ほっかいどう元気びと

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2019年12月1日のゲスト

坪川 拓史さん
映画監督
坪川拓史さん

室蘭市出身 47歳。
高校卒業後に上京、1993年から映画をつくり始め、9年間かけて制作した長編映画『美式天然(うつくしきてんねん)』が第23回トリノ国際映画祭でグランプリと最優秀観客賞をW受賞。
2011年に室蘭に移住し、2014年からは地域の人と関わり合いながら、室蘭・西胆振を舞台にしたオムニバス映画「モルエラニの霧の中」を5年にわたって製作、今年全7章3時間半に及ぶ作品を完成させた。

村井裕子のインタビュー後記

坪川拓史さん 今回の『ほっかいどう元気びと』は「もう一度会いたい元気びと」。3度目の登場となる室蘭在住の映画監督 坪川拓史さん 47歳。最初にインタビューさせていただいたのは2014年の8月。室蘭始め西胆振を舞台にしたオムニバス映画を撮り始めましたというタイミングで映画作りに込める思いを話していただき、その後、どうやら“坪川監督らしく”撮影に時間がかかって予定より完成が遅れているようだとの風の噂を聞いて2017年3月に「もう一度会いたい」で2度目のインタビュー。7話中4話まで完成という進捗状況に再びエールを送り、そして、今回はついに『モルエラニの霧の中』完成おめでとうのインタビュー。10月の「サンパウロ国際映画祭」の国際長編部門への出品と現地での上映も終えたというタイミングで再再度お話を訊かせていただいた。

 前回のインタビュー。「なぜ映画を撮るのか?」という根源的な問いへの坪川さんの答えはこうだった。「今と過去と・・・地球が“ボンッ”と出来たときから繋がって今があるということを忘れがち。今は時代をぶつ切りにして見てしまうけれど、その延長線上が今なのだということを忘れてはいけない」。だから、古いものに何かを感じるということを大切にしたい、と。
 完成した7話のオムニバス映画『モルエラニの霧の中』も、物語に沿って観る人の記憶の引き出しがひとつひとつ開かれていくような映画だ。人によっていろいろな見方があると思うが、私自身最も感じたのは「老い」というテーマに付随する切なさや悲しさ、そして、それを取り巻く優しさ。人の「老い」は勿論、まちや建物にもそれは訪れる。時間とともに姿を変えていく。その儚さに切なく涙しながらもなぜか優しい気持ちになるのは、きっと、“すべてのものは常ならぬ”という無常観を感じさせてもらえるから。あらゆるものはそうやって繋がっていく、姿かたちは消えてしまってもきっと何かが残るという作り手のメッセージが伝わり、その優しい世界観にまた涙が出る。そして、そんなふうにグッと来るところに西胆振の風景が絶妙に織り交ぜられ、ミュージシャンでもある監督の音楽が心憎い仕掛けとなってまた揺さぶられる。役者もいい。市民参加の役者さん達もとってもいい(いったいどんな演出をしたのかに興味が湧く)。ユーモア好きな監督らしい笑いも随所に配置されての3時間半。私は3月の札幌での完成試写会で鑑賞させていただいたが、半年以上経っても思い出すとじんわり来てしまう。その“じんわり”は何だったのかを確かめる楽しみとともに3度目の収録をスタートさせた。
 まずは、この映画に込めた思いを坪川さんに伺うと、「室蘭というまちが舞台だけれど、日本中、世界中のまちで同じことが起きているはず。それぞれに重ね合わせてもらえるようには作ったつもりです」とのこと。地球の裏側であるサンパウロでの上映の際も、ブラジルの人達が同じような場面で笑って、同じ場面で泣いていたのが嬉しい発見だったという。「自分の肉親のことを思い出したり、自分の故郷の消えていく建物のことなどを同じように思い出したりしてくれるのだろう」と。丁寧に作った物語に国柄も環境も違う人々が“自分の物語”を重ね合わせて心を震わせている。そんな共有の瞬間に居合わせるというのは、作り手としてどれほど嬉しいことだろう。
 そして、「この映画で改めて伝えたいことは?」と問うと、「やはり一貫して映像作品に込めている“人の記憶とまちの記憶”」と話す。「今回は、消えていって誰かの中に残って終わるだけではなく、誰かの中に残りながら繰り返されていくということを大事にした」と言い、「完成してみたら7話が“らせん状”に繋がっていくように仕上がっていた。誰かが“円環構造”という表現で感想を伝えてくれたが、まさにそういうところ」と、今回のオムニバスの意味を言葉にされていた。

坪川拓史さん そして、映画の内容とともに番組で注目していたのは、この作品の製作を根本で支えていた地域の人達の力だ。市民有志で作るNPO法人「室蘭映画製作応援団」が製作母体となって資金面をはじめ、人的、物品の支援に至るまで、完成までの長きに渡って尽力してきたということ。地域の人達が持てる力を持ち寄って文化を創るサポートのノウハウは、きっと映画作りだけではなく、次に何かを生み出す時の原動力になるに違いない。このかけがえのない地域の取り組みをひとつの“財産”として繋げていくということももうひとつの“サイドストーリー”として価値のあることだと改めて思う。
 何はともあれ、まずは多くの人達に一般公開としてこの映画を観てもらいたいもの。近いところでは12月8日の「第25回 函館港イルミナシオン映画祭」での上映が決まっているそうで、この日は映画の後半部分から生で音楽を演奏する特別企画として、生のバイオリンと鉄琴、パーカッション、そして、坪川監督自らピアノ演奏を担当するという。さらに、東京の岩波ホールでも来年のちょうど桜の咲く頃の3月21日からおよそ1ヶ月間の予定で一般公開が決まり、多くの人に観てもらえる環境も整いつつあるとのこと。その反響によってまた上映の輪が広がっていけばいいなと思う。繋がっていって輪になる“円環構造”のように。

 桜の季節と言えば、この映画の撮影後に亡くなった大杉漣さんが登場するのが『春の章 名残の春・・・写真館の話』。数年がかりで撮影されたという物言わぬ桜の花が普遍のテーマを饒舌に代弁し、そして、大杉さん演じる写真館の主人も、目には見えない大切なことを、言葉よりも無言で語りかけてくれる。映画という映像媒体の中では、今ここにいない人も、そこで生きている。
 前回の2017年の収録後の雑談中、何かの話の流れだったと思うが、坪川さんは「大杉漣さんって、ほんとに優しいんです」とふたりの間の素敵な交流を嬉しそうに教えてくれていた。「自分の映画作りを気に入ってくれ、いつでも協力するよと言ってくれていて・・・折に触れてお菓子をいっぱい段ボールで送ってくれるんです。お子さんにあげてって」。大杉さん、お菓子、優しい人・・・それ以降、坪川さんのエピソードの中の大杉さんが私の中に定着して、テレビドラマなどで見かける度に、どんな役柄でも“段ボールにお菓子を詰める大杉さん”がダブって見えてしまっていた。『モルエラニの霧の中』の写真館の主人も私の中では段ボールとお菓子の大杉さんなのだが、劇中のストーリーと現実との不思議なシンクロが悲しくて切なくて、涙を止めることが出来なかった。
 ただ、坪川さんは、映画を「撮っている」のではなく、「撮らされている」と今回も表現していた。伝えたいことを真摯にかたちにしようとする人を応援したい人達はきっと少なくない。現実に今いる人も、もうこの世にはいなくなった人も。そんな人達が背中を押して「撮らせてあげている」のかもしれないと、私はかなり高い確度で思っている。いない人も、確かに、いる。
 そういうことはきっとあるから、一生懸命何かをやって上手くいった時に、「誰かがやってくれている・・・生かされている」という感謝を大事にしていかなければとも、改めて思う。そんなことを感じながら「もう一度会いたい元気びと」3度目のインタビュー後記を書き終えた。

(インタビュー後記 村井裕子)

※坪川拓史さんゲストの過去2回の「インタビュー後記」は、2014年8月24日、2017年3月26日のバックナンバーをどうぞご覧ください。

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