7月7日放送

 ドイツパンの「ブルクベーカリー」。私にとっては、自分の歩みと共にいつも寄り添ってくれていた愛着のあるパン屋さんだ。
 右も左も分からない札幌に初めて住んだのが、新米アナウンサーになりたての1979年。
 今の賑わいと比べればまだまだ街並み自体が静かだった地下鉄円山公園駅界隈。HBCに通い、帰りに札幌フードセンターやまるやま市場で日々の買い物をしてワンルームのマンションに帰るという一人暮らしの日々に、突如現れた洒落たパン屋さん。ライ麦の香りのするパンも始めてだったし、人気商品であるバターパンのほんのり甘い味わいに癒されてすっかりファンになり、かくして朝ごはんの定番となる・・そんな出会いだった。
 私はなぜ見ず知らずのこの北海道の放送局でアナウンサーになれたのだろう・・縁があったとしか思えないその引き寄せに驚きながらあっという間に35年。今もバターパンを食べる時に、その時の思いや空気感が優しい味と共に蘇ってくる。
 ソウルフードって、確かにある。

竹村克英さん 今回の「ほっかいどう元気びと」は、そのブルクベーカリーの創設者で今も変わらずパンを焼き続けている竹村克英さん。江別のお店から札幌の円山に移ってきたまさにその頃に、私はサンダル履きで時々はノーメイクでも通って、竹村さんの手がけたパンを食べていたんだなと思うと、35年の月日が何とも愛おしい。早速ご本人にその話をすると満面の笑みで喜んでくれた。

 外資系の石油会社で敏腕営業マンだった竹村さんが、なぜドイツパンの職人になったのか。「元気びと」ではしばしば耳にする「気がつくと目の前に道ができていた」ストーリーがここにもあった。
 猛烈サラリーマンだった竹村さん。ある時体を壊して入院していたそう。点滴を受けながら何気なく付けたテレビでドイツパンを取り上げた番組を目にする。マイスターがパン作りを教えるといった特集でほんの数分の遭遇だったそうだが、ぐっと惹きつけられて自分もパンを作りたいという強い衝動を覚えたそうだ。なぜそう思ったのかと質問しても、「それが、よくわからないんですよね」と竹村さん。人間、弱っている時に何か特殊なスイッチが入るのか。
 ドイツパンドイツパン、どこかで教わりたいと思っていたら、「パン屋さんならすぐ近所にあるわよ」と奥さんの一言が。訪ねて、実際に教わり始めてから気づいたそうだが、その人は日本でも数人しかいないドイツパンの職人だったそうだ(!)
 そこからは、竹村さん持ち前の地道な取り組みと創意工夫で職人としての腕を上げ、出身地の北海道に店を構えることになるのだが、私はこういう「何かにぐいっと導かれるストーリー」が大好きである。

竹村克英さん セレンディピティ。この後記でも何度か書いているが、「偶然の発見、掘り出し物」という意味のシンクロニシティ。
 私自身も30歳をすぎた頃に立て続けにこういった「意味のある偶然の一致」が身の回りに起こり、なぜそんな不思議なことが起こるのか本を読みあさったことがあった。
 竹村さんは「たまたま入院してテレビでドイツパンに出会い、頭の中をそれでいっぱいにしていたら近所の目と鼻の先にドイツパンのマイスターがいた」といったような出来事がまさにセレンディピティだ。私は「ある作家の本を持ってホテルのコーヒーショップに入ったら、目の前にその作家がいた」や「大好きなアーティストのカセットをカバンに入れて旅していたら(その昔なのでいわゆるウォークマン)、コーヒーショップで通された席の前にその人がいた」といった体験。今書いていて気づいたが、私にとって日常から少し離れたホテルのコーヒーショップが「奇譚」に出くわす場所の確率大だ。
 なぜそんな共時性が起こるのだろう。宇宙の仕組みが知りたくてたまらず、それが私の原動力にもなっていたが、ある日心理学者のユングの説を紐解いた文章に偶然出会い、視界が180度転回したような気持ちになった。
 「大事なのは、そういう共時性がなぜ起こるのかではなく、この世はそういう共時性で溢れていることを認めること。そういう心の柔軟さで生き方はより良く変わる」
 そんな内容だった。そう、ユングは神秘を解き明かす学者ではなく心理学者だ。なるほど、心の持ちようなのだ、とスッキリしたことがあった。

 パン職人の竹村さんは、病の床のテレビでドイツパンに出会った時の突き動かされるような衝撃は「今でも何だかよくわからない」という。だけど、その心に従い真摯にパン作りに取り組み、師匠から教わった「お客様にとってのこの1個を気持ちを込めて作り続ける。なぜなら、パンは幸せを売るもの」という精神を大切にして今がある。
 導かれることには必ず何か意味がある。そうだとしたら、閃きに素直に従い、どんな未来が待っているのだろうとワクワクしながら目の前のことに一心に取り組む。それが柔軟な心で生きることに繋がるのではないかと、今回もそんなことを再確認した。

 私が見ず知らずの別天地北海道にやってくることになったのは、「全国で一番先に受かった放送局に入ろう」と自分で決めた約束に従ったからだ。地元の放送局に入ろうとか、南がいいとか北がいいとか、そんな自分の作為など一切手放して、身を天に任せる。その結果、今ここにいる。
 意味のある偶然の一致。目の前に表れるひとつひとつには、きっと何らかの意味があるに違いない。そんな導きにただただ感謝をし、「今」出来ること、「ここ」で出来ることに精一杯の持てる力を使わせていただこう。

(インタビュー後記 村井裕子)

HBC TOPRadio TOP▲UP