11月27日放送

 三國さんのお話は、例えば食材で言うと北海道名産の筆頭である「鮭」のよう。
 今回のインタビューでそんなことを思った。
 全く、捨てるところが無いのである。
 お話のひとつひとつがエピソードに溢れており、そのひとつひとつに、ぴりりと塩が効いていたり、ちょっぴり辛かったり、旨味がじわじわと感じられたりと、絶妙の味付けで話してくれる。聴いているこちらは、感心したり、笑ったり、感動で鼻の付け根がツーンと痛くなったり、たっぷり楽しませていただいた。
 そう、三國さんのお話は実に「旨い」!

 三國清三さんは、言わずと知れた北海道増毛町出身のフレンチ料理のシェフ。
 15歳で故郷を出、国内外で修行を続けて世界にまで認められるようになったのはあまりにも有名な話だ。
 今回初めてお会いして、貧しさ故に味覚が育まれたという増毛時代のことや、札幌の修業から東京帝国ホテルでの鍋磨きの日々、挫折、一転抜擢されてスイスの日本大使館での料理長になった転機、海外の名シェフの元での貴重な経験、子どもたちへの食育への思い・・・等々の話を聴いて感じたのは、三國さんの「一所懸命さ」だった。
 7人兄弟の中で生きる一所懸命さ、15で奉公に出て他人の中で暮らすための一所懸命さ、そして料理以前の鍋を磨くということへの一所懸命さ、引き上げてくれた人へ報いるための一所懸命さ。
 「フランスの名店のシェフ達から学んだことは?」との問いに、その三國さんから即座に出た言葉が「彼らはとにかく一所懸命なんですよ」という答え。「一所懸命」を心の真ん中に持つ人は、他の人の「一所懸命」に引き寄せられ、触発され、益々その密度を濃くしていくのかとひとりごちた。
 しみじみ思う。そう、それしかないのだ。目の前のひとつのことにただ一心に取り組む。それがたとえ鍋を磨くことであろうと、必ずその方法は次の高みへ登っていく時の心の筋力になっていくはず。そして、そういう「一所懸命さ」は、必ず、誰かがどこかで見ている。

 東京帝国ホテルでの先の見えない修行に挫折感を覚え、もう北海道へ帰るしかないかと思った矢先に、総料理長の村上信夫さんに抜擢されて、20歳という若さでスイス日本大使館の料理長に就任する。村上総料理長は見ていたらしい。三國さんが、誰よりもピカピカに鍋を磨いていたことを。誰よりも先に気がついて先輩の料理の段取りがうまくいくような気働きをしていたことを。そして、まだ料理も作らせて貰っていないのに塩の振り方が絶妙だったことを。
 そんな村上総料理長をはじめ、チャレンジし続ける先々で素晴らしい出会いに恵まれたのはなぜなのかを訊いてみると、それは「誰でも自分を好きにさせてしまう」そんな能力を培ってきたのだと、三國さんは語ってくれた。
 15で米屋に奉公に出て、人の中で暮らす中で身につけたものだと三國さんは言う。人の目を見て人が思っていることの先をやり、人が求めていることを察知し動き、気づいたら相手の懐に入っている。何も無い15の少年が出来ることは、自分の技を磨き、相手に嫌われずに自分の力を使って貰うこと。そうやって、「世界のミクニ」は人の繋がりの中で出来上がっていったのだ。
 「こうやって話していても、話しやすいっしょ」と、北海道弁を交えて、インタビューの最初から最後までサービス精神旺盛に上機嫌で話してくれる。そう、一所懸命に好かれようとしてきた努力が、もう三國さんそのものになっている。

 その原動力はお母さんの「志をもつこと」の大切さと、「謙虚で皆に好かれなさい」という教えにあったとも話してくれた。貧しさゆえに育まれた味覚とももに、三國さんを形づくるルーツはやはり北海道・増毛にあるのだと感じた。

 今、三國さんの志は、味覚が形成される途中の子供たちへ、ほんものの味を知って貰うための「食育」という活動にも注がれている。ほんものの味、つまりは、よけいな加工をしていない「天然の味」。増毛で育んだ海や畑の味覚がやはりルーツ。
 「鮭」はやはり、生まれ育った川の養分が、その身の源を作っているのだろうなと思う。

(インタビュー後記 村井裕子)

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