ほっかいどう元気びと

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2019年8月11日のゲスト

長谷山 隆博さん
「星の降る里百年記念館」館長
長谷山隆博さん

芦別市出身 59歳。
三井芦別炭鉱の本部があった西芦別町で育ち、遺跡発掘の仕事に憧れ、立正大学と大学院で考古学を専攻。
卒業後は北海道で遺跡調査員として発掘作業に携わり、1993年10月、「星の降る里百年記念館」のオープンと同時に学芸員になり、2012年4月からは、館長を務めている。

村井裕子のインタビュー後記

 「歴史」を意味する「History」を真ん中で二分すると、「his story」になる。語源は違うが、歴史は男達の人生を刻んできた。(国盗りや戦は男性社会の産物であるからして「彼=男性」の物語が長年にわたって語り継がれてきたのは当然と言えば当然)。だが、これを、もうひとつの視点である「彼女=女性」の側から掘り起こした真実の「her story」を綴っていかなければならない。・・・確かそのような表現を作家である落合恵子さんの本の中に見つけた若い頃、まさにカルチャーショックの激震を感じたことがある。歴史は誰かによって作られ遺されたもの。関わる人のスタンスによってベクトルが変わる。“誰か”にとって都合のいいように。だとしたら、すべてを鵜呑みにしてはいけない。事実はどこにあるのかをしっかりと探し出し、考え、判断する目を養わなければならない。ジャーナリスト精神に裏打ちされた彼女の文章からはそんな姿勢も教わった。

長谷山隆博さん そんなことをふと思い出したのは、『ほっかいどう元気びと』の今回のゲストの“歴史は地方にこそある”という表現に触れたからだ。8月。終戦の日を前に11日の放送は、芦別の「星の降る里百年記念館」館長の長谷山隆博さん 59歳。市立博物館的な施設の運営に携わりながら、芦別の“炭鉱と戦争”に関する事実も伝えていこうと調査・研究を進めるその思いを伺った。
 収録に入る前、長谷山さんは、「来る途中で考えたのですが、私が芦別でやって来た取り組みは、“記憶と記録で歴史を紡ぐ”という言葉で表すことが出来るかもしれません」と、学芸員らしい端的な説明でこれまでの道のりをキーワード化してくれる。三井芦別炭鉱の炭住街があった西芦別町で育ったという長谷山さんは、考古学を学んだ後、遺跡調査員を経て、1993年に「星の降る里百年記念館」の学芸員となり、2012年から館長を務めている。炭鉱と戦争について調べ始めたのは2004年頃から。地域の人達が訪ねて来ていろいろな話を聞かせてくれたり、質問されて調べたりしているうちに、“市史”には載っていない沢山のことがあるのに気づいたという。特に、炭鉱と戦争について、光の当たっているところだけではなく、結果として戦争に荷担するかたちになってしまったという影の部分の歴史の事実も知ることが必要だと感じ、コツコツと調査を続けてきたとのこと。
 “戦争と炭鉱”、その繋がりとしてキーになるのは、「昭和13年」という年代。長谷山さんは、「大手炭鉱である三井芦別炭鉱などがこの年に開鉱された。背景には日中戦争が始まってエネルギー源の石炭の増産が叫ばれるようになり、政府の要望に応じて新鉱を開く動きに合致したものだった」と話す。戦後のそのマチで育った長谷山さんの目にはコンクリートの残骸などの炭鉱跡が映っていたそうだが、一体何なのかを知らずに成長。縁あって芦別に就職し、地元の歴史の調査や研究を進めるうちにいくつもの点が線となって繋がり、それらはきちんと紡いでいかなければならないものだと取り組んできたのだという。
 石炭は国産唯一のエネルギーだったが、庶民の暖かい生活を支えるための“石炭”とは違い、ある時代において、兵器、或いは、運搬鉄路、船などを製造するための原料炭(燃えればいいだけでなく、製鉄に使える高カロリーの石炭)として“軍需産業”に欠かせないエネルギー源だったという事実。芦別では空襲は無かったが、ある意味で“戦争を支える舞台”であったという事実。そして、炭鉱がどんどん開かれ、戦争でなければそこには存在しないはずの人達が炭鉱で働かされていたという事実。芦別地域の炭鉱労働者が兵隊となって招集された数が圧倒的に多く、その穴を埋めるために他所から人を引っ張ってこなければならなかったという事実。国に逆らえない中で石炭増産が求められたという事実。・・・長谷山さんは、調査で分かった事実をこれ以外にもいくつも語っていく。
 こういう取り組みを始めようと思ったきっかけは、研究者をはじめ市井の本好きや歴史好きの人達が「星の降る里百年記念館」に訪れるようになり、ひとつひとつの質問や疑問に真摯に答えなければと思ったからとのこと。40歳を過ぎたあたりから自分の中でも“知らないことをそのままにしておいてはいけない”と思ったことも大きかったという。「断片的なデータも、固まるとひとつの歴史になると思いました」と長谷山さん。それを公に知らせる意味は、「地域のオリジナルの歴史はインターネット上では調べられない。市史にもすべてが網羅されているわけではない。市民が持つ断片的な記憶に、(博物館的な)施設で集めた記録を結んで、あいまいなところを正しながらきちんと歴史として遺すことこそ大事」と続ける。過ぎ去った時代のそのやり方が正しかったのか、そうではなかったのか。間違った道に突き進まないために何が出来るのか・・・その検証のためにも必要なのだと伝わってくる。
 誰に何を聞かれてもきちんと地元のことを答えられるように準備をしておきたいと学芸員であり館長であるスタンスを分かりやすい言葉で表現されていたが、今、目にしている風景の背後には過去何があったのか、地域の“光”の部分は勿論、“影”の部分であっても、次の世代に真実を伝えなければという静かな使命が感じられるお話だった。

長谷山隆博さん 収録が終わってからも、ご自身のスタンスを、「研究のための研究ではなく、あくまでも市民のための研究でありたい」と語っていた長谷山さん。何よりも、芦別に住んでいる人達や以前住んでいた人達から写真や事実の証言が寄せられるたびにパズルが埋まるような発見がもたらされてきたのだそうで、そのすべてが地域の歴史のための大切な資料になるとのこと。もし、芦別を離れた人でも前の世代の親族などが遺したものを持っていたら「星の降る里百年記念館」に寄せて欲しいと話す。「個人が持っている写真はもちろん、学校の文集やアルバム、昔の地図、時刻表、電話帳、食堂のメニュー・・・すべてが何かの手がかりになります」と。そして、その、“記憶と記録で紡ぐ歴史”をゆくゆくは自分の手で小説にしていけたらと、さらなるライフワークにも地元に還元の思いが込められていた。

 時代は少しずつ変わる。悪い方にも、いい方にも。1ミリでもいい方に変えていくために、7月21日放送の後記でも書いたが、やはり、“オルタナティブ=もうひとつの視点”という考え方を掘り起こしていかなければならない。例えば、「His story」だけではない、「Her story」の視点で。そして、“中央”にとって都合のいい歴史ではなく、“地方”にとってどのような事実だったのかという視点での検証こそが欠かせない。それは、今後、絶対に“負の歴史”を繰り返さない、ひとつひとつの未来の選択を見誤らないという地方の矜持を見せていくことにも繋がっていくのだと思う。

(インタビュー後記 村井裕子)

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