ほっかいどう元気びと

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2019年11月24日のゲスト

伊勢 昇平さん
伊勢ファーム チーズ工房 代表
伊勢昇平さん

旭川市江丹別町出身 33歳。
帯広畜産大学を卒業後、十勝でチーズ作りを学び、2011年から父親が営む放牧農場の牛乳を使った「江丹別の青いチーズ」を発売。国産の食材において史上初、ANAとJAL国際線ファーストクラス機内食に採用される。
自ら「ブルーチーズドリーマー」と名乗り世界一のブルーチーズ作りを目指すとともに、地元 旭川市江丹別町からの発信に力を注いでいる。
著書に『ブルーチーズドリーマー 世界一のチーズをつくる』。

村井裕子のインタビュー後記

伊勢昇平さん 今回の『ほっかいどう元気びと』は、旭川市江丹別町で、自ら「ブルーチーズドリーマー」と名乗って世界一のブルーチーズ作りを目指す「伊勢ファーム」チーズ工房代表の伊勢昇平さん 33歳。「江丹別の青いチーズ」という商品名にすることで江丹別も世界一の村にしようと、ネットや著書(『ブルーチーズドリーマー 世界一のチーズをつくる』 エイチエス株式会社 発行)からも思いを伝えている。北海道の一地方でブルーチーズを作るということ、そこから目指すもの、そして、熱い思いで取り組む原動力を訊かせていただいた。

 伊勢さんのチーズ作りの道のりは山あり谷ありのストーリーに満ちた一本道だ。2011年に製造販売を始めてからその美味しさと珍しさが評判となり、瞬く間に人気となったものの、あろう事かブルーチーズの“青カビがはえない”という事態に直面。3年ほど試行錯誤の後にフランスに修行に行き、どんな状況にも対応できる確かな技術を身につけて帰国。現在は、注文に生産が追いつかないほどの人気を取り戻している。
 いわゆる“崖っぷち”も経験する中で前に進めたのはなぜなのか。事前に読んだ著書から感じた伊勢さんの中の強力な機動力は、「こうしたい!」という“思いの強さ”。致命的と思ってしまうような出来事に遭遇しても、その“思い”がターボエンジンとなって自分自身を次の段階に“運んで”いる。行動し、努力することで結果をもぎ取り、そして、そのほとばしるような“思い”と、行動したからこそ得られた“経験”を人に伝えることで、確実に次の出会いや展開を自分で引き寄せている。
 実際にお話を聞いて興味深かったのは、その「こうしたい」という強い思いはある時点で芽生え、そこから物事に対する考え方が180度変わったということ。元々は、“田舎”である地元が大嫌い。小規模で放牧農場を営む父親の仕事も好きではない。早くこの土地を出たい。そうコンプレックスを抱いていた高校生の時、自分はここから世界へ出るんだと英会話を学びに行った個人塾の先生の言葉が自分を変えるきっかけになったとのこと。「ワールドワイドで生きろ」が口癖のその先生は、「お前の親父の絞っている牛乳で世界一のチーズを作るのもワールドワイドなんだぞ」と言ってくれたという。その瞬間、自分はチーズを作ると決め、それ以降、父親が思いを込めて営む牧場に意識が向き、放牧だからこその牛乳の質に気づき、恵まれていた自分自身の足元が見え、あらゆることを人のせいにばかりしていた考え方が大転換したのだそうだ。

伊勢昇平さん 自分自身でセッティングした“思い”を叶えるためにする“準備”や“学び”、“行動”や“努力”は、大変ではあるけれどけっして苦ではない。「自分で決めたことだから、すべて幸せ」と今の伊勢さんは言う。自分の中に設定した「江丹別で世界一のブルーチーズを作りたい」という強い思いと、「農産物の理想のかたちは個人でやっている農業が世界に広がり賞賛されているロマネコンティ。そんな希少価値のワインのようなブルーチーズを作る」という明快な目標が牽引となって揺るぎない“ストーリー”が形づくられ、それによってまた進む道を一歩一歩照らしてきた道のりなのだろうと想像する。伊勢さんがインターネットなどでそのストーリーを発信し続けるのは、モノにまつわる物語にも価値があり、さらには、それが生み出される“江丹別”という場所にも価値があるという確信から。それらを分かりやすく言語化して伝える取り組みによって土地の可能性も生み出せると信じているからに他ならない。
 収録後に、「江丹別を世界一の村にする」という思いを訊かせていただくと、その構想は、「バーチャルの村民を募って、チーズやワイン作り、林業といった江丹別の資源を組み合わせ、新たな価値を生み出す仕組みを作るという“別次元”での挑戦」とのこと。すでにシステム作りは進み、「中央ではない、地域の存在価値を高めていく自信はある。絶対、江丹別はいい場所になる」と、次の時代の“ワールドワイド”への実現に力を込めていた。
 ものづくりの“職人”に欠かせないのは、それを作りだす腕。いかに技を磨き、伝承していくかという本分は今もこれからも揺るぎないだろうが、きっと、今後は、そこにどんな価値を「プラスアルファ」するかということが益々求められていくのだろう。大量に作って売る時代から、多様な価値が求められる時代へ。前例も手本もない新しい「アルファ」を自分で考えて生み出し、そして、発信していく能力を鍛えることがさらに問われるのだろう。まさに、北海道の若き“元気びと”そのものの伊勢さんが描く未来型の“ものづくり”を存分に想像させていただいたインタビューだった。

 世界的ベストセラー『マネジメント』の著者ピーター・F・ドラッカー(1909~2005)は、遥か先の未来を予測していたという。1969年には既に、資本主義社会から新しい社会に移行した後に到来するのはおそらく「知識社会」であろうと説いていたとか。「知識社会」とは、ドラッカー研究の第一人者である上田惇生さんによると、「経済(金)」ではなく、「知識」が中心となる社会。その「知識」というのは、「人間とはなんぞや」や「いかに生きるべきか」を探究した時代から定義が様々に変わり、今日では「生きた知識、使える知識」が求められる時代。“知識社会は、脱経済至上主義社会という側面も持ち合わせており・・・近いうちに、金ではなく「人」が中心にいて、それぞれが仕事を通じて自己実現を果たすことが出来る社会が到来する”という予測なのだそうだ(その背景には勿論解決すべき課題も多く、そのための仕組み作りこそ今に生きる私達に与えられた“宿題”とも言える)。そして、その「知識社会」への転換期とも言うべき「激動の時代」は、上田さんによると“2020年~2030年”。そんな文章を8年ほど前のドラッカーブームの時に読み、“遙か先”の未来のイメージをぼんやりと持ったのだったが、たまたま最近再読して、すでにその時は目の前なのだということに改めて驚く。“この来るべき激動期は東日本大震災によって早まっている”と考える人も少なくないようだが、いずれにしても、“激動の真っ只中”に私達はいるのだ。果たして“宿題”を私達はちゃんと解いてきたのだろうかと少し焦る気持ちにもなる。
 何か新しい取り組みをと自分のやり方でとにかく動き出している若い人達というのは、多分、未来を生きる者として“激動”の胎動を敏感に感じているからなのではないか。様々な分野で仕組みを模索する2、30代の話を聞く度にそう思う。ドラッカーの言う「ポスト資本主義社会」=「知識社会」というのは、知識はお金儲けのためにあるのではなく、それによって積み重ねられた叡智が人々のほんとうの幸せのために生かされる社会であるはず。どんな時代であっても「いかに生きるべきか」という大事な問いを共有しながら、老いていようが若かろうが個々の持つ様々なアイディアが試される世の中であってほしい。
 伊勢さんの「世界一」の夢とアイディアに触れ、残り僅かな2019年の日数を数えながらそんなことを考えていた。

(インタビュー後記 村井裕子)

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