ほっかいどう元気びと

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2018年7月22日のゲスト

吉田 和彦さん
道の駅石狩「あいろーど厚田」を運営する
株式会社あい風 代表取締役
吉田和彦さん

兵庫県宝塚市出身 61歳。
全日空、AIRDOに勤めている間に2度の札幌勤務を経験し、北海道に魅了され、54歳で早期退社。
八雲町観光物産協会で北海道新幹線開業に向けた物産館のオープンに携わった後、石狩市で地域振興アドバイザーとして着地型観光のまちづくりに取り組み、今年2018年4月にオープンした「あいロード厚田」を運営する第三セクター「株式会社 あい風」の代表取締役に就任した。

村井裕子のインタビュー後記

 前回、北海道という土地が持つポテンシャルについて書いた。自然、人、産物・・・そして、本州生まれの私の内なる“扉”も伸び伸びと開けてくれた精神的風土について。
 一度暮らしてみるとその良さがよくわかる。物事を捉える“ひな型”の柔軟さが。個々の可能性に対する肯定の度合いが。そして、人間関係の距離感のほどよさが。
 知り合いが無い中で移住してきても、不安いっぱいで転勤してきても、それらの魅力がそんな人達の心を捉えて離さないのだと思う。

吉田和彦さん 今回の『ほっかいどう元気びと』も、転勤で札幌に住み、早期退職を選択しそのまま北海道で持てる力を発揮している人。4月にオープンした道の駅石狩「あいろーど厚田」を運営する第三セクター「株式会社あい風」代表取締役の吉田和彦さん(61歳)にお話を伺った。
 兵庫県宝塚市出身の吉田さんは、長い間、航空会社で様々なアイディアを形にする営業分野に取り組み、50代、2度目の札幌勤務の折に早期退職を決意。北海道の暮らしにすっかり馴染んでいたご家族の賛同もあり、この地で新たな仕事に関わることになったのだという。北海道新幹線の開業に伴う八雲町の物産館のオープンに携わった後に石狩市の地域振興アドバイザーとして着地型観光のまちづくりに力を注ぎ、さらには今回の石狩「あいろーど厚田」の立ち上げに参画。「外から来た者だからこそ、埋もれている宝があることに気づく」と、北海道の各地方のまだ発掘されていない良さを掘り起こす仕事の意義を語る。
 道の駅は全国で1130か所程あり、「あいろーど厚田」は道内で120番目なのだというが、ここは全部で72か所ある“重点道の駅”に指定されているとのこと。物産振興と観光振興の役割を担い、まちを活性化させていくための“地方創生”の重点箇所なのだそうだ。
 吉田さんは、「地方の人達は地元を何も無いところとよく言いがちだけれど、外からの目で見ると魅力が沢山あります」と、“着地型観光”としての石狩厚田の魅力を具体的に説明してくれる。例えば、冬のバスツアー。港に揚がった生きのいい鰊をさばいて刺身にしたり鰊漬けを作ったりという体験をして貰う企画が大好評だった例を挙げ、他所からの人にとってみれば“非日常の体験”が出来る観光資源が地方はまだまだあると、今最も熱く関わる石狩地域の“宝”を嬉しそうに教えてくれる。他にも、農産物でジャムなど加工品を作って貰う、人に出会って貰う、土地にまつわる話を聞いて貰うというツアーで人を惹き付けることにより、地元の人達も自分達の足元の宝に気づくことにも繋がるのだと話す。
 「人口が減っていく市町村がそういうことを通じて“お金儲け”をして欲しい」と吉田さん。お金が回る仕組みを地域に作れば、都会に出ていた若者が実家に手伝いに戻り、移住者が仕事を求めてやってきて、人が増えると市が立ち、そこに観光客がやってきてお金を使う。そんなふうに地方の疲弊をくい止めたい、そのための“宝もの”発掘なのだと思いを溢れさせる。「地域の産物も宝だけれど、実は人も宝」という言葉の意味が全体を通して伝わってくるお話だった。

吉田和彦さん 吉田さんの仕事観は、「お客様に喜んでいただく、スタッフや仲間達に喜んで貰う、そして、自分も面白く楽しく」ということ。いわゆる、昔から日本人が大事にしていた“三方よし”にも通ずる。収録後にさらに伺うと、そういう仕事の仕方は航空会社の営業時代に培ったものだという。それはどこへ行っても大事なことだと思う、と。そんなふうに、早期退職後の50代から60代にかけて仕事が繋がってきたのは、やはり人間関係を大事にされてきた結果なのだと伝わってくる。ビジネスのため、利益第一のために大事にする人間関係なのではなく、誰かのために何かやってあげたいという思い。それで地域が、会社が、スタッフが、勿論自分も幸せになることなら喜んで尽力しましょうというスタンスだ。
 「君の助けが必要なんだと言われると、お困りのことはなんですか?と出向いて行っちゃうんです」と話される口調に“頼られること”の幸せ感が溢れ、第二第三の人生設計のヒントがにじみ出ていた。

 吉田さんとほぼ同年代、60からの新しい地平を俯瞰し始めた私も最近そんなことをよく考える。若い頃は自意識をもて余して空回りしていたなと冷や汗が出る思いだが、今はほんとうに純粋に人のために何が出来るかと考えることで湧き水のように力が湧いてくる。
 仕事で、番組で、講座で、一期一会の講演や朗読会で出会う人達にどんな“目に見えない”贈り物が出来るだろうか。背中を見続けてくれる後輩達やまだ見ぬ後進達のためにどんな道を踏みしめ、どうその道幅を拡げていけるだろうか。そんな思いを巡らすことが確かに自分のためにもなっている。それはまさに“三方よし”。
 ある後輩と久々にゆっくり話した後で、「 還暦祝いの節目に(“村井さん”という呼び名から)“ゆうこさん”にしてみようと思います」というメールを貰った。それもいいなと思う。個人としての、そのままのわたし。「村井」という苗字は夫婦別姓の旧姓通称使用で、まだまだ保守的だった35年も前の放送局で先駆けとして使い始めたが、次の人達が歩く道のために“けものみち”くらいは通せたかなと思うと、やや肩肘張って掲げてきた旧姓に対しても少し力を抜いてみるかという気持ちにもなっている。“看板”や旧姓や戸籍名や・・・とりあえず、それらの枠組みからも精神的に自由になり、これからは“素のままのゆうこさん”で人と向き合えればいい。「追いかける先輩の背中がある幸せ」という彼女のメールの結びの言葉にしみじみ幸せを感じながら、石狩「あいろーど厚田」の吉田さんの“実は人が宝”という言葉を何度も噛みしめた。
 吉田さんが、「北海道の各地域には宝がいっぱい。その良さを外から来た自分が掘り起こしたい」と話されていたが、同じように私は北海道で出会えた人達、これから出会う人達の良さを引き出す役目をさらに楽しみながら深めていきたいと改めて思う。

(インタビュー後記 村井裕子)

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