半﨑美子のハンザキラジオ

半﨑美子のハンザキラジオ

2024年3月17日(日)放送レポート

今週も西へ東へと精力的に駆け回った半﨑さんです。
「金沢・北國新聞赤羽ホールでの明日を拓くコンサートを終えて、言葉にならない結びつきを感じました。北海道をテーマに書いた"明日を拓こう"を発売してからずっと"明日を拓くコンサート"ということでシンプルな構成のコンサートをずっと5年6年と続けてまいりましたけれど、このコンサートを続けてきてよかったなと改めて思いました。通常、会館のコンサートではサイン会っていうのを行っておりません。基本ショッピングモールのライブのときだけなんですが、今回は会館さんのご厚意もあって実施できました。こういう形でサイン会をさせていただいたっていうのはCDの売り上げを寄付させていただきたいという思いもあったんですけれど、普段はCDショップの方が販売に来てくださるんですけれどそうするとショップの方の売り上げがありますので全額寄付っていうのは難しいので、今回はCDを自分たちで買い取って持ち込んだんです。開場時からCD販売も長蛇の列で本当にありがたかったんですけど、開演時間に食い込んでしまって。私も余計なお世話で整理券のようなものを当日作って、紙に番号を書いて「半」っていう判子だけを押して、という即席の整理券みたいなのを作ったんですけど、その紙の存在が余計皆さんを混乱させてしまったのではと思ったり笑。そんな感じでてんやわんやではあったんですけど、皆さんのご協力のおかげで、一旦区切りをつけてコンサートをいつも通り始めることができて、募金とCDの売上全部で41万5000円。能登地震の災害義援金として主催の北國新聞さんにお渡しすることができました。本当にありがたい限りでした」

半﨑さん「この日のコンサート、ステージ正面の一番前に"珠洲から来ました。感動の歌をありがとう"と書いているボードを持っているご夫婦がいらして、それを見ただけで涙が出ました。大変な中本当によく来てくださったなって。ライブ後にそのご夫婦とサイン会でお話をしたんですけれど、避難所から駆けつけてくださったそうで。本当に来て良かったですとお互い涙を流しながら堅い握手をしました。3日前にやっと水道が使えるようになったという穴水の方から来てくれた方や、輪島から来た方、液状化がひどかった内灘からとか、もちろん石川県以外でもたくさんの方がご来場くださいました。一方で、毎年必ず参加していたコンサートだけれど今年はどうしても参加できません。そういう方もホームページにメッセージいただきました。会場に駆けつけてくださった方と、来られなかった方、ここにいない方と同時に繋がるような時間だったと私は感じています。サイン会では、家が全壊してしまったことや避難先のこと、様々な思いを話してくださいました。珠洲市にある学校の校長先生からは、"明日への序奏"を子供たちに聞いてもらって、学校だよりに歌詞を載せたと。大変な被害の中、何とか子供たちは15日に無事卒業を迎えるということで、私からメッセージを送らせていただきました」

★ラジオネーム:石川県・空太朗さん
「北國新聞赤羽ホールのコンサートに参加できたことを誇らしく思います。当日私が自宅を出ると同時に雪が舞い降り始め、その光景に脳裏に浮かんだ曲がありました。今日はもしこの曲を歌われたならちょっと出来過ぎかなと思いながら雪の中会場へ向かいました。いつものように始まった影ナレ、軽やかな足取りでステージ中央に立ち、深いお辞儀をされた後、歌い出した曲がなんと、歌われたら出来すぎと思った曲で、瞬時に私の目はかすんでしまいました。元日に発生した地震以降しばらく音を遠ざけていた私がようやく半崎さんの歌を聞いた曲(雪の消印)でした。ただ、そのときの私といえば、能登の珠洲に帰ることもできず、報道でもたらされる崩壊してしまった故郷の姿に、定めのない虚無感の中、身を置いたまま、歌を聞くというより会話をしていたということが正しかったかもしれません。しかし、気づきます。何もできずに泣いてばかりいる毎日があっても、いつしか自分らしく強くなっていたこと。母が私がまだ子供の頃、いたずらをしたとき、叱った言葉も同時に。強くまっすぐに正しく生きないと。そういうことが心に溢れたとき初めて涙が出ました。寄り添う歌というのは、人が必要とするときにそっとそばにいてくれるものなのですね。これまでのコンサートとは少し違う雰囲気に包まれたと感じる会場は、半崎さんの寄り添う思いを受け止めた観客の皆さんとの心が一つになった証。今をもってコンサートの余韻は消えていません。半崎さんには感謝してもしきれないです。サイン会では迷いましたが、あの花のあったことをお知らせしたくて。倒壊した私の実家の写真をお見せしました。半崎さんは号泣されていましたが、亡き母の思いが半崎さんに伝えられたように思いました。今回のコンサートで多くの方々からご心配をいただき、また励ましの言葉をいただきました。いつか必ず珠洲で半崎さんの歌声をお聞かせいただけることを願い、信じています」

この日は、石川県金沢市・北國新聞赤羽ホールで披露した「能登のうた」のライブ音源をお送りしました。
半﨑さん「今の私がかける歌をと思って短い歌を書きました。去年3月11日に開催した能登でのコンサートのときに見たあの穏やかな海、静かな海。私の父の祖父が能登の当時珠洲郡から北前船で北海道に渡った。当時どんな気持ちでこの海を渡ったんだろう、そんなことを思いながら見つめていたあの海と、能登を象徴するような、能登のシンボルのような、見附島、軍艦島。凛とした佇まいと神聖な空気をまとうあの島、そして能登へ思いを馳せて作った短い歌です」と語りました。

<お知らせ>
*3/30(土)ミニライブ&サイン会@インモール札幌苗穂 午後2時~ 観覧無料
*4/5(金)「半﨑美子デビュー記念日コンサートwith武部聡志
~ありがとう道新ホール」@札幌・道新ホール

2024年3月10日(日)放送レポート

先日は湧別町でコンサートがあった半﨑さん。コンサートで演奏したピアノ:ミトカツユキさん、ギター:和田健一郎さん、パーカッション:入倉リョウさんと、湧別町から紋別空港へ向かう車内のカーラジオで、「ハンザキラジオ」をリアルタイムで聞いていたそうです。なかなかないレアな時間でしたね。 半﨑さん「湧別町でのコンサートは本当に盛り上がりました。北海道に生まれてよかったなと改めて感じる、そんなひとときでもありました。いつも故郷のコンサートは親戚の集まりのような、ほっと安心する実家感、実家に帰ってきたような感じがありますけれども、湧別町文化センターさざ波は今回で2回目です。さらにその結び付けが強くなっている気がして感激しました。アンコールが終わったときは、皆さん孫を見るような目でこちらを見つめてくれていて、見守ってくれていて、あんなに優しい眼差し・拍手があるのかと。実際にステージにプレゼントとかおひねりのような、お年玉のようなお心遣いを持ってきてくださる方がどんどん続いて、さらにその光景に拍手が起きるという、こんなこと初めてです。本当ありがとうございます」と話しました。

★ラジオネーム:けい&あきさん
「夫婦で参加しました。明日を拓くコンサート前列一番右側の席で見ていました。美子さんの衣装、湧別町にちなんだチューリップ、ホタテの衣装とても素敵でした。アンコールも含めてのコンサート、あっという間に終わり、高揚感あふれました。コンサートの最後の演壇でプレゼントを渡していたお爺さんが半﨑さんと長くお話をされていた内容を、半﨑さん自ら、“今度紋別のイオンにぜひ来て欲しい”といった内容を会場内で説明してくれて、会場のお客様も一斉に笑顔が。アットホームな雰囲気になり、印象に残ったコンサートでした。5月19日、かみゆうべつチューリップフェアに参加が今年も決まり、盛り上がること間違いなしですね。これからも夫婦で応援しています」

半﨑さん「チューリップ応援大使として、ステージにチューリップを飾りたいなと思って、花瓶を5個スーツケースに詰めて東京から持参して、あと自宅から持って行った写真立てにチューリップ公園の写真を入れたりして、少しでもコンサートホールで雰囲気を出したいな、みんなで共有したいなと思ってたんです。実行委員の方からは若いチューリップをいただいて、つぼみがこれから花開くようなフレッシュな状態で、ステージに30分ぐらい飾らせていただいたら、ライブ中にだんだん花が開いてきたんですよ。目の錯覚じゃないですよ本当に。春を受け継ぐチューリップ、この日もお届けしましたけど、非常に盛り上がりました」と話しました。
花瓶五個、東京の自宅から持参したって・・・笑 すごいですね。

お葉書でメッセージをいただきました。
★遠軽町・敏子さん
「湧別でのコンサート聴かせていただきました。ありがとうございます。“明日を拓こう”この歌を聴くといつも心にしみて涙が止まらなくなります。でも聴いた後は、私も何かしなければと元気になります。オホーツクに生まれなんと70年!! 春の光がまぶしい季節になると、この大自然の中の私も身体がムズムズと力が湧いてくるような気になります。土の中で今、根をはろう、そして春を迎えに行こう。今!!その時のような気がします」

宮城県で行われた東日本大震災「心の復興コンサート」に参加された方から。
★ラジオネーム:あんころもちさん
「本当に夢のような時間で、またここからの1年を前を向いて頑張れる、そんな気持ちになったコンサートでした。名取で開催される3回目の心の復興コンサート。今回地元の福祉施設の数ヶ所から多くの方が参加されていました。地元だからこそ参加できる、参加したい、そう思っている方が宮城にこんなにもいることを知りました。心の復興コンサートが毎年開催されていることが少しずつ認知されてきて、それぞれの行けると思えるタイミングが今回の第3章だったのかなと思うと、続けることの意味を改めて感じ、ぜひ末永く続いてほしいコンサートだなと改めて思いました。参加されていた福祉施設の方々は、自分たちが行っていいのか、迷惑をかけてしまうのではないか、大きな声を出してしまったらどうしよう。そんな不安や心配を乗り越えて今回参加されました。実際MC中に大きめの声が聞こえる場面はあったのですが、曲中に聞こえてくることはありませんでした。初めはびっくりして下を向いていた方もコンサートが進むにつれリラックスされたようで、途中からは手でリズムを取り、ステージを楽しまれている様子がうかがえました。コンサートが終了したときの皆さんの笑顔、半﨑さんにお見せしたかったです。言葉こそないものの、まっすぐにステージを見つめるその目からは“楽しい”が溢れていました。生まれて初めてのコンサート、初めて家族全員で参加するコンサート。我が家がそうであったように、一生忘れられない時間になったのではないかと思います。そのひとときを近くで見守ることができた私は、幸せのおすそ分けをいただいたような温かな気持ちになりました。残念ながら今回は参加できなかった方もいらっしゃり、名取でのコンサートの開催を楽しみにしている人がまだまだいることを半﨑さんにお伝えし、今日はこの辺で終わりにしたいと思います。また来年もお会いできますように、半崎さんがずっとずっと元気で歌い続けられるよう願っています」

<お知らせ>
4/5(金)「半﨑美子デビュー記念日コンサートwith武部聡志〜ありがとう道新ホール」@札幌・道新ホール

2024年3月3日(日)放送レポート

卒業生の皆さん、そのご家族の皆さん、ご卒業おめでとうございます。お弁当作りが終わった方もいらっしゃるでしょうね。長い間お疲れ様でした。

湧別町でのコンサートの前日、湧別高校の卒業式でサプライズ歌唱をしてきたという半﨑さん。詳しくはまた今度ですが・・・
半﨑さん「去年は有朋高校の校歌を書かせていただいて、卒業生の皆さんに新しい校歌を届けて、餞として歌いに行った、そんなこともありました。朋よという歌です。新しい校歌を卒業のタイミングで聞くというのは、とても稀なことかもしれないんですけれども、伴奏歌として書かせていただいたこの歌は、新たなステージの入口に立つそんな人へ贈る歌でもあるので、ある意味卒業のタイミングで歌いに行けたというのも、すごく意味深いなと思っていました。“踏み出した一歩は果てなく美しい 未知なる広野へと挑む輝き”という歌い出しから始まるんですけれども、まさに悩みながらも迷いながらも自分で選んで踏み出した一歩、勇気を持って踏み出した一歩を称えるような気持ちで書いた曲」

先日は熊本県八千代座、宮城県での復興コンサートがあった半﨑さんです。
★福岡県・トロントロンさん「八千代座の3年半前のLiveで「必ず戻ってきます」言われました!帰って来ると信じてました!九州に帰って来てくれたことに感謝してます!ピアノの前 二列目に座っていた私は、最初から最後まで美子さんがウルッとしていたので、わたしまでウルウルで、応援グッズで似顔絵をうちわに描いて応援するはずが、それどころではなく持ってるだけでした!美子ワールドにはまりあっという間の時間でしたが、共に過ごすことが出来て最高に幸せな時間でした!ありがとうございました。また帰って来てくださいね」

半﨑さん「八千代座、3年半前の宣言からついに皆さんのおかげでまた帰ることができました。感激ひとしおでした私も。八千代座は趣のある芝居小屋ですけれども、単純にお客様との距離が近いとか、枡席にお客様が座っていることでなんだかとても親近感が湧く、っていうだけではなく、何か長い歴史の中で、これまでの数々のお芝居だったり、演劇だったり、落語だったり、コンサートもありますけど、笑いとか涙とか物語がこの小屋に宿っているっていう感じがすごくして、熱気というか活気を感じるんです。明治43年に建設された芝居小屋で一時は取り壊しになるというところから、町の皆さんが30年を超える復興活動を実施して大修理を経て、現在国の重要文化財として山鹿に息づいている。町の皆さんが残すとか文化を絶やさないっていうことに尽力してきたからこそ、そういうふうに手渡してきてくれたその時代時代の人たちの手によって、私は今この八千代座に立って歌うことができているんだなと思うと、皆さんとあの空間を分かち合えたことって本当に特別なことだなって感じながら歌わせていただきました」

★日高町・飛行機大好きさん「心の復興コンサートwith仙台フィルメンバーズfit.稲垣潤一へ参加させてもらいました。仙台フィルメンバーズの見事な演奏を堪能し、美子さんの熱唱に聞き入り、若い頃、車のカーステレオで何度も聞いた稲垣潤一さんの名曲の数々を懐かしく思い、ラストのセッションでは稲垣潤一さんのイメージと異なる軽妙なトークに爆笑させられ、何とも楽しいひと時を過ごさせて頂きました。ありがとうございます。美子さんも稲垣伝説のモヤモヤが解決して良かったと思われていると思います(笑)来年もまた参加させて頂きたいと思います」

半﨑さん「この稲垣伝説というのはですね、私がセッションのタイミングで、実は一つ稲垣さんにお聞きしたいことがある、都市伝説かなと思いながらお聞きしたんですけれども、稲垣潤一さんのコンサートに間違って稲川淳二さんのコンサートだと思ってこられていた方が過去にいたというのをラジオで聞いたことがあって、その真意のほどを確かめたところ、本当に稲川淳二さんのコンサートだと思って来られた方がいたそうです、過去に何度か。怪談話だと思われたのかもしれませんけれども。本当に気さくな、そして歌心満載の稲垣潤一さんとご一緒させていただく貴重な機会でした。心の復興コンサートこうして毎年いろいろあったけどまた名取で会えたねと仙台フィルの皆さんそして会場の皆さんと、確かめえあるようなそんなコンサートを、来年もその先もずっと続けていきたいなと改めて感じた日でした。金沢のコンサートもそうですね。毎年こうやって続けられたらなと。この日番組でも以前お話しました石巻の阿部良助さんご夫妻が見に来てくれていて、阿部さんは大川地区そして釜谷地区で津波の犠牲になった269名の方たちを偲んで、269本の桜を植樹された方で、私のサクラ~卒業できなかった君へを聞いて、これは俺の歌だと、まだデビュー前に歌いに行ったときに涙されて。それからずっと交流が続いていて、私も以前、桜を植樹しました。オオヤマザクラ。コンサートの翌日久しぶりにその桜を見に行くことができたんですけれども、植樹した6年前は細い体で、風に耐えて何とか根を張ってくれて、おかげで今はとっても幹が丈夫で太くなっていました。花芽もたくさん増えてました。4月に花が咲くのを想像しながら帰ってきました」

<お知らせ>
4/5(金)「半﨑美子デビュー記念日コンサートwith武部聡志〜ありがとう道新ホール」@札幌・道新ホール