8月14日放送

 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
 自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
 この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
 新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
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 これは、宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」序論の中にある有名な一節。

松原條一さん 宮沢賢治は、生き物全ての幸せを求めなければ、個人の本当の幸福はありえないと考え、すべての生き物、そして鉱石、風、虹、星・・・そういった森羅万象との交感から多くの物語を生み出した作家だ。

 今回のゲスト、NPO法人登別自然活動支援組織「モモンガくらぶ」の理事長、松原條一さんのお話を伺って、ふと宮沢賢治のその言葉が頭の中に降りてきた。
 松原さんが中心となって立ち上げたボランティア組織の「モモンガくらぶ」をNPO法人化することになった際、その活動の目的を突き詰めていってひとつの答えが明確になったそう。それは、「人は幸せにならなければならない。自分の幸せ、登別の人たちの幸せ、北海道の幸せ、日本の人たち、もちろん世界の人たちの幸せ。それが目的」ということ。
 「皆が幸せになればいいなあ」という気持ち、個人や企業もそこに向かっている。方法論の違いはあれど、何をやっても間違いではない。
 その普遍的な目的に対して、今自分たちは何をしなくてはならないかと考え、子育て支援事業や環境保全事業、人材育成事業をやっている。だから、この夏は福島の子供たちを受け入れた林間学校も。そして、そこに集まる人たちやボランティアに携わる人たちにも「幸せになるために何をしたらいいかを気づくための手助け」が出来たらいい、と。

松原條一さん 松原さんは、「自然は、そのための素材のひとつだ」とも言う。
 人間が置き去りにされるようなガチガチの「自然保護」というより、共存していくための「環境保全」。自然を守っていくことは大事だが、やはり、人間がそれとどう共存して心豊かに暮らしていくかがテーマなのだ。
 あまり「自然」を難しく考えずに、どうぞふらっといらしてくださいと松原さんは言う。登別の鉱山町にあるネイチャーセンターの森にお昼寝にでもいらしてください、と。

 宮沢賢治は、「注文の多い料理店」の序文で、こんな文章も書いている。
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 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
 わたくしは、そういふきれいなたべものやきものをすきです。
 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
 ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
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 「かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったり」することで、今の自分は何を感じるだろうか。
 賢治のように、「もうどうしてもこんな気がしてしかたない」という気持ちになれるだろうか。
 「林や野原や鉄道線路やらで、虹や月あかり」から「目に見えない何かをもらう」ことを忘れてしまうと、意識の中は-自分ばっかり-になってしまう。
 「すばらしいびろうどや羅紗や宝石入りのきもの」がすぐ近くにあるのに、それを見る目を曇らせてしまう。

 自然を「素材」とすることで、人は自分という森の道をも辿り、自分と他者とを繋ぐ「ほんとうのしあわせ」という果実を手にする気づきを得るとしたら・・・そうだ、森へ行ってみよう・・・賢治の心になるために。

 そんなことを改めて感じさせていただいた対談だった。

(インタビュー後記 村井裕子)

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