誇りが若い人にもしっかりと受け継がれているのが伝わってきたのだった。それは、それを担ってきた技術者や指導者達のご尽力の賜に違いない。
 そして、大谷さんの後ろに、何ともいい影響を与えてくれているご両親の存在も感じられたので、収録後の「宝ものはなんですか?」の問いかけの中で訊いてみると、大谷さんの“根っこ”が見えるようなエピソードがこぼれてきた。
 「お酒が一緒に飲めるようになって、父が言ってくれた言葉があるんです。それは、“馬鹿でもいいから笑っていろ。ニコニコと挨拶をしろ”ということです」
 ずっとそれは思っていたことなんだと語ったお父さんはまさにそうやって生きてきた人、人から可愛がられる存在なのだと大谷さんは言い、「ほんとうにその通りだと思います」と続ける。「いくら頭が良くても、愛想が悪いと人生楽しくない」と。
 ご自身では「これまで自分は消極的な方だったので、これからはもっと積極的にならなければ。そこが自分の弱点」という表現もしていたが、「いつも笑っている。ニコニコと挨拶出来る」人に人は仕事を任せたくなる。しかも、「頼まれたことを責任を持って確実にこなす」人を人は支えたくなる、後押しをしたくなる。その責任を果たす気概があれば「弱み」は「強み」になるだろう。しかも「ものづくり」に欠くことの出来ない精神に違いない。
 大谷さんのこれまでの21年間、いろいろな人の手によって力を発揮する道が繋がってきたその理由が、お父さんの言葉から深く腑に落ちたような気がした。

(インタビュー後記 村井裕子)

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