ほっかいどう元気びと

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2018年11月25日のゲスト

小林 真弓さん
「NPO法人ねっこぼっこのいえ」代表
小林真弓さん

札幌市出身 47歳。
福祉系の専門学校で学び、2年間特別養護老人ホームで介護の仕事に就いたあと看護学校に通いなおし、卒業後小樽の病院に勤務。
その後結婚し二人の子供が生まれたのを機に子育てサークルに入り、子育て支援に携わるようになる。
2007年、仲間とともに子育てサロン「ねっこぼっこのいえ」を設立。

村井裕子のインタビュー後記

小林真弓さん 前回、『ほっかいどう元気びと』は399回目と書いた。おかげさまで今回は400回。お客様は、札幌のNPO法人「ねっこぼっこのいえ」代表の小林真弓さん 47歳。子育てサロンを通して地域の交流拠点作りを続けるその思いを訊いた。
 「ねっこぼっこのいえ」を立ち上げたのは今から11年前。ふたりのお子さんの子育てをきっかけに子育てサロンに出会い、今度は当事者として場作りをしようと仲間達と話し合って今のような形にしてきたとのこと。そして、名称としては“子育てサロン”だが、お話を訊いていくと、赤ちゃんと保育者のみならず、もっとあらゆる人達に対して“柔らかく開かれ、迎え入れている場”だということが伝わってくる。
 「ねっこぼっこのいえ」の“らしさ”は、赤ちゃんから高齢者まで多くの世代が交流出来、さらには、月に一度の夜型子育てサロンを行っているということ。お年寄りも気軽に集えることで、孤立しがちな核家族時代の子育てを見守り、手を貸すことが出来る。中高生達にも勉強場所の提供によって、例えば、不登校など心の悩みを抱えている場合でも多世代の人達がいるその場所では何か人の役に立つ自分を発見することも出来る。
 そして、「おかえりひろば」と名付けている夜型子育てサロンは、シングルで働きながら子供を育てる人が増える中、夜でも集える場がほしいという声に応えたものだそうで、小林さんは「親戚が集まってご飯を食べたり、お喋りをしたり、そんな雰囲気です」と、様々な年代が顔を会わせる場の和気あいあいをそう表現する。
 日頃胸にしまっていた思いを話せたり、子育ての大変さを分かち合えたり、誰かを手伝って笑顔になる人がいたりという“ほっとするひとときの居場所”。小林さんは、“家庭と社会(学校)のあいだの居場所”という表現もしながら、ほんの少しでも人に守られている実感を味わえるこういう場所で人への信頼を回復させ、そしてまた本来の自分の場所に戻っていってほしいと話す。
 そして、この場作りによって最も自分自身が人を信頼する力を取り戻せたのだと素直な笑顔で続ける。小林さんは「育った環境が厳しいものだったために人への信頼の欠けた子供だった」と言い、それが子育てサロンに通い始め、さらには運営に携わるようになって自分が変わっていったという。何より、人との関わりによって、「人って悪いところもある。けれど、人っていいな、捨てたもんじゃないなと思えるようになっていった」と。
 そうして、この「ねっこぼっこのいえ」という場もただ温かいだけの場所ではないと笑う。いろいろな人がいることで、運営側の自分達も学んだり工夫し合ったりして大事な素地を作ることが出来たし、集う人達もいろいろな人と接することでしか得られない大切な何かを得られるのがいいのです、と。

小林真弓さん 収録後にもお話を進めていくと、小林さんの人を見つめる柔軟な眼差しが言葉によって表現されていく。小林さんは言う。「人への信頼回復というのは、例えば、“この人どうしようもない”と思っていた人が、ふと、いいものを見せてくれたりした時に可能になるんです」と。例えば、人に対して困らせるような態度を日頃取っている人が、何かの折に誰かに助けの手を差しのべていたり、誰かの役に立っていたりするのを垣間見た時。「そういう時はほんとうに嬉しくて、この人もあの人もいて良かったと思います」と嬉しそうに語る。
 そして、「人は不完全でいい。不完全だからこそ、誰かがフォローしてくれる。不完全さゆえ誰かの役に立つこともあるし、不完全なままでも誰かを支えることが出来るということを、人との関わりで感じて貰えたら」と、多様な人達がその個々の等身大のままでそれぞれに支え合うことの大切さを言葉にしてくれた。

 ふと、前々回、11月11日のこの後記で書いた宮沢賢治の『虔十公園林』を再び思い出す。主人公の“すこしたりないと子どもらにばかにされて笑われていた虔十”は、まさに不完全だ。でも、だからこそ家族や近所の人達は虔十を支え、また虔十の天真爛漫や一生懸命さが意図せず周りの人達を支えている。そして、賢治作品の中には、人をいじめたりからかったりする“いやなヤツ”もけっこう出てくる。『銀河鉄道の夜』の「ザネリ」とか、『よだかの星』の鳥たちとか。『虔十公園林』では、「平二」という若者がそう。一心に杉の苗を植える虔十が気にくわなくて、度々ちょっかいを出しにやってくる。
 「やぃ。虔十、ここさ杉植えるなんて、やっぱりばかだな。だいいち、おらの畑ぁ日かげにならな。」
 虔十の優しいお兄さんがいない時を見計らってやってきては、いちゃもんを付ける。
 「虔十、きさんどごの(おまえのところの)杉きれ。」
 虔十が一生のあいだのたったひとつの人にたいするさからいとして、「きらなぃ。」ということばを発すると、いきなり虔十のほおをなぐりつけてしまう平二。どうみても“どうしようもない、いやなヤツ”。
 だけど、平二も“不完全”なのだと思うと、ちょっぴり人の見方も変わってくる。物語中では、「平二は百姓もすこしはしていましたが、じつはもっとべつの、人にいやがられるようなことも仕事にしていました」とある。平二の心の背景にもいろんなことがあるのだ。二次感情として虔十に怒りを向けているが、その奥の一次感情は一体何だろう。“人にいやがられるような”仕事ゆえに、人に認められていない寂しさだろうか。虔十のような家族の温かさが得られない孤独感だろうか。いつも笑っている虔十の自由な心への嫉妬心だろうか。
 ジョバンニにいじわるな言葉ばかり投げつけるザネリも、よだかを見下す鳥たちも、皆“不完全”を抱える中で心の中のいやな面が出ているのだとしたら、そういう心を受け止める温もりは欠かせない。小林さんが言う、「人は不完全のままでいい。それを、人の間で気づける」という大切さだ。
 人の心は不完全な多面体。誰しもがイヤな面も持っている。でも、優しい面をオモテ面にして人に接し続けていれば、向かい合う人の優しい面もきっと前面に押し出されてくる。
 最近注目される「子ども食堂」や夜に集える「子育てサロン」など、人と人とがひととき集えるそんな“居場所”は、これから益々大切な心の拠点になってくると改めて思う。

(インタビュー後記 村井裕子)

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