ほっかいどう元気びと

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2019年2月17日のゲスト

クレイン中條さん
「北都プロレス」代表/レフェリー
クレイン中條さん

鶴居村出身 69歳。
13歳の時にテレビで観たプロレスで力道山らの活躍に感動し、プロレスラーを目指して自己流のトレーニングを重ねる。
「釧路商業高校」定時制に通い柔道部で鍛錬を続けプロデビューを目指すが、化粧品会社に勤め、家庭を持つうちに夢を断念。
しかし54歳の時、仲間から「団体を立ち上げてほしい」と熱望され、2004年「北都プロレス」を設立。代表兼レフェリーとして、仕事の傍ら道内を中心にこれまで115市町村を回っている。
※北都プロレスの試合日程等は公式HPをご覧ください。

村井裕子のインタビュー後記

クレイン中條さん 今回の『ほっかいどう元気びと』は、今年で設立15周年になるという北海道のプロレス団体「北都プロレス」代表兼レフェリーのクレイン中條さん 69歳。全道各地での年間32回程の興行を自らの営業で積み重ね、試合のみならずお年寄りや子供達にも楽しんで貰いたいと小さな町村の学校や福祉施設などの訪問も欠かせないという。
 その“プロレス愛”の活動にどんな思いを込めてきたのか、お話を伺った。

 中條さんの年齢からすぐに分かるのは、まさに日本国中プロレス旋風が巻き起こっていた頃に子供時代を過ごされたということ。10年程後に生まれた私にとっても家族揃ってテレビのプロレス中継を見るのが最大の娯楽だったのを覚えている。あの頃、日本中が熱狂していましたよね? とスタジオにお迎えして開口一番話を振ると、「皆が4本足のテレビに齧り付いていましたよ!」と満面の笑みの中條さん。そして、「戦争に負けて復興に向かっていた日本にとって力道山の強さは励みだった。そうやって頑張っていた時代だったと思う」と、時代がプロレスを生み出したその背景を語るのを聞きながら収録準備へ。
 収録が始まり、そんなふうに夢中になった子供の頃の気持ちが今もずっと続いているのですねと問いかけると、本当に楽しそうに頷く。中條さんにとってのヒーローは勿論力道山。テレビでその強さを観て立ち上がれないほど感動し、自分もプロレスラーになろうと出身地の鶴居村の自然の中で我流のトレーニングを積み重ねたものですと思い出が溢れる。
 その後、釧路の定時制高校に通いながら柔道部で鍛錬を続けプロデビューを目指したそうだが、体格が小柄だったために当時の国内プロレスでは難しいと考え、体の小さいプロレスラーでも活躍出来る海外へ行こうと外資系の化粧品会社に就職。とは言え、そのうちに家庭を持ち、日常の忙しさの中でプロへの夢は薄れてしまい、その結果断念。しかし、やはり好きなものは好き。胸の奥に引っ込めても年を重ねても、何らかのきっかけで意識の上に昇ってくる。中條さんは化粧品販売の仕事を生業として走り回る一方、道内のプロレス団体の手伝いを続ける中、周りから団体を立ち上げて欲しいと請われるかたちで新団体を設立。営業から興行の段取りすべて自分自身が執り行う「代表」と試合の「レフェリー」を兼ねるという54歳からのチャレンジをスタートさせ、現在、所属・フリー合わせて10名のレスラー達と400試合を達成してきたのだという。

クレイン中條さん 中條さんは胸を張る。例えば、3月15日に釧路町で行う試合場所は町役場の2階のコミュニティセンター。「興行はすべて地方自治体や地域の人達と一体となって企画し、マチの人達、お年寄りや子供達、家族皆で来て貰えるようなアットホームな催しにしています」とのこと。地域の人達を楽しませ、元気にする活動が「北都プロレス」の持ち味なのだという。
 行く先々のお年寄りは昭和のプロレス全盛期を知っている人達。だから目の前でプロレスを観て元気になって貰いたい。レスラー達のパフォーマンスで大いに笑って貰いたい。若い人や子供達には、“やられても、やられても、立ち上がる根性”を身につけて欲しいと中條さん。「プロレスは相撲や柔道と違って、一度投げられておしまいというのではなく相手の技を受けて、受けて、耐えるもの。そこがいい」と“受け身の美学”と言われるプロレスの醍醐味を表現し、さらに、「僕の生き方もそう。その、やられても立ち上がるというのがそのまま人生観だね」と、来し方を振り返ってしみじみと語る。
 ふと思う。人にとって“大好き”と言えるものを持っているということは、その人自身を一貫して支える“つっかえ棒”になるのだと。中條さんにとっての“大好き”はプロレス。そして、なぜこの競技にこんなに心が揺さぶられるのかとの問いと、人が生きることへの問いへの答えをだぶらせることで、「受け身の美学」を自分の生き方にトレースすることが出来る。「よし、格好いいレスラーのように、耐えて、耐えて、最後は立ち上がろうじゃないか」と生きる力に変換出来るのは、“大好き”が生み出すエネルギーのなせる業(わざ)だ。

 「実は、“プロレス大好き人間”はどの地域にも必ずいましてね・・・」と、中條さんは収録後もさらに楽しそうに付け加える。ある場所に興行に行くと、決まって、「あそこのあのマチにもこんな人がいますよ」と、次なる“プロレス大好き人間”を教えてくれるそう。そこからまた繋がりが出来、次の場所で新たな実行委員会が立ち上がって、全道で催しが実現していくという仕組み。「各地の隠れプロレスファンに支えられています」と中條さん。聞けば、普段はあまりプロレス熱を公言していない人が多いそうで、人づてで出会っていくと、こんなに“隠れファン”がいたのかと嬉しい思いになるのだそうだ。
 今回は、私にとって「へぇ~、今、プロレスはそうなっているんだ・・・」「隠れファンがそんなに多いというのも初めて知った・・・」などなど、新しい発見ばかりだったが、このインタビューの直後、きっと私の中に見えない“アンテナ”が立っていたのだろう。新聞で次のような本の広告に目がとまった。『「プロレス」という文化』(岡村正史著)。サブタイトルには「興行・メディア・社会現象」とあり、338頁3500円というけっして安くない値段からも、プロレスを読み解く入魂の研究書というのがわかる。
 紹介された目次がまたなんとも“学術的”。「ロラン・バルトとフランス・プロレス衰亡史」「力道山研究という鉱脈」「日本プロレス史の断章」「プロレス文化研究会の言説」・・・etc.
 多くの新聞紙上で紹介された話題の書だと広告文には書かれていた。熱い“プロレス愛”を持つ人の思いは半端ではないのだよと伝わってくるではないか。ディープなプロレスファンは実はあなたの隣にもわんさかいるのだよと囁いているような文面ではないか。・・・
 プロレスには人の心を沸き立たせる何かがある・・・らしい。昭和の子供だった私も4本足の家庭のテレビから流れてくるプロレス中継に確かに夢中になった。あの時、子供といえども“琴線”に触れたのは、これまで全く意識していなかったのだけれど中條さんの話を聞いて、「耐えて、最後は立ち上がる」という心構えだったのだと、今、後付けで分かる。
 私が・・・というより、時代が求めていた「受け身の美学」。例えば“根性”という精神論は、今の時代では少し“取り扱い”に注意が必要で、人に無理強いすることや自分を追い込みすぎることは避けなければならないワードではあるが、やはり、その精神性は昭和という時代を、そして老いも若きも含めた当時の人を、丸ごと支えた一本柱だったのだと改めて思う。そんな“昭和の文化”であったプロレスがこの先、平成を踏み越えてどう繋がっていくのか、さらなる未来への視点で興味が湧くのだった。

(インタビュー後記 村井裕子)

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