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2019年6月9日のゲスト

土肥 寿郎さん
寿郎社 代表取締役
土肥寿郎さん

札幌市出身 55歳。
札幌東高校を卒業後、上京。様々なアルバイトをしながら日本ジャーナリスト専門学校に通い、編集プロダクション、フリーの編集者を経て、社会問題に関する書籍を多く扱う「晩聲社」に10年間勤務。
その後札幌に戻り、広告制作会社でコピーライターとして働いたのち、2000年4月、寿郎社を立ち上げ、ノンフィクションやルポルタージュ、近現代史を中心に出版し続けている。

村井裕子のインタビュー後記

 40年ほど放送の世界に身を置いてきて、ここ10年、いや20年、時代の流れで残念に思っていることがある。それは、“ドキュメンタリー”番組がめっきり減ってきたことだ。ジャーナリズムの目線で社会の様々なテーマを取材し、問いかけていくもの。硬派な分野だけに“数字”は取れない。いわゆる“売れない”となると、民間放送では放送枠を確保することが現実困難で、やむを得ず26時などという深夜枠で発表せざるを得ないという時代がしばらく続いている。それでも、世に問うべきテーマは後を絶たない。むしろ増えている。貧困、高齢化、格差、差別、地方問題、戦争と平和、地球環境・・・それらを取り上げずして放送にはあらずとの気概で地道に取材を続け放送を模索する記者達ディレクター達がいてくれることが誇りだが、地方局制作の生ワイドからも硬派な特集枠はじわじわ消えている。現実問題、“硬そうな”特集が始まるとチャンネルが替えられる。様々な課題を提言するジャーナル的なメニューは食欲をそそるラーメンに負けてしまうのだ。“お茶の間”のなにげない好みは数字に現れ、その数字は次第に世の中のベクトルを変えてしまう巨大な力となっていく。
 ドキュメンタリーに心揺さぶられてこの仕事を目指し、語りでその一端に関わってきた者として、やはり放送は生きている人々の価値観を揺さぶるものでありたいと願うのだが、大きな“流れ”には個人の思いだけでは抗えないものだという切なさも感じている。

土肥寿郎さん 出版も似ているかもしれない。売れるものと売れないものがはっきり分かれ、部数の伸びない上質のものは苦戦を強いられているのが現状のようだが、そんな中だからこそジャーナリズム精神を失ってはいけないと気概を込めて取り組んでいる人達は確実にいる。札幌に出版社「寿郎社」を立ち上げ、代表を務める土肥寿郎さん(55歳)もそのひとり。社会派ノンフィクションやルポルタージュ、近現代史といった“人文系”の書籍を20年に渡って出し続けてきたその思いを伺った。
 「寿郎社」は、社会問題に関する書籍を多く扱う東京の「晩聲社」で10年本作りに携わった土肥さんが2000年に設立した出版社。しばらくは編集も営業もすべて自分で手がけた時期もあったというが、現在は、編集と営業がそれぞれひとりずつ、合わせて3人体制で年間10冊ほどの本を出しているという。社名に自身の名前を使うというのは並々ならぬ思いが込められているはず。書店や新聞の書籍紹介の欄で「寿郎社」という社名を目にする度に地域の出版社として頑張って欲しいと陰ながらエールを送っていたこともあり、私自身訊きたいことはいろいろあるのだが、放送出来るインタビュー部分は13分前後。“話は山ほどあって一晩あっても終わらないと思う”と収録前に笑いながら語っていたその土肥さんの長年の思いをどう短い時間に凝縮させていくか、模索をしながら質問をしていく。

 浮かび上がってきた言葉で印象に残ったのは、「30年以上出版に関わってきて、本作りの楽しさを知ってしまった。私にとって天職です」というもの。そして、「生きていくことイコール本作り」と、書籍の“帯”に付けたいようなキーワードが柔らかな口調で語られる。その面白さというのは、「誰もまだ読んだことのないものに自分が関われること」。そして、「読んだ人の人生にとってなにがしかのいいものを与えることが出来ること」。生み出す側と受け取る側の双方の心が動くという醍醐味なのだろう。土肥さんご自身も若い頃に本から影響を受けてきた経験があったからこそ、「思想的な糧になる本を今度は自分で送り出したい」と思ったのだそうだ。「活字は論理的に脳みそを使うメディア。だから、本を読まないと駄目なんだ」と、多くのメディアの中でも“思想的な糧”を得るための手段として本を読むことの必要性を訴える。
 送り手として大切にしていることは、「寿郎社しか出せない企画。且つ、世の中のために役に立つ本。もっと言うと、弱い人を助ける本でありたい」とのこと。さらには、この世の中の風潮に対して一石を投じる本、ひとつの見方だけではない違う視点もあるということを伝える本を1冊でも多く送り出すというのは人々の“知力”を支えるという出版の役目でもあり、それを長く続けるということが大事なことなのですと、“天職”の出版に対しての熱い思いを丁寧に言葉にしてくれた。

土肥寿郎さん 文化を担う出版社の使命について、「(何かの企画で)儲かったなら、儲からない本も出すという考え方が正しいやり方だと私は思う。今の風潮は儲かったら、より儲けようとしか考えない」と収録でも話されていたが、終了後にも最近の風潮についての雑談は続く。
 「“儲ける”ことはけっして悪いことではないのですが・・・最近の新自由主義的な、“お金儲けが正しくて、儲けないと悪”とされるような社会の風潮に疑問を抱いている」と土肥さん。深く共感の私。では、そういう世の中が進む中で個々は何を大事にすればいいのかとさらに訊くと、「益々、真贋を見分ける目を養うことが大事。それが出来ないと世の中の全てが駄目になってしまうと思う」との答え。そして、本物か偽物かを見分けるためには、「すべてをうのみにしない。単体で判断しない。いわゆる教養、知識を得てその違いを嗅ぎ分けるしかない」と話されていた。やはり、ほんとうのところは何なのかという“問い”への答えを自分で考えて出していく、その力を自分で養うしかないということだ。

 人文系と言われる本は確かに取っ付きにくく読みにくいが、ページを繰っていくと必ず何らかの触発を得ることが出来る。それは様々なことを考えるための頭の栄養になる。放送メディアのドキュメンタリーも同じだ。観て、聴いているうちに社会の何が真実で何が誤りなのかを考え始めていることに気づく。何に怒ればいいのか、何を守ればいいのかの本質を考えるための栄養になる。そして、なぜだか、それらに触れると人が愛おしくなる。
 土肥さんは出版という仕事について、「弱い人を助けるものでありたい」と話されていたが、いわゆる“硬派”と言われる発信が目指す先にあるものは、人が人として尊重されながら互いに支え合って生きる柔らかな社会。誰一人取りこぼさない社会の実現だ。発信者は、そういう優しい社会をどうやったら作っていけるのかを皆で一緒に考えませんかという“宿題”を出す係なのだろう。今日的な宿題は解くのにとても厄介なものばかりだが、何かが手遅れにならないうちにひとりひとりが当事者となり答えを探し出さなければならない。
 そして、何より、その硬派な“宿題”を出し続ける発信者は、発信することを絶対にあきらめてはならないのだ。活字にしても、放送にしても、ひたすらに投げかけ続けるしかないのだと、改めて思う。

(インタビュー後記 村井裕子)

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