ほっかいどう元気びと

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2019年12月15日のゲスト

大下 宗吾さん
「成吉思汗 なまら」店主
大下宗吾さん

釧路市出身 41歳。
札幌南陵高校時代に芸人を目指し、同級生とコンビを組みオーディションを受けるが卒業と同時に解散。その後は商事会社の営業マンとして働く。25歳の時にCREATIVE OFFICE CUEのオーディションに合格しタレントに。テレビ・ラジオ・ドラマ・映画などマルチに活躍するかたわら、2016年、「成吉思汗 なまら」をオープン。
2018年3月、15年間のタレント生活に区切りをつけ「成吉思汗 なまら」店主としての新たな人生をスタートさせた。

 

村井裕子のインタビュー後記

大下宗吾さん 今回の『ほっかいどう元気びと』は、札幌で「成吉思汗 なまら」を経営する大下宗吾さん 41歳。道内を拠点にテレビのレポーターやラジオ番組のパーソナリティ、お笑いのステージなどマルチなタレント活動を15年続け、去年春に引退。現在はジンギスカン店主を専業としているという。新たな分野にどんな思いを込めているのか、お話を伺った。

 スタジオに入って開口一番、「僕は、北海道の食をどうこうしようなどという大それた思いではやってないんですけど・・・いいんでしょうか」と、“インタビューを受ける側”として少しはにかみながら思いを口にする大下さん。ふと、思う。メディアという媒体で使われがちな“定型”や“雛形”表現を。例えば、飲食業の人の夢としては“食を通して北海道を元気にする”とか、タレント業なら“笑いで世の中を明るくしたい”とか、定型句に収めると分かりやすく様にはなるのだが、言葉の送り手はいつもそれに抗いたいと思っている。そういった定型を何とか壊せないものかとエネルギーを使う。予定調和になってはいけない、決まりきった型に小さくはまってはいけない、言葉だけ上滑りになってはいけないと、制約の中で必死にもがき、オリジナリティーを求めて時には抵抗する。・・・きっと、放送の現場で伝えることを生業にしていた大下さんも沢山の制約や緊張の中で定型を破る気の利いた一言や笑いを誘う言葉を必死に発しようとしていたに違いない。そう思うと、分野は違うが同士だ。「大それたものというより、大下さんの今の素直な気持ちをただ聞かせて欲しいです」と伝えて収録に入ると、引退後2年近く経つ今の心境を飾らない言葉で表現してくれた。
 大下さんが15年間のタレント業にピリオドを打ったのは、「この仕事に満足出来たから」。とは言いつつも、「心境としては、正直、辞められてよかった。自分の才能がこのぐらいまでしか行けないなというのも時々感じていて、あきらめた部分もあった」と照れ笑いをしながら率直に吐露する。事務所の社訓が“マルチであれ”。来る仕事に自分の実力を追い付かせることにとにかく精一杯で、気づいたら15年。なんとか繋ぎ繋ぎやっていたのだと。
 タレント業の傍ら2016年に自分の店である「成吉思汗 なまら」を始めたのは、例えば80歳までタレントをやっていけるかイメージが出来なかったからと言い、全く経験の無い飲食業に踏み出せたのは、リポーターとして訪ねた店が数千軒あり、そこで出会った店主達の影響がとても大きかったということと、その一軒一軒が密かに“サンプル”となって自分の中に蓄積されていたのかもしれないと自己分析する。“食レポ”の積み重ねの経験を、食を提供する側になった時にどんなふうに活かすのだろう。そこから分析出来た“愛される店”とはどういう店ですか? と訊くと、「それが分かるまで頑張っているという感じ。きっとそれは誰も分からない。分からないから毎日毎日が勝負」との答え。その逆の“お客が来ない店”とは? と尚も訊いてみると、「それは、自分が客として嫌だなと思うようなことは自分の店ではやらない」と明快な答え。
 受け答えのレスポンスが早いのでラジオ番組の“掛け合い”をしているような気分になって、私自身もちょっと懐かしい感覚になる。とはいえ、話している内容は第二の人生をどう構築していくかという真面目なテーマ。そこが『元気びと』“らしさ”だ。飲食店は始めることより続けていくことが難しいとよく言われるが、大下さんが開業にあたって調べたデータでは、“未経験者の開業は3年以内に8割~9割廃業”という厳しいものがほとんどだったそう。それでも前に進めたのはなぜだったかを伺うと、一言、「結婚ですね」。かっこ悪いことは出来ない、家族を養うという大きな責任が原動力。調べるデータの中であえて“飲食業経営の失敗例”を多く集め、それを全部潰していけば失敗しないという思いで店作りを進めて行ったのだという。成功からではなく、失敗から学ぶ考え方です、と。
 そして、長く続けるためには、王道が、スタンダードが一番。店を大きくすることよりも、普通に基本のものが美味しいということを大切にしたいと堅実な言葉で語ってくれたが、「はるばるやって来てくれる人もいる。自分のお店のジンギスカンがその人にとって一生忘れられない食事になってもらえたら」という言葉に今の店主としての思いがそっくり込められているのだと感じられた。

大下宗吾さん 収録後にこぼれたのが、「今、“テレビに出なくなったの? ”と皮肉交じりに言われても、全然悔しくはないんです」という言葉。それはどういう気持ち? とさらに訊くと、「自分の中で、いつでも“今日が最高”という思いを持っているから」という答えが返ってくる。そして、「積み重ねたもので“今日の自分”があるから、あの時はよかったと思うことはないです」と続ける。お店作りは全て自分の裁量。椅子の微妙な高さや隣の席との距離、店全体の雰囲気に至るまで、自分の表現が全部込められるから今の自分が最高にいい状態です」と。
 「今日が最高の日と思う」という考え方はほんとうに大事な処世術のひとつだ。どんなことが起ころうとも“今”が最高と思えるマインドフルネスな生き方だが、改めてこの言葉を噛みしめてみると、いろんな思いを乗り越えなければならない大人こそ“処方箋”にしたい言葉だと思えてくる。幼い子供は、「今日が最高」などとあえて思わなくても毎日がマインドフルネスであろうし、「幼稚園に上がる前はよかったな」などしみじみ振り返る習慣も無い。犬もそう。ただ“今”を生きている。沢山の時間を重ねていくと、ふと昔を振り返って今と比べそうになったり、まだ来ていない未来に不安になったりしてしまいがちだが、“今”をまずは一生懸命生きるだけでいい。毎日、自己ベストと思って生きればいいのだ。そして、「今日が最高」というのは、人生百年時代の生き方の選択肢のひとつと言われる“二毛作人生”を心から楽しむ秘訣にも繋がるはずだ。

 この後記で以前引用したことがある哲学者・森信三さんの言葉。
「人はこの世に生まれ落ちた瞬間、全員が天から封書をもらって生まれてくる。その封書を開いたら、あなたはこういう生き方をしなさい、と書いてある」
 せっかく天からもらった封書を一回も開かないで死んでいく人が多いが、あなたはどうだ? と問いかけられるようなこの一文をことあるごとに思い出す。せっかくの天からの封書、一生のうちに一回は開いて使命を感じて生きる生き方を選ぼうではないかと思いつつ、これからの時代には、一回とは限らず、人生の後半で再度封書の中を開いてみたら一度目とはまた違った“使命”が書かれている・・・なんてことがあったらそれもまた面白いかもしれないとも思う。「今日は最高の日」と思いながら第二のステージで自己表現をしている大下さんへのインタビューを終えて、そんなことを考えた。

(インタビュー後記 村井裕子)

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