7月28日放送

 「なぜ人は生きるのだろう」「どう生きていったらいいのだろう」
 それは人にとっての最も根源的な問いだ。
 その問いかけをし続けながら生きていくのか、それとも、全く無視するのか。
 それによって辿り着くところは全く違うと私は思っているが、この真っ直ぐな思いを「世間」の中で表明する時には、何らかの躊躇をも伴ってしまう。
 普段の空気の中で「浮いて」しまうのではないかという恐れか。はたまた年齢によっては「生意気な」という形容詞が付けられてしまうという警戒感か。

藤沢レオさん 苫小牧の金属工芸家で彫刻家の藤沢レオさん(38歳)も表現活動の中で以前はそういったためらいがあったと言う。
 コメントで紹介する「あなたの宝ものは何ですか?」の問いかけで出てきたエピソード。
 藤沢さん曰く「人見知り」で話すことが苦手な自分は思いを表現することに何かしらの遠慮があった。「若いくせに何を言っているのか」といった言葉を投げかけられるのが嫌だったと。それが変わってきたのは、折々で遭遇してきた大切な人の死。それと真剣に向き合ったことだと話す。
 藤沢さん28歳の時に経験したのが母親との別れ。56歳の若さで病気によって命を奪われたという突然の死は、「それまで安穏と生きてきた自分が戒められたような出来事」だったそうだ。人はなんとなく生きていてはいけない、どう生きていったらいいだろうと悶々とした中で考えるも答えが出ず、創作活動の方向性も模索していた時に出会ったのが札幌の門馬ギャラリーの門馬よ宇子さん。
藤沢レオさん 「あなたは彫刻やらなきゃだめだよ」という言葉に背中を押されて初めての個展を30歳で経験。翌年も声を掛けて貰った時に、母の死による葛藤がまだまだある中でも「門馬さんのために作品を見せたい」という思いが湧いてきて、「生と死」をテーマに個展を準備したという。その頃80代の後半だったという門馬さんのためにずっと表現したかった思いを形にしようと強く思ったのだそうだ。誰かに「若いのにそんなテーマ?」と言われても門馬さんに見せるのだから・・と、何が吹っ切れるものがあった、と。
 「この人のために自分の作品を表現したい」というほどの思いにさせられる人との出会いは何て素晴らしいんだろうと思い、その藤沢さんを彫刻家として励まし続けた門馬さんはさぞや嬉しかったのではと訊いてみると、思いも寄らない返事が返ってきた。
 「それが、作品の搬入の日に亡くなったのです」と。

 このタイミングを人はどう見るだろう。どう考えるだろう。
 人の「死」というのはほんとうに悲しいものだが、それによって遺った者が何かに気づいたり、思いを受け取ったり、ガラリと生き方が変わったりすることはよくある。
 藤沢さんも、門馬よ宇子さんという自分の中の力を引き出してくれた人の死に向き合って、「自分は『生きることとは何か』というテーマで表現を続けようという意志が固まった」と言う。人がどう言おうとも、年齢がどうこうなど、それは関係ないではないか、と。

 人が亡くなることをきっかけに、人の中の何かが生かされる。
 私は、この藤沢さんのふたつの体験から、何か巨きな「循環」を感じさせて貰ったような崇高な思いがした。
 「そんな、大事な人の『死』によって方向性が決まってきたこともあり、この自分が取り組んできた道は降りられなくなりました」と、にこやかに笑いながらも不思議な体験の意味を深く自分の中に取り入れているのが伝わってくる藤沢さん。「宝ものは命」と明快に答えてくれた。

 人が今以上により良くなっていくためにするべきことは沢山ある。「学ぶこと」「気づくこと」「素直になること」「誰かのために何かをすること」・・etc.
 私は最近、それらに加えて「魂を美しく磨くこと」という「課題項目」こそ大事なことなのではないかと感じている。そのために何をするかはきっと人それぞれの表現があるだろう。
 藤沢さんが「夢を叶えるために大切なことは?」という問いかけに、「日々の中で身近な人を大事にすること。私にとっては妻」と真っ先に答え、「そのためにも自分が日々しっかり生きること」と話していた、まさにそういうことのひとつひとつ。

  藤沢レオさんが手がけた「苫小牧市美術博物館」のモニュメントはロビーで鑑賞できるが、9月14日からは中庭で個展も予定されているという。
 テーマは「不在の存在」。存在していない中で存在を感じさせる造形を表現してみたいとのこと。
 目に見えていないけれど、確実にある。
 藤沢さんの、人として、芸術家として磨いた魂に触れることが出来そうだ。

(インタビュー後記 村井裕子)

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