ほっかいどう元気びと

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2019年4月28日のゲスト

板谷 貴文さん
株式会社オーシャンデイズ 代表取締役/
スキューバダイビングインストラクター
板谷貴文さん

釧路市出身 40歳。北星学園余市高校卒業。
20代はじめに友人と参加したダイビングの体験教室でその面白さに目覚め、7年間沖縄のダイビングショップで働く。その間にハワイでインストラクターの資格を取得し、札幌に戻りお店をオープン。30代前半、長女が生まれたことをきっかけに支笏湖に移住。
現在は支笏湖や積丹半島でダイビングのガイドを務めるなど、様々なアクティビティを提供している。

村井裕子のインタビュー後記

板谷貴文さん 今回の『ほっかいどう元気びと』は、支笏湖や積丹半島でダイビングやカヤック、シュノーケリングといったアクティビティを通して北海道の自然の素晴らしさを伝えている株式会社オーシャンデイズ 代表取締役の板谷貴文さん 40歳。20代の頃にダイビングの面白さに目覚めてインストラクターとなり、沖縄、札幌と移り住んだ後、家族を得たことをきっかけに支笏湖に移住してきたという。自然の中で遊ぶという楽しみを提供するなかでどんなことを共有したいと思っているのかを訊いた。

 収録前の簡単な打ち合わせで今の仕事に至るまでのプロフィール紹介の文面を確認していると、板谷さんは、「北星学園余市高校卒業も入れてもらえますか? 北星余市の名前を出してください」と気さくな表情でそう話す。HBCテレビの報道ドキュメンタリー「ヤンキー母校に帰る」で話題になり、テレビドラマにもなったあの「北星余市高校」。板谷さんはその3年間、真剣に向き合ってくれる先生達に出会って沢山のことを学んだそうで、時々母校で講演もされるのだという。生徒達は枠にはまらない人も多かったけれど皆夢を持っていて、卒業後に経営者などになって活躍している人達が大勢いるのだと胸を張る。
 板谷さんの歩んだ道も独自だ。幼い頃から冒険好きだったという板谷さん。20代初めにダイビングに出会ったことで沖縄に住み、その間にハワイでインストラクターの資格を取り、7年間ダイビングショップで働いた後に札幌に戻ってショップを開店。長女の誕生をきっかけに家族で支笏湖に移住したのが30代半ば。それまではどうお金を稼ぐかばかりが頭にあったというが、結婚して子供が産まれてから“考え方がガラリと変わった”のだそうだ。「自分はどう生きるのか。どうやったら、幸せな心で家族が生きられるのかを真剣に考えるようになりました」と。

 自然の宝庫である支笏湖で暮らすというのはどういうものなのだろう。小学生の子供は学校のクラブ活動でも夏はカヤックやカヌーに乗ったり、冬はスノーシューで山の中を歩いたりと昔の日本の子供のように遊んでいるそうで、他では味わえない子育てを楽しんでいるとのこと。そして、そういう自然環境や湖の水質が綺麗に保たれてきたのは地域の人達が守り続けてきたからで、自分はそれをアクティビティという観光レジャーを通して伝えて行けたらと話す。そういう綺麗な自然の中で純粋に遊んでもらい、何かを感じてもらって、自分達の居場所に戻った時に身のまわりの自然が汚いなと感じたらゴミを拾うなどの一歩を踏み出してほしいとのこと。決して押しつけではなく、感じてもらいたい。自然環境を守ることは声高に言って変わるものでもなく、“気づいてもらう”ことが大事。そのきっかけとして支笏湖でのレジャーがいい思い出になればと言う。
 そして、今ここに移り住んでこの仕事をしているのはどういう意味なのだろうと自分に問いかけているとのこと。「日々が経験。大事なのは経験することをどう受け取り、捉えるか。いろんなことが起きるが、出来事にはいいも悪いもない。自分でそれをどう打破して、どう意味のあるものにしていくかだと思う」と強い言葉で続ける。そのために自然の中で一旦気持ちを戻すことも大事だし、幸せに生きるためのこれまでの学びを生かすことも大事、何より、家族を大事にすることを原点にやってきたと話す。
 その原点とは、沖縄時代。会社を経営する人達と話をする機会があり、経営者にもいろんな人がいるが大きく2つのグループに分かれるのだと気づいたとのこと。一方のグループは、「脱税の話をしたり、愛人を連れてきたりする」、また一方では、「いつも家族を連れてきて大事にし、夢を持ち、人のことも親身になってくれる」人達。自分は絶対に後者のほうになりたい、それならどういう経営者になっていけばいいかを考えてこれまで来たとのこと。そんなに深く突き詰めているわけではないですが・・・と真面目になりそうになる空気を時折笑い話で変えていたが、“家族が原点”という思いが板谷さんの核の部分を支えていることが真っ直ぐに伝わってくるインタビューだった。

板谷貴文さん 収録後にも続く会話の中でさらに印象に残ったのが、「いい話も悪い話も“人”から来る。だから自分の中に基準を持つ」という言葉。事業をしていると様々な提携話や誘いがいろんな人から持ち込まれるが、「その人が家族を大切にしている人かどうかが自分にとっての基準です」とのこと。身近な家族を大切にする人か否かで一緒に仕事が出来るかどうかを決める。それは「自分で選べる大切な基準」なのだと断言していた。ほんとうにそう。私も同感だ。身近な人を蔑ろにしていながらその他大勢の人を大切にすることなどあり得ない。目の前の人に誠実な人は同じような人達と誠実に繋がっていくだろう。
 板谷さんの言う「自分の中に基準を持って人を見る」というのは、人に振り回されない、自分を見失わないための“魔法の杖”そのものだ。さて、私だったらどういう人と信頼関係を結びたいだろうか。・・・インタビュー後は沢山の触発をいただく。今回も余韻の中であれこれ思い巡らす。考え始めると、あるある・・・いろいろある。例えば、「最も身近な人を大切にする人」+どんな立場にあっても「権力や地位を笠に着て弱い立場の人を蔑む言動をしない人」。その“基準”は外せない。かなり敏感なセンサーが反応する。
 そうして、言語化しながらさらに気づく。そんなふうに人に対しての基準を持つということは、「自分はそれが出来ているのか」を厳しく自分に課すことでもあると。返す刀で「自分は最も身近な人を大切にしているか」「自分は人に公平に接しているか」「言っていることとやっていることがぶれていないか」と、問いかける。言行一致がすべて出来ているなどおこがましくてとても言えない。「人間だもの・・・」と相田みつを風に言い訳をしそうになることもしょっちゅうだ。ただ、“そうなりたい”と思い続けることだけは出来ると思っている。“そうなりたい”エネルギーが運ぶ方向はきっと間違いがない。それを信じて日々の言動に落とし込む。

 「元気びと」達の“私はそうなりたい、こうありたい”という背筋の伸びた言葉を聞けることはなんと刺激的で幸せなことだろう。それは私自身にとって有り難い贈り物。心の中の見えない引き出しに大切に仕舞わせていただいている。

(インタビュー後記 村井裕子)

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