5月19日放送

 「人生とは、何かを計画しているときに起こってしまう別の出来事を言う」
 古いことわざだそうだが、50も過ぎればほんとうにこの言葉通りだと実感する。
 大海原、あっちへ行きたいと進んでいたつもりが、荒波や豪雨、潮目の変化にグイと身を持って行かれ、全く想定外の島に着いてしまうようなことの繰り返し。だが、そのあてがわれた場所で誠心誠意出来ることをやっていると、その思いもかけない場所が自分の人生のかけがえのない場所になっていく。
 辿った道を俯瞰で眺めて、「おお~、こんな軌跡を辿っていたんだ・・。この道もなかなか味わいがある」と、来し方を愛おしく振り返る。
 後悔しない秘訣は、「別の出来事」が起こった時に、けっして腐らず、グレず、あきらめず、一心に前に進むことか。与えられたその場所で一生懸命取り組んでいると、その道は必ず次の道に繋がっていくことに気づき、何か導かれているような確信を覚えて感謝の気持ちが溢れ出す。そんな法則がどうやらあるらしいということは、これまで「ほっかいどう元気びと」に出ていただいた方々も口々に同じようなことを話されている。
 「別の出来事」とは、人生の中でさらにその先に行く為の「お試し」なのかもしれない。

藤野佳代さん 今回の「ほっかいどう元気びと」は、和太鼓奏者の藤野佳代さん。
 北海道は鷹栖町の出身で、子どもの頃から母親の影響で太鼓と親しみ、高校卒業後に太鼓センター東京支社に就職して奏者としての腕を磨く。背中を押してくれたのは、「あなたは井の中の蛙(かわず)だから、北海道から出なさい」という母親の言葉。
 結婚してふたりの娘にも恵まれ、関東を中心に演奏や指導の仕事をしていた藤野さんだったが、2011年3月11日、東日本大震災とそれに伴う原発事故が起こったことで大きな選択を迫られる。当時住んでいた千葉県松戸市はホットスポットという放射能の局地的に高い地域との報道もなされ、幼い娘の健康のことを第一に考えた藤野さんは、夫を残して故郷鷹栖に避難してきたのだ。

藤野佳代さん 収録でスタジオに入ってきた時に、「花がほころぶような」という表現が浮かんだほど笑顔が素敵。話を始めると、すぐに感受性の豊かさ、繊細さが伝わってくる。太鼓のバチを持つと側転などのパフォーマンスもやってのけるというエネルギッシュな藤野さんだが、目の前でやや緊張気味に話す女性からは強さよりも感性の柔らかさが溢れ出してくる。
 そういう感性が、娘を案じ未来を案じて暮らし慣れた場所を離れるという選択をしたのか。どんなに不安でどんなに切なかっただろう。
 まさに、「何かを計画しているときに起こってしまう別の出来事」への遭遇。
 しかし、人の中の力が試されるのはそこからだ。
 鷹栖町に戻った藤野さんは、地元で演芸を楽しんでいる人たちに声をかけ、「鷹栖一座」という演芸グループを立ち上げてしまう。
 旭川にほど近いこの小さな農村は高齢者が多いことでも知られるが、「生涯元気」を合言葉に健康づくりの町としても知られている。運動の推進は勿論、鷹栖町のHPを見ると「自分の能力を活かし、自分らしく、楽しく生きることができる」とある。そう、歌うこと、踊ること、音を楽しむこと・・「演芸」は人本来の力を引き出す最高のツール。鷹栖町の人たちは演芸熱が高く、町の文化の拠点「メロディーホール」も有効活用しながら自分たちの能力を引き出しあっていたとのこと。その土地柄と藤野さんの培ってきた能力がぴったりと一致し、その相乗効果で一座は生まれたのだ。
 震災からの避難というのは思いがけない試練だったと想像するが、蓄えた自分の力を故郷に持ち帰り、町民のために自分の出来ることで「旗を上げる」。藤野さんのあるいは決められていた役割だったのかもしれない。

 「宝ものはなんですか ?」の聞き取りの中で、収録中に止まらなくなった涙を拭きながら、「関東で活動していた20代半ばの頃に心が折れてしまったことがあって」と、そこから立ち上がってきたエピソードを話してくれた。
 ふたり目の娘さんが生まれた直後、「自分の太鼓は自己満足なのではないか、誰からも必要とされていないんじゃないか」と思いつめて演奏が出来なくなっていたことがあった、と。元気がすっかり無くなって、心の中のガソリンがカラッポになったような状態。でも、目の前にはまだ幼い娘たち。日々成長するふたりの子育てに追われながら遊びの中で太鼓を叩いているうちに、少しずつ元気を取り戻し、また演奏活動が出来るようになっていったと言う。ふたりの娘さんの存在が、藤野さんの活力を引き出してくれた「宝もの」。

 人は大海の上でポツンとひとりで生きていたら、きっと力が出なくて死んでしまうだろう。誰かのため、誰かと思いを一致させて初めて人の中から力は湧いてくる。
 藤野さんの繊細な器の中に隠された力は、そうやって周りの大切な人たちによって引き出されてきたのだろうなと感じるエピソードだった。

 このあとどうなるか・・なんて、誰も分からない。「何かを計画しているときに起こってしまう別の出来事」を自分で引き受けて、また一生懸命に自分の船のオールを漕いでいかなくてはならない。
 計画した通りに進まないのが人生なら、こうなりたいという目標やビジョンなんか持っても何にもならないのでは?いいや、そうではない。「こういうところに辿り着きたい」という想いを持つからこそ、面倒がらずに考え、行動して船は前に進んで行く。荒波に揉まれても沈まない方法や、嵐の避け方を身につけ、変化に翻弄されずに自分で判断して進む力が付くのだ。

 「さあ、次はどういう島に着くのだろう」
 それが楽しめるようになると、航海そのものがまた愉し。
 そうやって「お試し」に逆らわずに進んでいくことで、やがて自分の頭でイメージした以上の場所に必ず繋がっていくのではないだろうか。
 「まさに、こういうところに着きたかったんだ」と、着いて初めて自分でも気づく理想の島に。

(インタビュー後記 村井裕子)

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