7月24日放送

 「自分は何を仕事にしていくのだろう」
 「自分は何に向いているのだろう」
 今、10代の人たちにとって、この先自分は自分の力をどう生かして、どう働いて行けばいいのか、昔以上に大変な時代だろう。
 いろいろな人の話を聴いていると、なぜその人がその仕事に辿り着いたのかが、十人十色でとても面白い。

橋本忍さん 札幌の陶芸家、橋本忍さん(42歳)は、33歳の時に初めて陶芸体験で土に触れたそうだ。その時の感動が大きく、「プロになろう!」と即座に思ったと話してくれた。
 「陶芸なんてちょっとバカにしていて、ほんとに軽い気持ちだったんだけど、何でもない土の塊から器(その時は徳利だったそうだ)が出来るって、ほんと衝撃だった」
 訥々と話すが、いろんなことを考えてきた人らしく、プラスアルファの言葉が必ず付け加えられる。
 「だって、今自分たちの生活って全部製品になっていて、暮らしの道具にしても着るものにしても自分で作ることってないじゃないですか。器を作ってみて、初めて自分の道具を自分で作れるっていいなと思ったんですよ」
 体験から、即陶芸家になろうと思ったのは「タイミング」という。
 聞けば、白老のご実家が焼きもの屋を営んでいて、窯もあるのだそう。でも、33歳まで全く関心もなく、父親がロクロを回すところも見ていない。
 「嫌い」な家業だったのが、1回の何気ない体験でその魅力に目覚め、実家白老で土練りの修行をするところから始めたそうだ。DNAの引力か、潜在意識のたまものか・・・「不思議ですよね」と何度もつぶやいていた。

 橋本さんは、20代の頃は札幌でバーを経営したり、バンドを組んだり、バイクでアメリカを旅したりしながら、自由とは何かを求め続けていたそうだ。とことん身の回りのものを捨て、そぎ落としていって、しかしあらゆるものを捨てきる寸前のところで踏みとどまり、「自分の仕事と、妻子という家族への責任」という「荷物」を新たに担ぎ直し、今プロとして「多くの人が幸せになるための」器作りに力を注いでいる。
 「自由を求めていろんなものを捨てていったけど、人が社会で生きていくためには、それだけではダメなんですよね。何も無くて早くすいすい走れるより、重い荷物を背負っても力強く走る方がカッコイイんじゃないかなと思うようになって」と橋本さん。

 「素敵な荷物」を自分から選び取っているなと感じたのは、3.11の震災の話をしてくれたときだ。
 あの大きな災害が起こってショックを受けた橋本さんは、数日後には器のチャリティーマーケットを全国の陶芸家達に呼びかけ、100人以上の陶芸家から提供して貰った器を売って、200万円近くの義援金を被災地へ送ったそうだ。
 そして、1回で満足してはいけないと、継続して被災地の人たちへごはんを食べる器を届ける活動も続けているという。
 「だって、数ヶ月経っても、紙皿でごはんを食べているなんておかしいじゃないですか。そんなの辛いじゃないですか」
 そう、切なそうに話す言葉が真っ直ぐだった。

橋本忍さんの作品 自分の器は、芸術というより毎日使って喜んで欲しいと言う。
 「橋本さんの器で食べると美味しい」と言われるのが一番の喜びだ、と。

 人はいろいろなきっかけで、自分の中に自分の仕事を引き寄せていくが、仕事が感動をもれなく連れてくるのではなく、「自分がやっていることが、どう人を喜ばせるか」、そこのところが実感できると(その根っこがしっかりしてぶれないと)、その仕事はやがてその人の天職になっていくのだろうと思う。

(インタビュー後記 村井裕子)

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