6月12日放送

木村祐司さん 東京ではスカイツリーが、今年12月の完成を目指し、天に向かってその手を高く伸ばしている。来春の開業時には大勢の観光客で賑わうことだろう。
 でも・・と私はひとりつぶやく。
 「東京タワーよ、頑張れ」と。

 単純な理由だ。東京タワーは私の生まれ年と同じ昭和33年生まれ。擬人化するのも何だが、同級生だからこその愛着だ。
 まさに「三丁目の夕日」のど真ん中。岩戸景気が始まり、ミッチーブームに沸き、ミスター長島が巨人軍に入団した年。「巨人・大鵬・玉子焼き」。
 世の中の皆がこれからどんどん夢が叶っていくと信じていた頃に育ったことはとてもありがたかったなあと、今しみじみ思う。
 世代論ですべての人を括れるとは思わないが、昭和33年生まれを分析してみると、「根性・天の邪鬼・我が道を往く」といったキーワードが妙にしっくりくる。
 団塊の世代がアツイ盛り上がりをみせた学生運動も思春期にはすっかり終わっていて、何となく中途半端な空気で青春時代を過ごすも、前の世代とは絶対違う選択をしたいという、ちょっとへそ曲がりの根っこが出来上がっていたように思う。しかもスポ根世代ゆえ、苦しいこと、辛いことは買ってでもしようという気概は十分。大人が右向けと言えば左、左斜めと言えば右斜めを向く天の邪鬼。型にはめられることがまっぴらで、それでいて自分の思ったところにまっすぐ直進、正義のミカタ・・・良くも悪くも「ウルトラマン世代」などと言われた年代なのである。

木村祐司さん 今回のゲスト、アスパラ農家の木村祐司さんも昭和33年生まれ。同い年対談だった。
 木村さんは、「俺は組織というところにいたら、具合悪くしてしまうだろう」と豪快に言い放つ。30代の頃は造林業の会社を立ち上げ、1年の半分はラオスの山奥で、80人ほどの現地スタッフを率いて仕事をしていたという。ある時、メコン川の夕日を見ながら、その圧倒的な自然の大きさに自分でもなぜだかわからない涙を流す。文明からは遠く離れたラオスの純粋な人たちの中で暮らすうちに、「自分の人生、これでいいのか?」と自問自答し、「お金を持っていればそれで偉いのか?お金さえあれば幸せなのか?そこから解き放たれてもっと自由に生きたい!」と思い立ち、造林業から農業へと舵を切る。
 「なぜ、アスパラだったのか」と訊くと、「お腹いっぱいアスパラを食べてみたかったんだよね~。はははは。」との答え。これは、きっと団塊の世代の人なら言わない台詞に違いない。昭和33年生まれのお茶目な空気がふわっと濃く漂った。
 新分野への挑戦は、すべてが新しい事だらけ。独学で、甘みが強くえぐみのないアスパラを作るのは並々ならない苦労があったという。試行錯誤を繰り返し、アスパラ農家として軌道に乗るのはスタートしてから5年後、口コミで人気が出始めたのはそれからまた2年後だったというが、やはりそこは「スポ根」魂がしっかりと支えていた。今、どんなことにも耐えられるのは、函館有斗高校のバスケット部時代の上下関係があったから。「あの3年間の苦しさを思えば何でも乗り越えられる」という、星飛雄馬もびっくりの体育会系、打たれ強い根っこが、後の苦しいターニングポイントを支えたのだ。

 木村さんの作る「ぽん太のアスパラ」は、とにかく甘みが抜群で、香りがいい。
 旬の時期にお腹いっぱい食べてみたい!と思ってしまう。二人三脚でスタート時から収穫作業に携わる昭和9年生まれのお母さんの陽子さんが、今もアスパラ畑で刈り取りに精を出していらっしゃるというのは、その健康効果の実証だろう。
 「収益を上げるための効率化はしない。お客さんに喜んで貰えるような旨いアスパラを作る」という木村さんのやるべきことは至ってシンプルだ。
 文明の進歩、経済至上主義とは真逆のラオスで夢見た、「何が幸せかの暮らし」を今まさに体感しているのだと思う。
 「根性・天の邪鬼・我が道を往く」の昭和33年生まれの典型を、ここにもみつけた。

 東京のスカイツリーは、これから華々しい活躍をし、人びとの注目を一心に浴びるのだろう。しかし、どっこい、東京タワーもまだ終わるわけにはいかない。
 この日本が上を向いていくために。頑張ろう、昭和33年組。

(インタビュー後記 村井裕子)

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