ほっかいどう元気びと

日曜日 あさ9:30-9:50

2020年2月23日のゲスト

荒井 秀樹さん
北海道エネルギー株式会社 パラスキーチーム 監督/
パラノルディックスキー日本チーム ゼネラルマネージャー
荒井秀樹さん

旭川市出身 65歳。
農家に生まれ、夏は手伝い冬はスキーに親しむ子ども時代を過ごし、中学から本格的にクロスカントリースキーをはじめる。
大学卒業後は東京都江東区役所に勤めながら、東京都スキー連盟のジュニア強化に関わり、長野パラリンピックではノルディックスキーのヘッドコーチに就任。
その後ソルトレークから2018年平昌大会までパラノルディックスキーの日本代表監督として6大会連続でメダリストを送り出した。

radikoのタイムフリーを使用すると、放送終了から1週間ほど番組を聴くことができます。

村井裕子のインタビュー後記

荒井秀樹さん 今回の『ほっかいどう元気びと』は、障がい者のクロスカントリースキーを20年以上に渡って牽引してきた旭川市出身の荒井秀樹さん 65歳。現在、北海道エネルギー株式会社 パラスキーチームの監督としてジュニア選手の育成に、そして、パラノルディックスキー日本チームのゼネラルマネージャーとして日本全体のパラスキーのレベルアップに尽力されている。1998年の長野パラリンピックに向けてノルディックスキーヘッドコーチにと白羽の矢が立てられた当時は全てが白紙状態だったというが、選手集めや仕組み作りから着手し、長野から2018年平昌大会まで日本代表監督として6大会連続でメダリストを輩出し続けている。次なる2年後の北京大会は勿論、さらなるその先を目指して育成を続ける情熱の源を伺った。

 荒井さんをスタジオにお迎えして簡単な打ち合わせをする中でまず興味を引かれたのが、“パラスキーはスカウトから始まる”というキーワード。健常者のスキー選手ならジュニア大会などから強化選手を選ぶことが出来るが、障がいを持ちながらウインタースポーツをしている子供達は圧倒的に少ないためにいろいろな場所で荒井さん自ら声を掛けるのだという話に惹き付けられた。例えば、何らかのハンデキャップを持ちながら他のスポーツに取り組んでいる子に「スキーをやってみないか?」と話しかけたり、電車の中で車椅子の子に「スキーに興味がある?」などと訊いてみたりするとのこと。このインタビュー前に資料として読んだ荒井さんの本『情熱は磁石だ』(旬報社)の中にも、長野パラリンピックを控えて選手探しから始めた際、全国中学校スキー大会に片腕の少年が出場していたという情報を頼りに、のちに金メダルを獲得する新田佳浩少年を探し当ててスカウトした感動的なエピソードが綴られていた。まさしく、選手も組織も資金もスポンサーもコーチもいないという、無い無い尽くしのスタートだったというパラスキーの世界。インタビュアーとしては、原動力やコーチングの心得、様々なエピソードも訊いてみたいが、例によって時間内にどう熱い思いを収めることが出来るかと葛藤しながら、お話を紐解いていった。
荒井秀樹さん 長野五輪のパラスキーヘッドコーチにと声を掛けられた当時、荒井さんは東京都江東区役所に務める傍ら、クロスカントリーのジュニア強化に関わっていたとのこと。ジュニアと一緒に練習出来ればと軽い気持ちで受けたものの、パラリンピックは2年後と迫るのにまだ選手がいないという状態にとても驚いたというが、「選手やコーチ、スタッフ達と皆で一緒に作り上げていこうと思った」と振り返って言う。逆に大きなチャンスになっていったと思うと。そんな中、“バネ”になったのは何なのか。荒井さんは、当時のオリンピック・パラリンピックは組織委員会も別で、行政区分もオリンピックは文部省(当時)、パラリンピックは厚生省(当時)と縦割りの状態であり、予算もトレーニング環境も雲泥の差だったと状況を説明し、その上で、「スポーツは全員に平等に与えられるもの。そういう社会を作らなければならないということに“ビビッときた”。障がいを持っていても頑張っている選手達がいることを多くの人に知ってもらいたかった」と語る。
 その“バネ”を元に、ひとつひとつ乗り越えるためにしてきたことは何か。その問いかけには、「工夫をすることが大事」と言い、パラノルディック選手達と接してきた中で彼らの生活の工夫を沢山教えてもらったと続ける。片腕選手の掃除の際の雑巾を絞る工夫を例に、「スポーツもいろいろ工夫をすれば必ず出来る。皆でやり方を考え、改善してきたことが楽しかったし、やりがいがあった」と。そして、そんな取り組みを通して学べたことは、「空気を作ること」と話されていたが、スキーの楽しさを障がいを持つ人達に伝え、その人達の頑張りを社会にも広く伝える活動をおこし、感謝の思いを引き出し合ってきたということなどを聞くと、全く新しい空気を醸成し続けることがヘッドコーチとしての大きな役割だったのだと腑に落ちる。
 そして、「“何もない、これもない”と言っていても前に進まない。とりあえず自分が思ったことを口に出していくと、必ずそこには知恵や人が集まって実現出来る」と、“情熱は磁石だ”の意味も言葉にしてくれたが、パラリンピックの理念となっている「失ったものを数えるな、あるものを最大限に生かせ」という言葉とともに、パラリンピアンを超えて、すべてのひとりひとりがそんな信念を持つことの大切さを改めて感じさせていただいた。

 荒井さんが見据える未来図は、選手達のさらなる強化やパラリンピックでの勝利というのは勿論だが、さらにその先に「共生社会の実現」がある。収録後のこぼれ話の中で、「社会の“ものさし”は、障がいを持つ人達が高度な職業に就けているかどうかということだと思う。そうなって初めて“共生社会”と言える」という言葉もあった。パラスキーを牽引してきた荒井さんの“さらにその先”というのは、スキーというスポーツの分野だけにかかわらず、障がいを持つ人がもっとあらゆる職業にチャレンジ出来、社会の仕組み自体が変わっていく未来。そういうところまで影響力を持ちたいのだと静かな情熱で話されていた。
 そして、そのためのご自身の関わり方は、「背中を押してあげる“後ろからのコーチング”。前に立ってぐいぐい引っ張るのではなく、相手のことをよく見て、良く聴いて、人間性も引き出していきたい」とのこと。その胸のうちにあるのは、障がいを持つ選手達が監督やコーチになって次代の育成に関わるようになってほしいという願い。長野パラリンピックに備えて海外視察をした時にハンデキャップを持つ当事者が監督やコーチをしていたという先駆的な取り組みに驚いた思い出があり、その実現を夢みているのだという。
 パラスポーツに関して20年前は海外に比べて圧倒的に後れを取っていた日本だが、ここにきてようやく、夏も冬も「オリンピック・パラリンピック」が並列表記されるようになり、かつての“リハビリのための運動”から遙かに高い能力で競い合うれっきとしたスポーツの域に達する時代になった。その陰には、例えば荒井さんのように、強い思いで組織作りや仕組み作り、選手発掘に奔走してきた人がいるのだということを忘れてはならない。そういう人の情熱の声を丁寧に伝えていく放送でありたいとつくづく思う。

(インタビュー後記 村井裕子)

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パーソナリティ

村井裕子 フリーキャスター/声と言葉の自己表現「村井塾」主宰

HBCで18年間勤務の後、フリーとして活動。現在は放送や朗読表現活動の他、札幌や帯広など道内各地で「話し方」「朗読」講座を通し、声と言葉の自己表現による人の魅力作りにも尽力する。

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