ほっかいどう元気びと

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2019年8月18日のゲスト

菅原 咲さん
塗師(ぬし)/漆塗り工房「野つけうるし」代表
菅原咲さん

帯広市出身 27歳。
帯広柏葉高校を卒業後、山形の東北芸術工科大学で漆工芸を学び、卒業後は、岩手県の「安代漆工(アシロシッコウ)技術研究センター」で2年間腕を磨く。
オホーツクで漆の栽培に取り組んでいる人との出会いから、2016年に北見市に移り住み、工房「野つけうるし」を開き、地元の漆を使った「この土地ならでは」の作品づくりに取り組んでいる。

村井裕子のインタビュー後記

菅原咲さん 今回の『ほっかいどう元気びと』は、北見の漆塗り工房「野つけうるし」代表の菅原 咲さん 27歳。網走地方には江戸時代末期に植林された会津地方のウルシの木があることから「北限のウルシ」が残る土地とされ、1991年に発足した「網走うるしの会」の有志などによって、さらなる植栽や漆塗りのための樹液の採取、漆文化の普及も進められてきたという。幼い頃から美術が好きだった菅原さんは、出身地の帯広から山形の東北芸術工科大学に進んで漆芸に出会い、卒業後にも本場である岩手県の「安代漆工技術研究センター」でその技能を学び、北海道にもウルシの木があるのならそこで本格的に取り組んでみたいと思い北見に移り住んで来たのだという。最北のウルシの木があるオホーツクでの「塗師(ぬし)」としての日々、漆器の魅力、そして、これからの夢を伺った。

 日本伝統の漆塗りは、ウルシの木の樹液から加工した“塗料”を木や紙などの生地に塗り重ねていくもの。岩手県がふるさとの私は、金箔で豪華に絵付けされた「秀衡塗」やシンプルさが魅力の「浄法寺塗」など、暮らしの中に息づく漆器を目にして育ってきたが、改めてお話を伺うと、知らないことが沢山あることに気づいて新たな興味が湧いてくる。
 何よりも、今日本で製作される漆器に使われる漆はほとんどが中国産で、日本産のものは全体の約3%にしか過ぎないのだということ。希少な日本産の大半は岩手県で採取されたもので、オホーツク産となるとごく僅か。しかも、厳しい北海道の寒さのために植栽したものも50%位しか育たないのだそうだ。「厳しい環境の中で生き残った希少な漆です」と菅原さん。現在、ご自身も漆塗りの行程で使うのは中国産だが、最後の仕上げに網走産の漆を使っているのだという。その質は岩手産のものと同等で、美しい仕上がりになるのだとか。地域の人達で作られた「網走うるしの会」も、せっかくいいものがあるのだから地元で活用したいと活動を続けており、土地のもので漆器作りをしたくて北見に移住した菅原さんも、ゆくゆくは道産材の木地のものを使い、上塗りを網走産の漆で仕上げて、オール北海道の漆器を生み出していきたいと夢を語る。

菅原咲さん 漆塗りとはあまり縁のない北海道で生まれ育った菅原さんが興味を深めていったのは大学で漆芸に出会ってから。その歴史は縄文時代から始まっていたということを知り、長い時間をかけて残っていく“ロマンのある樹液”だということにまずは惹かれたのだという。そして、漆による製品には実は多様な分野があるという面白さも発見し、「今後いろんな人の手に渡って長い間残っていくものを作ってみたいと思った」と話す。
 そのようにして磨いた技を、伝統の地である岩手でさらに深めていくという選択ではなく、北海道に戻ってきて取り組んでいるのは、「生まれた土地で、暮らしの中で使うものを作りたかったから」。岩手には岩手の暮らしから生まれた漆器があり、きっと、北海道なら北海道の暮らしから生まれる漆器があるだろうと思ったのだそうだ。「作家である私個人のオリジナルのかたちというよりは、土地の皆が使いやすいかたちはなにかと思いながら作る方が多いです」と菅原さん。岩手という土地で学んだことも、“暮らしの中でかたちが作られている”ということだったと言い、「いいものは、独創的ということよりシンプルで素朴な作りであるということ。そのほうがずっと残っていく秘訣なのだと学びました」と続ける。
 “いいもの”としてずっとその土地で残ること。それがものづくりとしての菅原さんの“ロマン”なのだろう。「最終的な目標は、自分が塗ったものが、塗り直しや修理で返ってくるということ。そんなふうにして、作ったものをずっと使い続けてもらうということ」という言葉にもその思いが込められていた。
 漆はすでに縄文時代にその塗りの技術がほぼ確立され、それが受け継がれてきたことが凄いと話す菅原さん。「漆は、歴史と人の知恵のかたまり。過去から学ぶことも凄く多い」という表現を聞きながら、〇〇師と名付けられたものづくりの人達というのは、過去をしっかりと今に繋ぎ、その途方もなく長い積み重ねを自分の手で未来に繋ぐ人達なのだと改めて思う。そうして、遙かなる時間の中で形づくられるために地方の風土が欠かせないのだと改めて感じさせていただいた。

 収録後の雑談の中で、「アイデンティティ」の話になる。日本語では「自己同一性」などと訳され、「自分とは何か? どういう存在なのか?」といった問いかけによく使われている。辞書の訳のひとつに、「自己が環境や時間の変化にかかわらず、連続する同一のものである」という文があるから、どんな時にも「変わらない、ぶれない」自分という意味合いも強いのだろう。菅原さんは、「私のアイデンティティは、まさに、漆を塗る人“塗師(ぬし)そのもの”だと思います」と、静かな口調の中にも“ものづくり”の矜持をにじませる。
 聞けば、自分自身の暮らしや行動は、“漆に合わせる”日々。塗師の仕事として実際に樹液を精製するところから手がけているそうだが、とにかく温度管理や湿度の調整が難しい繊細な“塗料”ということもあって、生活自体が漆優先なのだという。「私は、樹液という液体が固体になるという不思議さを持つ“漆そのもの”が好きなのだと思います」と語る言葉を聞きながら、ものを創り出す人達のこだわりの一端がほんの少し見えるような気がした。
 「私のアイデンティティは〇〇です」。それを言い切れるかどうかは、取り組むものに対しての“想いの強さ”による。想いが強ければ、人が何と言おうと自分軸はぶれない。想いが強ければ、昨日も今日も変わらずに対象のものと向き合うことが出来る。昨日も今日も変わらずに続けられれば、必ず何処かに必ず辿り着く。継続という道、それこそ個の歴史になる。
 これから益々価値観が多様になる中、益々大事になってくるのはそういう“想いの強さ”なのかもしれない。・・・北海道の一地方で、その地方ならではのものづくりに想いを込める女性の言葉に触れながらそんなことを感じていた。

(インタビュー後記 村井裕子)

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