6月24日放送

 驚きだった。
 北海道北西部に位置する羽幌町。
 その昔、炭鉱があったことは知っていたが、40年以上も前に閉山しているその炭鉱街の廃墟群が、その後どうなっているのか考えもしなかった。まさか、朽ち果てながら、そのままになっているとは。
 国策、エネルギー転換、地方の繁栄の夢とその終焉。
 戦後の高度経済成長の旗印とされて30年間石炭を掘り続けた場所が、突然の閉山とともに、施設や建物の解体も処理もされず、新しい何かに作り替えられることもなく、草ぼうぼうの中に置き去りにされていたとは。

 「北海道は資本主義の巨大な実験場だった」と表現したのは、堺屋太一さんだったとか。
 国策という名のエネルギー政策。そして、その実験。
 いつでも「地方」は実験場になり、一時の繁栄を約束され、だがしかし、方針転換とともに幕は下ろされ、はしごを外されたまま、置き去りにされていく。膨大な設備の処理にかけるお金など、気づけばどこからも出ないまま。

 それでも、だ。
 上に登らされたまま、降りるための手も差しのべられない「地方」は、それでも、それぞれに前へ進んでいかなくてはならない。

工藤俊也さん 今回、「ほっかいどう元気びと」でお話を伺ったのは、羽幌の株式会社沿岸ハイヤーに勤める工藤俊也さん。
 観光シーズンに天売島、焼尻島だけではない羽幌の町の中を案内できる場所は無いかと同僚と話したのがきっかけで、自分も幼い頃住んでいた羽幌炭砿の跡を思いつき、ひとつひとつ足を運んで調べ、聞き取りをし、手作りマップをつくるうちに、産業遺産として見てもらいたいという思いを深めていったそうだ。
 実際、その炭鉱で働いていたというお年寄りをたまたま乗せ、確かにここにはマチがあり、確かにここに住んでいたんだよという、帰郷の感動に立ち会ったことも、炭鉱の跡を回る周遊コースとしての企画を立ち上げる後押しになったと言う。

工藤俊也さん 調べれば調べるほど、新しい発見があるし、当時そこに暮らしていた人たちが、そういう観光コースがあるならばと、久しぶりに羽幌の地を訪れてくれるのが嬉しいと工藤さんは話す。そして、その人ならではの体験を聞くのも興味が尽きない、と。

 これほど、訪れる人によって感じることが違う「観光スポット」も珍しいだろう。
 ある人は郷愁を感じ、繁栄を思い出し、ある人はこの国の「来た道」を思い、ある人は地方の「往く道」を思う。

 「この、羽幌炭砿跡の将来は?」との質問に工藤さんは次のように答えてくれた。それが、いつまでも、心の隅に残っている。
 「炭鉱跡に未来の展望はありません。自然に倒れていく、朽ちていく姿、そのままを見せるしかない。見届けてやろうという気持ちです。」

 今も、明日も明後日も人々は生きている、生きていく。
 はしごを外されようとも、何かを抱えていようとも、何かの残骸がそのままそこにあろうとも、今目の前にあることが現実。

 このインタビューの後、「敗戦から見事に登頂を果たした今こそ、実り多き『下山』を思い描くべきではないか」と説く、五木寛之さんの『下山の思想』(幻冬舎新書)が思い浮かんだ。
 「登ったら降りる。これは、しごく当たり前のことだ。私は、この『下山』こそが本当は登山のもっとも大事な局面であると思われてならないのだ」と。

 豊さを求めて高い山を一気に登り、そしてこの先まだ登り続けようとしているのか、降りたくても降りる方法が見つからないのか、見つけようとしていないのか、降りるのが怖いのか、すべてが曖昧のまま右往左往しているのが、今のこの国。
 ならば、地方こそがその「降り方」を実践していくしかないのかもしれない。
 ひとりひとりがこの故郷に住んで良かったと思えるような、ほんとうの「豊かさ」とは何かを考えながら、独自に、気概を持って。

(インタビュー後記 村井裕子)

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