ほっかいどう元気びと

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2019年2月24日のゲスト

関谷 博さん
管楽器専門店「三響楽器株式会社」代表取締役会長
関谷博さん

中標津町出身 73歳。
9人兄妹の8番目として中標津町で生まれ育ち、釧路工業高校に進学。勉強の傍ら吹奏楽をはじめ、卒業後はさまざまな仕事を経て、中標津町で兄が営む楽器店に就職。楽器の扱い方や修理などを学び、1981年 35歳で現在の「三響楽器」を札幌に開く。
プライベートでは、フルバンド「ジョイフル・ハート・オーケストラ手稲 (J-HOT) 」でバンドマスターとして活躍。また、札幌大谷大学芸術学部音楽学科 音楽指導コースの学生として音楽を学んでいる。

村井裕子のインタビュー後記

関谷博さん 「自分に欠けているところは、自分で気づいて、自分で充たす努力をしていく。そこに終わりはない」・・・今回の『ほっかいどう元気びと』、インタビュー終了後に浮き彫りになった“大事なこと”を言葉にするとそういうことかもしれない。
 お客様は、札幌市手稲区の「三響楽器株式会社」取締役会長の関谷 博さん 73歳。道東の中標津町出身の関谷さんが札幌に出てきて管楽器専門店を開いたのが1981年(昭和56年)。以来、個々に合うものを試して選んでもらうという販売のみならず、地方へ出向いてのきめ細かい修理なども評判を呼び、プロの演奏家から吹奏楽部などを擁する各学校の先生や生徒達、アマチュア演奏家達まで、幅広い信頼を得て今に至るのだという。
 現在は経営の一線からは退き会長の立場の関谷さん。プライベートバンドの「J・HOT(ジョイフル・ハート・オーケストラ・テイネ)」でもサックス奏者として音楽を満喫しているとのことだが、2年前からは札幌大谷大学芸術学部で音楽を学ぶ学生でもあるという。お話を伺っていくと、その意欲の源は、ずっと抱えてきたコンプレックスにあるとのこと。73歳。「音楽指導コース」の学生生活は春休みなどを除き平日は教科と実技で朝からびっしり。若い人達に付いていくのが大変と言いながら嬉しそうに教えてくれるその胸の裡を興味深く聞かせていただいた。

 10代の頃からお兄さんの影響で吹奏楽を始め、後にバンドなどでサックスも吹いていたという音楽歴の長い関谷さんが70代で一から音楽を学ぼうと思ったのは、これまではすべて自己流だったからとのこと。仕事を通して吹奏楽部の先生や生徒達に何か専門的なことを聞かれた時に、答えてはいるけれどなんとも物足りない思いを抱き、それが自分の中ではとても恥ずかしく、ずっと心に引っ掛かってきたのだという。その“引っ掛かり”を何とか解消したいという思いを人にも話すうちに、大谷大学の先生に相談する機会を得、具体的な学部やコース、その方法が具体的になり、受験をすることになったのだそうだ。
 「“こんなことをしたい”と人に話して自ら動き始めると、自然と人が助けてくれる」と、この番組でお話しされる多くの方と同じような“法則”を関谷さんも口にする。「すべての出会いにこれまで助けられてきたんです」と。
 ご自身の中での忸怩たる経験はもうひとつ。初めてサックスを手にした10代の時、有名一流メーカーだからと吟味もせずに購入したのだそうだが、自分に合うかどうかが大切という知識を知らずに買ったために、より良い音を出すことが出来ず、そのコンプレックスを60代までも引きずって来てしまったということ。手作りされている楽器というのは、同じメーカーの同じ種類でも音を出してみると微妙に違うものなので、しっかり選ばなくてはらないのだそうだ。これから楽器を手にする人には自分と同じような失敗をしてもらいたくないという思いで、「三響楽器」ではすべて専門家による試し吹きをした上で厳選したものを仕入れ、さらにお客さんが試すことで、個々に合った最良の楽器を選んでもらうことを心がけてきたとのこと。
 自分自身もプレーヤーとして音楽の楽しさや難しさ、そして深さを知っているオーナーだからこその願いなのだろう。失敗を軌道修正し、足りないものを少しずつでも身に付けることの出来た自分がさらに音楽に取り組む人達の役に立ちたいという思いが伝わってくる。それはそのまま、音楽を通しての“人作り”にも貢献したいという使命感でもある。

関谷博さん 収録後、さらに思いを聞かせていていただく中で、今、音楽を一から学んで、それをどう活かしていきたいかを訊いてみる。答えは、「吹奏楽の子供達に接した時に何か学んだプラスアルファを伝えられればそれでいいよね」とのこと。幾つになっても“誰かの役に立ちたい。誰かの夢を叶える手助けをしたい”という思いに深く共感。そのために大事なのは、「自分の欠けているところは、自分で気づいて、自分で充たす努力をしていくこと」。関谷さんは“充填”という絶妙な言葉で表現されていたが、まさに可能性を膨らませるための行動ヒントなのだと感じさせていただいた。
 これも雑談の中の話。若い頃、中標津のお兄さんの楽器店で働き、お店の規模も大きくしてきた中で、自分は札幌に出ようと思い立ったのは、「なんだか、井の中の蛙でいばっている自分が見えて、そんな自分が嫌だったから」なのだそう。当時、アマチュアバンド活動もする傍ら、地域の音楽イベントの音響や照明の委託業務などにも精力的に携わっていた関谷さん、このままでいたらもっともっと“偉くなってしまう自分”を白紙に戻したくて、札幌でゼロからのスタートを選んだのだという。
 自分の中で何か大切なものが“欠落していくこと”に気づくセンサー。それを稼働させることは、“欠落しているもの”を埋めることよりもっと重要かもしれない。そこに気づくか、気づかないかで・・・その後の心の幸せは全く違うものになるだろう。

 今の時代、“空虚感”が蔓延しているのだと最近何かの文章で読んだ。持てる者も持たざる者も、老いも若きも、性別、住む所にかかわらず、スルリと心の襞に“空虚”という実態のよくわからないものが入り込んでくるという時代。空っぽ・虚しさ・虚ろ・・・字からも行き詰まり感が伝わってくるようだが、そんな時こそ、何はともあれ“充填”だ。自分で、足りない何かを、埋めていく。他人のやり方、ではなく、自分のやり方で。活字を読んで埋めていくのでもいいし、したかった勉強をしてみるでもいい。楽器を習うでも、逆に何かを教えるのでもいい。膨らませるためにまずは“ぼーっとする”でもいいかもしれない。
 自分を見つめ、不足に気づき、それを充填していくためにささやかな行動を選択し続けていれば、空虚になっている暇などないだろう。そして、それは、きっと終わりが、ない。
 今回、73歳、コンプレックスと使命感の両輪が動力となるエネルギッシュな取り組みを聞かせていただいて、そんなことを感じた。

(インタビュー後記 村井裕子)

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