4月7日放送

 北海道の児童文学作家である井上二美さんの作品に「燻煙」という短編がある。(昭和41年発行の「にれの木」に発表、のちに童話短編集「月のふえ」に収録)
 主人公である十勝の農家の息子・幸作は、辛いことだらけの農業という家業にうんざりし、農地を捨てて札幌へ出て行く友達一家を羨ましく思っている。ある日、とうとう家出を思い立ってひとり列車に飛び乗り札幌へ向かうが、車窓に広がる大地に霜を防ぐための燻煙が立ち上るのを目にした途端、父母や祖父母達が日々厳しい天候と闘いながら作業をする凛とした姿が思い出され、「大切な忘れ物をした」と車掌に言い残し走って帰路につく・・・そういう物語だ。
 十勝の広大な大地に鍬を入れ続けてきた農家の人達の苦労と共に伝わってくるのは、命の糧を作り出す誇り。
 乗り合わせた列車の中、札幌から来たという乗客の男はその燻煙の光景を前にこう言う。「帰ったら私も、家内や子どもにたちによく云いきかせて、もっと食べものを大事にしなくっちゃあ」と。
 街に暮らす私達は、何かのきっかけが無いと「食べもの」がどれだけの手を経て食卓にやってくるのかを忘れがちになる。
 およそ半世紀前に書かれた井上さんのこのお話は、今の私たちにこそ必要だ。

井口芙美子さん 今まさにその「きっかけ作り」のために、楽しさという要素をふんだんに取り入れて活動しているのが、今回の「ほっかいどう元気びと」のゲスト、帯広の井口芙美子さん。
 札幌出身の井口さんだが、高い空と広い大地に憧れて帯広畜産大学に入学以来、十勝に暮らす。消費者と生産者を繋げたいと、2012年に「いただきますカンパニー」を立ち上げ、「十勝の畑でお散歩ランチ」などで「食と農の体験観光事業」を進めている。
 花のような笑顔がとても素敵な、2人の娘さんのお母さんでもある。
 井口さんは、「ほんとうに、草の根の取り組みなんですよ」と、今の活動が楽しくてしょうがない、といった明るさで語っていく。
井口芙美子さん 例えば5月は「菜の花のお花見」。菜の花畑でお散歩した後、菜種油で調理したランチをいただく。農家さんも一緒に。観光農園ではない、ほんとうの生産現場というのが大事なところだ。
 井口さんは信じている。「家庭の食卓が変われば、地域が、社会が、世界が変わる」と。そのために自分ができることは、「畑と人を結ぶこと。現場を見て感じてもらうこと」。
 受け入れる側の十勝の農家の方々も、嫌がるどころか「是非ともウチの畑へも!」という嬉しい反応なのだそう。

 農業や酪農といった食を生み出す第一次産業は、その人達だけが支えればいいというものではない。
 井口さん達がしているような「生産者と消費者を繋ぐ」取り組みは、農業と観光がともに支え合うということにも繋がっているし、街に暮らす私達の口に入る食べものはどこからやって来て、どう私達の命と繋がっているかという意識も深まる大事な取り組みだ。
 そうやって、「農」という北海道の大地が果たしているかけがえのない役割をひとつひとつ再確認して次に繋げていくことを、「わくわく」取り組むことも一つの方法なのだと、井口さんの溢れるほどのエネルギーに触れながら感じさせて貰った。

 インタビューが終わってお見送りを済ませ、その後2時間ほど、番組締めくくりのコメントや「宝もの」コメントを考え、収録し、清々しい気持ちで地下鉄に乗った。今日も素敵な人に出逢えたな。もう一度話がしてみたいな・・・そう思いながら座っていて、ふと目を上げると、そこにいたのはさっきまでスタジオで向かい合っていたその人。この路線はいつもの帰路ではなく、用事を足すために1年ぶりぐらいに乗った路線なのに。
 思わずふたりとも驚きの笑顔。期せずして同じ言葉がこぼれ出た。「ご縁がありそうですね!」
 私はここで降りますと言うと、彼女も「私も」。私は1番出口からと言うと「私も1番」。では私は右にというと、彼女も「私も右に」。この交差点を・・「私も、です!(笑)」
 永遠に一緒に歩いて行くのかと思ってしまうほど、素敵な偶然だった。

 笑顔が素敵な人は、別れた後も心に陽だまりを残してくれる。きっと井口さんのような存在は、周りのみんなが支えてくれたり、あの人にまた会いたいと思って訪ねてくれたりする人がどんどん増えていくだろう。
 触れ合う人を明るい気持にさせる笑顔を構成しているものは、ただ単に「のほほんとした日常」ではない。試練という要素や涙の成分がその人の深い根を作り、そこから深みのある微笑みが作られ、そうして人を癒していく。
 実は去年、困難な壁を乗り越えたという話もしてくれた井口さんを見送ったあと、私はこんな言葉を思い出した。
 上智大学名誉教授アルフォンス・デーケン氏のこんな哲学だ。

 「自分は非常に辛く苦しい状態にあっても、相手に少しでも喜んで貰おうと微笑みかける優しい心づかい。・・・これが『ユーモアの原点』である」

(インタビュー後記 村井裕子)

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