ほっかいどう元気びと

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2019年10月6日のゲスト

宿村 真奈美さん
「希望の杜の会 なつみかん」代表
宿村真奈美さん

旭川市出身 59歳。
静修短期大学を卒業後、アパレル関係の仕事に就職。
40歳で福祉関係の仕事に就き、障がいのあるお年寄りの家へ通う居宅老人介護を経験。それをきっかけに障がい者施設で働いたのち、2012年、旭川市に就労移行支援事業所「希望の杜の会 なつみかん」を開設した。

村井裕子のインタビュー後記

宿村真奈美さん 今回の『ほっかいどう元気びと』は、旭川で就労移行支援事業所を運営する「希望の杜の会 なつみかん」代表 宿村真奈美さん 59歳。就労移行支援とは、就職を目指す障がい者を対象に仕事に就くために必要な知識やスキルを向上させるサポートをするもので、「なつみかん」では「オレンジ商事」という模擬会社を作り、パソコンなどの事務作業や製造業務に必要な作業、清掃業務などの訓練をしているという。働く喜びを後押ししながら、障がいを持つ人の居場所作りに尽力するその思いを伺った。

 宿村さんは現在、就労移行支援のみならず、就労継続支援B型事業所の運営やハローワークでの精神障害者雇用トータルサポーター、高次脳障害友の会の代表を務めるなど、幅広く障がい者福祉に携わっているが、実際に福祉の世界入っていったのは、障がいのあるお年寄りの家に通う居宅老人介護の仕事を始めた40歳の頃だったという。ヘルパーとしての経験を経て、“障がいを持つ人のために何かもっと出来ることがあるかもしれない”とさらに施設で働く中、改めて障がい者を取り巻く様々な現実に直面。当時は障がい者への社会全体の理解がまだまだ薄い時代で、就職先も限られていたため、もっと自分の裁量で就職支援に携わろうと事業所を立ち上げたのだと話す。
 スタートさせて7年という就労移行支援の取り組みを詳しく伺っていくと、単に作業訓練を提供し、就職先へ送り出すだけではない手厚さが伝わってくる。宿村さんは「ひと頃とは違い今は障がい者の就職に対してずいぶん門戸が開かれてきたが、逆に、入った職場で仕事を“続ける”ことの難しさが現実問題となり、そのためのフォローが欠かせない」と話す。雇用が決まって働き始めた人にも毎月必ず一度は連絡を取って話を聞いたり、困ったことがあって連絡が来た時には会いに行ったり、企業側から不安を投げかけられれば、事業所の職員が一緒に付き添い、作業を覚えられるまでフォローしたりと、定着のためのバックアップに心を砕くのだという。
 宿村さんは、人にとって働くことの大事さをこう表現する。
 「一度でもいいから“就職したことがある”という事実は障がい者さんの心の宝になる」
 就職出来たという自信を多くの障がい者の人達にも感じて欲しいのだそうだ。そして、勿論、就職を後押しすることが目的とはいえ、時間がかかる人や戻って来る人達がいるのも現実。その人達が気軽に足を運んで相談が出来、ストレスが溜まらないように他愛のないお喋りも出来る、そういう居場所でありたいのだと力を込めていた。

宿村真奈美さん これは、収録後のやりとりの中でふとこぼれた宿村さんの表現。
 「障がいを持つ人達にとって“さみしい気持ち”が一番かわいそうなの。いつ行っても話を聞いてくれる場があれば、不安の解消になるでしょうと思って」
 日々の中で、誰かが自分のことを見ていてくれる、あそこに行けば話を聞いてくれる、誰かと繋がれる。・・・そんな“居場所”があることはどんなに心強いだろう。加えて、働く喜びが加われば、それが生きることを支える根本になる。そして、そういう支援を継続させることが大事なのだと宿村さんはさらにこう話す。「障がい者が親に先立たれても支援者と繋がっていれば、相談に乗ることも出来るし、その後の生活の道筋を付けることも出来る。孤立を防ぎ、その後の安心にも繋げることが出来る。そんな“居場所”を繋げていかなければ」と。
 宿村さんには既に成人したお子さんがふたりいらっしゃるそうだが、息子さんは母親と同じ事業所で主任として働き、娘さんは役所で介護関係の仕事に就いているとのこと。“誰かのためにちょっと役に立ちたい”という見えないバトンが当たり前のように手渡されている。嬉しそうに話す宿村さんの喜びは、子供が同じ分野で働いてくれていることは勿論のこと、「自分は利用者さんよりも先に逝く。だけど、私がいなくなっても息子に会いに来てくれると思う」という言葉に、“居場所”が継続される安心感があるのが感じられた。
 障がい者支援も“持続可能な”取り組みにしてこそ意味がある・・・ということなのだろう。障がいを持つ人と歩みを共にしている宿村さんのような役割の人は、2020年東京で開催されるパラリンピックにどんな思いを寄せているのか、収録中そんな質問もしてみると、「日本の支援者が問われる良い機会」と即答されていた。「勿論、支援者以外も皆で意識を変えて、他人事ではなく、心を運べるような気持ちを皆で持ちたいと思う。その良い機会になれば」と。きっと、2020年はいろいろな節目。その後に何を繋いでいったらいいかは、オリンピック・パラリンピックでも試されるのだと思う。金メダルをいくつ獲得したという結果以上に。

 そう言えば、ここ何年も私自身の中であまり使わなくなった言葉がある。この番組が始まった頃はインタビューの締めくくりで、「どうぞこれからもご活躍を」という言葉を時々使っていたが、ある時点から使っていない。誤用だからではない。多分、「一億総活躍」というキーワードがトップダウンで世の中に降りてきてから。“何をもってカツヤクなのだろう? セイサンセイを上げること? なぜ、カツヤクを上から奨励されなければならないのか?”・・・という生来の天邪鬼が「活躍」という定型句を安易に使うことに待ったをかけたのだと思う。誰かから、「ご活躍ですね」と掛けられることにも正直居心地の悪さを感じる。自分自身に向けて“活躍しています”とは使わない賞賛の尊敬語であり、多分に社交辞令も混じる言葉であるからして、なんとも気恥ずかしいのだ。活躍している人と、していない人とを分ける世の中の考え方が自分の中で実は嫌だったのだということに改めて気づいたからでもある。今は、“活躍するかしないかということより、あなたがそこに元気でいてくれればいい”という思いを大切にしたい。そして、活躍云々より、働く喜びをしみじみ感じ合いながら互いに支え合う世の中の一員でいたいと思う。

(インタビュー後記 村井裕子)

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