12月18日放送

鈴木重男さん 今回のゲストの鈴木重男さんは、北海道師範塾「教師の道」の副塾頭をされている。生徒に向き合う先生達の学びと研鑽の場として、年に数回の講座や、教師になる人のための長期間プログラムの養成講座を提供している。その北海道師範塾の存在を知った時、そうか、先生達の塾が必要な時代なのだ、先生も学び続けることが大事なのだ…というのが最初の印象だった。

 鈴木さんは言う。教師自身が学び続け、実際に行動し、子供に努力を教えなければならない。教師は、その立ち居振舞いから見本になるような存在にならなければいけない。教師は子供の出す情報のすべて、例えば表情、声、動き、匂い…といったメッセージから、その子の今を感じとる能力を養わなければならない。
 ひとつひとつ、今失われがちな、でもやはりそこが大事なのだという熱い思いに溢れていた。真面目で熱心な先生がひとりで立ちすくんでしまわないように、共に悩みを分かち合い、様々な解決方法を柔軟に探しだしていくための「共育」の場でもあるという意味合いもあることが感じられた。

 私が出会った先生達のことが甦った。先生達はその時ずいぶん「大人」というイメージだったが、ほとんど今の私よりもはるかに若かったという事実に、一瞬狐につままれたような気持ちになってしまう。なぜ、あの頃年上の人が皆大人に見えていたのだろう。
 そして、思い出のスクリーンに、思い出の先生達が次々と浮かんできて、はっと思った。私はあの人達に、ちゃんとお礼を伝えただろうか。感謝の思いは伝わっているだろうか…。
 例えば、公立高校受験に失敗した時、しょげる気持ちに寄り添ってくれた中学の担任の先生。第二志望の私立高校で偶然出会えた放送部がきっかけで進む方向が見つかり、その後アナウンサー試験に合格したことを誰よりも喜んでくれた。「そんな隠れた力があったのに自分には見つけられなかった。悪かったな」と涙を流し、そのことを肴に父とお酒を飲んで「順風満帆ではなかったから、バネになったんだな~」と繰り返し、そんな生徒が自分にはいたんだということを、受験に失敗した子供達には伝えていくと何度も熱く語り、ちょっぴり飲み過ぎて千鳥足で帰っていった。一人立ちのお祝いとして、奥さんが選んでくれたという真っ赤な裁縫箱を送ってくれた。
 その頃は気づかなかったが、思えば、先生も悩みながらひとつひとつに向き合っていたのだ。生徒が受験に失敗して、責任を感じ、道に外れないために何ができるかを考え、嬉しい結果をともに喜ぶことで、ささやかな達成感、充実感を感じていたのではないか。先生も右往左往するし、迷いもする。小さな体験を積み重ねて先生道を進んでいく。今ならわかる、先生の気持ち。
 「生徒の隠れた力を自分は見つけられなかった」と何度も嘆きつつ、私が見つけた進路を人一倍喜んでくれた先生は、その後間もなくして重い病気にかかり、帰らぬ人になってしまった。
 お礼は充分言えただろうか、感謝の気持ちは届いていただろうか…。もう30年以上経つが、そんな思いが残っている。
 そして、改めて気づかされる。「順風満帆ではなかったからバネになったんだ」の言葉がいつもいつも私の心の中で支えになっていたことに。

鈴木重男さん 思い出を引き出してくれたのは、鈴木さんだ。普通高校に進んだ目の不自由な男子生徒と一年間一緒にアパートに住み、朝お弁当を作って生活を支え、教材プリントを点訳して勉学を支えたという鈴木さんのエピソードを聴いているうちに、教師は親や親戚以外で最も思いをかけてくれる、一生に何人かに出会うかけがえのない大人なのだという思いを強くする。だからこそ、どんな先生に出会うかが大事。先生の心や魂が何より大切。
 鈴木さんは、私の中学のその担任の先生と同じ「匂い」がした。
 私の先生も熱かった。そして、よくこう言っていた。「背中を丸めるな、シャキッと歩きなさい」「そこの男子!ズックの踵踏んで歩くと、そんな人生になってしまうぞ」
 今、生きていたら、鈴木さんより少し年上。先生としての経験を生かし、鈴木さんのように先生達に先生道を教えていたかもしれないと思ったら、じんときた。

 いただいた恩はもう返せない。けれど、触れあう誰かに少しずつ返していこう。
 しみじみ思う、静かに雪の降る夕暮れ。

(インタビュー後記 村井裕子)

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