ほっかいどう元気びと

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2019年1月13日のゲスト

高野 稔さん
和装履物専門店「現代屋」代表取締役/鼻緒すげ職人
高野稔さん

札幌市出身 58歳。
北星学園大学卒業後、製菓製パン会社に勤務。
30年ほど前、59歳で亡くなった母親の「家業を継いでほしい」という言葉をきっかけに、祖父の代から続く「現代屋」に入社。
三代目として、老舗の店を守りながら、和装履物の魅力を伝えている。

村井裕子のインタビュー後記

 私が初めて北海道民となったのは、放送局入社の1979年の春。あっという間に40年が経つ。念願の社会人ひとり暮らしに胸躍らせながら札幌の街で家財道具を探し歩き、暮らしを整えていったことが懐かしく思い出されるが、その時の光景で甦ってくるのが昭和50年代の狸小路だ。あの店この店・・・間取りも雰囲気も鮮明に覚えている。
 初めて自分専用のテーブルを買った「キラク堂」(高さ調整が出来る折り畳み式。すぐにでも使いたくてタクシーに乗せ自力〈怪力?〉で持ち帰った)、包丁は「宮文刃物店」、念願だったステレオを選んだのも狸小路の「そうご電器YES」・・・。鍋釜食器の細々としたものまで、改めて振り返ると私の北海道生活は狸小路から始まったのだった。
 40年前の札幌は“住”の買い物がほぼこの老舗アーケード街で賄えたわけだが、その後は街も様変わりし、買い物形態も大型スーパー・郊外型家具店・ネットなどに移っていった。暮らしの買い物で狸小路に立ち寄ることは減り、気づくと無くなってしまったお店も多いが、そんな変遷の中でも息長く続けている店もある。そこが狸小路の底力でもあるのだろう。
 今回の『ほっかいどう元気びと』は、その狸小路で昭和8年創業の和装履物専門店「現代屋」三代目の高野 稔さん 58歳。お店は長らくサンデパートにあって親しまれてきたが、再開発事業のため2018年春から南2西2のオカダビルに店舗を移して営業中。草履や下駄などを扱う店は創業当時札幌市内に百軒ほどあったそうだが、鼻緒すげ職人が常駐する店は今では「現代屋」のみ。時代が変わる中で何を大切にしてきたのかお話を伺った。

高野稔さん 高野さんは大学を卒業後製菓製パン会社で営業として働いていたというが、病気になった母親の「家業を継いで欲しい」という言葉に心を決めて28歳の時に「現代屋」に入ったとのこと。それまではこのままサラリーマンを続けて行くのだろうと漠然と思っていたそうで、和装履物についての知識も鼻緒のすげ方もすべてお店に入ってから学び、技を身に付けていったという。最初はお客様から聞かれたことに答えられず、ひとつひとつ先輩従業員に訊きに行っては答えるということを繰り返し、鼻緒をすげることもまずは自分で履いてみないことには調整も出来ないからと下駄や草履を履いて歩き、なぜ痛くなるのか、どうしたら足に馴染むすげ方が出来るのかをひとつひとつ研究したのだそうだ。何より、和装履物は痛いものと思われていることを払拭し、足に合っていれば履きやすいものだということを知って欲しい、そのために鼻緒すげ職人のいる店としてひとりひとりに対応していきたいという気持ちで続けてきたとのこと。それは、“お祖父ちゃんの代”から続けてきたことだし、受け継がれてきたことだから当たり前のことですと淡々と話す。
 和装から洋装という時代の流れの中でマイナス要素も当然あるわけだが、そんな中でも、道外の観光客が職人のいる履物店は珍しいと訪れたり、海外の旅行客の人気を集めたり、ホームページを充実させてネット販売の工夫を重ねたりと、時代の変化に合わせた対応で根強いファンを掴んでいるとのこと。移転後の店の場所は少し分かりにくいところにあるのだそうだが、収録後、「2、3度迷っても、それでもあきらめないで来てくれるお客さまがほんとうに有り難いです」と恐縮しながら話されていた。“「現代屋」さんはどこへ行ったのですか?”と迷って尋ねるお客様に狸小路のお店の人達も親切に道順を教えてくれているそうで、そういうエピソードからも狸小路の古くからのお店同志の連帯感のようなものが感じられるのだった。

高野稔さん これも収録後すぐに語ってくれた言葉。緊張感が解けた様子でこう話す。
 「この番組の出演をきっかけに、子供時代の店のことや職人さん達との思い出が蘇ってきて、いろいろなことを振り返ることが出来ました」
 『ほっかいどう元気びと』ご出演者には、事前にリサーチスタッフによってオファーと取材がなされる。その事前取材のいくつかの問いかけによって出演者は大体の「話すべきこと」の心の準備が出来、ディレクターと私はそのきめ細かい取材シートによってどういう取り組みなのか、どんな思いを持って活動している人なのかという全体像を知ることが出来る。番組を作る上では無くてはならない作業だが、そんな予めの問いかけがあったからこそ高野さんも来し方をゆっくりと紐解くことが出来たのだろう。
 「今回、そうやって振り返ることで気づいたことは何ですか?」と高野さんに改めて訊いてみると、それは幼い頃の思い出だという。店と住まいが一緒の「現代屋」で育った高野さん、いつも居る部屋には和装履物の材料が置かれ、職人さんはそこで鼻緒をすげるなどの指先仕事をしていたのだそう。今思うとその指の動きを子供心にじっと見ていたから覚えていたのだなとか、最後まであきらめずにプラモデルを仕上げる自分のことを職人さんが「根性ある」と親に言ってくれたことがとっても嬉しかったなとか・・・改めて、“家業が生活に根づいていた”ということを今回の出演を機に思い出したのだそうだ。根づいていたからこそ知らず知らずに触れていた空気が自分自身の血肉を作っていたのだということへの気づき。
 そんなふうに、顕在意識では気づいていない“人の中の潜在意識”が質問によって触発され、言葉にすることで大事なことを確信する面白さも改めて感じさせていただいた。

 時代の流れの中で暮らしのテンポはどんどん速くなり、前のめりに進みがちな世の中だが、時々は自分の来し方を振り返ってみるのもいい。その時自分はこう思っていた、こう感じていたとアウトプットしてみることで忘れていた感謝も甦ってくるし、前に進む新たな力が湧いてくるかもしれない。私も高野さんへのインタビューをきっかけに札幌でのスタートを思い出し初心を振り返ることが出来た。懐かしい狸小路の風景と共に、とにかく“思いの強さ”だけはあったなぁと今だから冷静に認められる自分の強みを再確認。何より、そんな“思い”というエネルギーに満ちた信念を持つことが沢山の出会いを引き寄せるのだという自分なりの“法則”を大切にし続けたいと思いを新たにした。
 ラジオを聴いている方々おひとりおひとりにとっても、そんな何かしらの触発となるような番組でありたいと思う。

(インタビュー後記 村井裕子)

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