ほっかいどう元気びと

バックナンバー一覧へ

2019年5月19日のゲスト

黄 晴渝さん
「北海道風格慢旅(日本語訳:暮らし旅する北海道)」
著者
黄晴渝さん

台湾出身 33歳。北海道在住9年。
地元の大学で観光について学び、2009年に香川県に交換留学生として初来日。留学中に訪れた北海道に憧れ、翌年北海道に移り住む。
2012年からは札幌の広告代理店に勤務し、そのかたわらSNSを通じてインバウンド観光客に向けた情報や、北海道での暮らしを発信。
2018年、中国語で北海道を紹介した著書「北海道風格慢旅 (日本語訳:暮らし旅する北海道)」を台湾、香港、シンガポール、日本で出版した。

村井裕子のインタビュー後記

黄晴渝さん 『ほっかいどう元気びと』今回のゲストは、札幌から出身地の台湾に向けて北海道の魅力を発信している黄 晴渝(こう せいゆ)さん 33歳。現在、札幌の広告代理店に勤務する傍ら、日々SNSを通じてインバウンド観光客に向けた情報や自身の暮らしを発信し、昨年は北海道について中国語で書いた『北海道風格慢旅』(タイトルの日本語訳は、『暮らし旅する北海道』)を台湾や日本などで出版している。来道後に結婚をして子供と3人暮らしという日々の中でどんな北海道の魅力を伝えているのか、お話を伺った。

 台湾の人達に大人気となっているそのフォトブックの表紙は、北海道に住む者にしてみればごく普通の冬の道路の光景。道の両側には除雪後の雪がうずたかく残り、ソロソロと走っていそうな車が写っている。よく見ると、「金物」という看板も。なぜこのような写真を表紙に? と訊いてみると、「台湾の人から見たらこの生活感がすごくいい。北海道らしい」とのこと。片側に寄せられた雪の感じも、屋根から垂れ下がる“つらら”も、北海道独特の信号もとても面白いと。北海道在住9年の黄さんは、そんなふうに、この土地の春夏秋冬、自分が体験する暮らしから気づく様々なことを伝えたいと話す。北海道に二度三度とやってくるリピーターの人達は地元の人達の楽しみを存分に味わいたいので、SNSでも黄さんが普段通う居酒屋や美容室、路地裏の雑貨屋といったお気に入りスポットや、雪が降る前触れの雪虫の話など、観光ガイドには載っていない身近な情報を発信しているとのこと。 

 そもそも、故郷を離れて海外で暮らし、働き、子育てもしながら情報発信し、本まで作ってしまうというのはかなりのバイタリティーの持ち主だ。黄さんは、台湾の大学で観光を学ぶ中で交換留学生として香川県に初来日。鉄道を使っての旅で真冬の北海道を訪れたことでこの土地に惹かれ、卒業後、縁あって小樽の洋菓子店「ルタオ」に就職したところから北海道生活が始まったのだそうだ。そして、北海道が特に好きなのは、「人の優しさもあるから」とのこと。困っていたら声を掛けてくれるし、「何かあっても“ドンマイ!”と言ってくれる温かさがあります」と話す。これからの発信は、さらに、そんな“北海道の人柄”も伝えていきたいとのこと。収録後にも続く雑談の中で、「もっと人に会いたい。例えば、農業の人、漁業の人。その人達の話を聞いて、“どさんこ”の人柄ももっと海外の人達に知ってもらいたいです」と今後の夢を語っていた。

黄晴渝さん 北海道はここのところアジア圏からの旅行客が増え、“インバウンド”という言葉も定着しているが、この地を好きになってくれれば確かに何度も訪れてくれる。初回の旅では綺麗な景色やよく知られた観光地、有名店の人気の食べ物を堪能しても、次はもっと違う面を知りたい、違う季節を感じたい、人と触れ合ってごく普通の暮らしを体感したいというのももっともだ。届けたいのはそういう思いに応える“情報”。北海道の人達の春夏秋冬の暮らしを発信することで北海道ファンを増やしたいという思いは、「いつからか使命になりました」という黄さんの弾む言葉を聞きながら、北海道在住の黄さん自身が、半分“旅人目線”でこの土地を楽しんでいる様子がとても微笑ましく感じられた。

 今回、台湾出身の黄さんとお話をすることになり、予め日本と台湾の関係や歴史的背景を“おさらい”してみる。明治時代、日清戦争に勝利した日本が台湾を統治することとなり、昭和の第二次世界大戦の敗戦の時まで50年もの間、日本と密接な関係にあった台湾。今の時代に生きる者としては、文化も風習も違う“よその地域”を統治する政策への理解は到底難しいものの、今、台湾の人達が日本や日本人に好印象を抱いてくれているというのは、その50年間の記憶の好意的な言い伝えがあったからに他ならない。その間、日本は台湾の土地改革に着手しライフラインを整備し、産業の後押しや学校教育の普及によって近代化を推進させたのだという史実がある。統治する側、される側ではあるから、もちろん負の史実や側面、負の感情も無視は出来ないが、台湾の年配の方々が懐かしそうに日本語を話し、童謡などを歌う表情からは良い思い出が郷愁として伝わってくる(黄さんもお祖父様の上手な日本語に感心していたそうだ)。そして、東日本大震災の時に台湾から巨額の義援金が寄せられたということも日本に親しみを持ってくれているという証だと思うと、その、時間をかけて作られてきた見えない絆をもっと知ろうという気持ちが湧いてくる。
 その“絆”の背景には、かの地の近代化に“人道的”な行いで尽力した日本人が間違いなく何人もいて、地元の人達に尊敬されていたという事実がある。“その時”“その場所”で“人は人に対してどういう振る舞いをするべきか”ということなのだとしみじみ思う。それは数々の歴史が教えてくれているような気がする。例えば、台湾にはその時多くの分野で貢献した日本人の碑や銅像、彼らを記念した場所が今も大切にされているというし、例えば、遠くリトアニアにはユダヤ人の亡命のために“命のビザ”を発給し6000人もの命を救ったという外交官 杉浦千畝氏の記念館や名前を冠した通りがあり、その勇気と人道的判断に対して今もなお尊敬の念が注がれているという。
 70年以上経っても、百年が過ぎても、他の国の人がその国の人に何をしたかの事実は記憶に刻まれ、引き継がれる。だから、“今”の振る舞いも、確実に百年二百年後の記憶に刻まれ、伝えられる。・・・

 日本が好きで、北海道が大好きで、台湾の人達にその良さを自分の発信で伝えたいと屈託なく話す黄さんを見ていて何かほっとするものを感じ、インタビュー後、そんなことをゆっくりと考えてみた。

(インタビュー後記 村井裕子)

ほっかいどう元気びとTOPへ▲UP