11月1日放送

和田由美さん 今回の「ほっかいどう元気びと」は、札幌の出版社「亜璃西社」の代表であり、エッセイストとしてもおなじみの和田由美さん 65歳。ここ数年、著書では「さっぽろグラフィティー」シリーズの「喫茶店」「酒場」「狸小路」と札幌の街のサブカルチャーを記録したシリーズが人気となり、今年は「さっぽろ味の老舗グラフィティー」を発行。取材者として我が街へどんな思いを込めてきたのか、地方都市で出版社を率いる立場として北海道にどんな思いを寄せているのかを伺った。

 活字の世界の人はどんなお喋りをされるのだろう。常々、和田さんが書かれる新聞紙面の文章や美味しい食事やお酒のお店を紹介する著作の文章から、「豪快」「エネルギッシュ」「団塊世代の行動派」「よく食べよく呑む」・・・などなどのイメージを持っていたが、実際の和田さんは、かてて加えて「楽しい語り部」。ひとつの問いかけから70年代ワールドにぐいぐい連れて行かれるような、そして、あたかもすすきのの酒場で会話をしているような愉快な空気に引き込まれ、さて、この流れでどう編集のきっかけ箇所を作ろうかと内心は30分の番組における組み立てを気にかけながらも、和田由美ワールドを楽しませていただいた。
 収録中に喉が渇いた時のために水の入ったグラスを用意しているが、和田さんが手するとどう見たってお酒に見えてくる。話が興に乗ってくると日本酒の冷やを口に運ぶかのようなアンニュイな仕草でグラスを持ち上げるが、動きは途中で止まる。飲まない。また語りながらグラスに手が伸びる。飲むのか?いやいや、飲まない。やはりそれをまた置いて語りに語る。そしてまた手はグラスに。今度こそ飲むのか?やはり話しながら置く。ふむふむ、どうやら「語りとグラス」はセットとなって動作に刻まれているらしい。が、中味はただの水。条件反射で手が止まるのだ。お酒だったらどんなワールドになっていくのだろう。
 私は和田さんのそのグラスを持つ手が物語る空気が何とも印象的だったのだが、そんな酸いも甘いも噛み分けたおとなの女性の動作を繰り返しつつ、この札幌で活字を通して何をしたかったのか、今後何を残していきたいのかが語られるのだった。

和田由美さん 1979年に来道し放送の仕事をスタートさせている私は、和田さんが手掛けた「ステージガイド札幌」も「札幌青春街図」もまさにど真ん中の世代である。この頃の札幌は何か未来に向けて真っ直ぐに進んでいくかのようなエネルギーに満ち溢れていた。喫茶店文化も書店文化も、映画、音楽、ファッションも発信者と受信者が強く共振するかのような時代のパワー。それを担う異端児もいたし、チャレンジャーもいた。この時代の空気と若き和田さん自身のエネルギーとが面白いように組合わさっていたのだということが、ひとつひとつのお話から腑に落ちてくる。
 活字の世界で生きたいとの強い思いを持っていた和田さんは、1972年にOLを辞めて札幌初のタウン情報誌「月刊ステージガイド札幌」の編集長という大役を担い、編集プロダクションを経て、1988年に出版社「株式会社 亜璃西社」を立ち上げ代表になる。
 私は和田さんより9つ年下だが、私の年代でも当時はまだ女性が仕事で男性と同等に認められるのは困難な時代。男性の何倍も頑張らなければ“女の子”としか扱われなかった。したがって、張りまくる肩肘。取り組みのひとつひとつが“前例”になることも多く、女性だからこその責任も感じた。だが、そのがむしゃらに走っている道こそ和田さんの年代の女性達や更にもっと前の時代の女性達が、道なき道から“けものみち”へ、またそこから草を刈り、幅を広げ、少しずつ開けてきてくれたものだ。和田さんが生きてきた70、80年代、地方の出版業界で独自の道を作ってこられたのは並大抵の事ではなかったと思う。
 和田さんは、若くしてシングルマザーになったこともありそれはそれは夢中で書く仕事や編集の仕事をしたという経験を語り、素直に長年の疲れもにじませる。
 「今考えれば最初から苦難の道は始まっていた。いつまで経っても楽にならない。先に行けば楽になるかと思いきやまだまだ働かされている(笑)」
 「私の“人生観”なんて・・・あまりお勧め出来ないわね。たまたまかいくぐってきたけれど、違う生き方もあるのかなとも思いますよね」
 これまでを振り返ってみて、続けてこられたのは何だったのでしよう?
  「後ろに振り返って失敗するより、前に進んで失敗した方が悔いが少ないタイプだから」
 「出版社を作る時なんて、周りは皆反対。オール反対。そうすると、燃えてくるのよ。期待されるより逆境のほうが“よしっ!”とやる気が出るわねぇ」
 疲れをちらりとにじませたり、どっこい、底力がガツンと伝わってきたり、やはりその道一筋の女性の先輩と呑んでいるような懐かしい感覚になる。手に持つグラスは相変わらず宙をさまよい、一瞬、今度は「それ、ウイスキーのロックですか?」とも思えてくる。中味は水のはずだけれど語りは更に熱く、和田さんはあの時代の札幌の風俗史を残したいのだと今後の展望を続ける。喫茶店や酒場の歴史や文化。あそこに美味しい餃子屋さんがあったねなどお店の記憶とそれを担う人達の記録。
 「そういう風俗的なことは表の“正史”には残らない。人々の暮らしの中の営みである“風俗史”は記憶も薄れる一方だとしたら記録に残しておきたい。それは、やっぱり、私がやるしかないかと思って」
 いつまで経っても楽にならないけどね・・・と話す同じ口で、札幌のあの頃の熱を知らない若い世代にも伝えたいとサブカルチャーを残す意義を語る。
 街にこだわる和田さんの根っこにあるのは、「人の歩んだ道」を残したいという人への温かさだ。それは、やはり長い道のりを闘いながら歩んだ人ではなくては培えないものだろう。
 「長くお店を続けるというのはほんとうに凄いことなの。そういう人達のことを誰かが褒めなくちゃね。私も褒められたいけど」という笑い混じりの言葉に人柄がにじみ出ていた。

 北海道では25年続いたお店はもう老舗と言ってもいいのだという。そうしてみると、1988年創業である出版社「亜璃西社」もすでに四半世紀を超えた老舗だ。“長く愛されるには、ワケがある”というのが「さっぽろ味の老舗グラフィティー」のキャッチコピーだが、「亜璃西社」の愛されるそのワケのひとつが、和田さんの思いの強さなのだと今回話してみて感じた。そして、出版を手がけているジャンルは様々な種類に及ぶが、ほとんどが北海道に根ざしたもの。和田さんは“我が町北海道の暮らしを楽しむ本の出版をこれからも泥臭く続けたい”と話されていたが、それももうひとつの理由なのだろうと思う。
 過去から未来、笑い話まで含めて語り終えて、「お疲れさまでした」で時計を見た和田さん。「え-っ!こんなに喋ったの?」とびっくりし、かなりの時間が経っていた時計の針を信じられないように二度見したそのリアクションにまた笑わせていただいた。
 おやおや、手元のグラスの水は全然減っていませんね。今度お会いする時には、是非、もう少し度数の高い液体をその手に。肴は「和田由美一代記」をどうぞ聞かせてください。

(インタビュー後記 村井裕子)

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