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左手のフルート奏者 「正直ラッキーだった。アドバンテージをもらった」“健常”と“障害”の感覚を受け入れて…畠中秀幸さんが描く「音楽×農業」の新たな空間

2025年08月02日(土) 09時00分 更新

右半身に麻痺を抱えながらも左手でフルートを演奏する畠中秀幸(はたけなか・ひでゆき)さん56歳。

病気によって生まれた異なる2つの感覚を受け入れ、音楽と農業が対話する新たな空間をつくろうとしています。

いま最も忙しく、最も演奏依頼がきているフルート奏者のひとりかもしれません。



この日は、人間国宝で能楽師の津村禮次郎さんと共演です。

左手のフルート奏者・畠中秀幸さん(56)
「僕でいいのかなと。すごい方から話をもらってありがたかった」



これまで築地本願寺や沖縄の戦争遺跡など、全国各地で演奏してきた畠中さん。

もう1つの顔があります。

4月、長沼町へ。

左手のフルート奏者・畠中秀幸さん
「農業をやりながらアート活動をしよう、めっちゃ面白そうでしょ」

到着したのは、農業で使われるD型倉庫。

建築家としての新たな活動場所です。

フルート奏者・畠中秀幸さん
「ここにも野菜を貯蔵するんですが、一般の人にも開放して音楽を聞かせた作物を売ったりするスペースと、ステージにして演奏会ができるような形に」



目指すのは、音楽と農業をかけ合わせた「アートヴィレッジ」という施設。

暗く、農器具が並んでいた倉庫は、サビや土を生かしながらも、木のあたたかい香りが広がる空間へ。

フルート奏者・畠中秀幸さん
「演奏会のときにパタンと開くと音が抜けると回る。塞ぐと音が止まる」

大きな観客席が並び、トタンがむき出しだった壁は、音が反響しやすい材料を施し、音楽ホールとなりました。



フルート奏者・畠中秀幸さん
「壊して新しいものを建てるのはいいのかもしれないが、いい空間があったら使わせてもらう」

建築と音楽。音楽と農業。

異なる2つのモノを繋ぐ活動のきっかけは、14年前に畠中さんを襲った病にありました。

フルート奏者・畠中秀幸さん
「人間ドックの前日に具合悪くなった。指揮をしている途中に倒れちゃった」

脳内出血でした。

医師からは、「右半身は諦めた方がいい」と告知されたといいます。

フルート奏者・畠中秀幸さん
「病気をしてから人間関係がガサガサと崩れていき怖かった。対人恐怖症とパニック障害を併発して引きこもった」



しかし、病気自体に絶望していたのではありません。

そのわけは、見舞いに来た友人の美術家の言葉でした。

フルート奏者・畠中秀幸さん
「できる体で感じることと、できない体で感じることになるから、感覚が2倍になるでしょと。それはアート的に絶対いいことなんだと」

今も、週に2回のリハビリに通います。

フルート奏者・畠中秀幸さん
「痛い…。1.2.3.4。もう一回行くか。まだ3回しかやってない」
「リハビリをやらないと、アイディアが浮かばなかったり、間違いなく楽器については、体が固まって演奏できなくなるので」



麻痺が残る右と、そうではない左。

違う感覚の両者がいることで、体の中で対話が行われるといいます。

フルート奏者・畠中秀幸さん
「元気な左手側と、ちょっと弱い右側が一緒になって、感覚が違うので、ご飯を食べる、歩くときにちゃんと右と左が対話をして、どうやってやるか話し合いが起きるんです」

長沼町にアートヴィレッジを建てた理由のひとつは、フルート製作者の山田和幸さんの存在です。

左手だけで演奏できるフルートを作ったのは山田さんでした。

フルート製作者・山田和幸さん
「速くいろんな音が出るのも技術の1つだが、だんだん音がとっても音楽的な形で良くなっている」



この日、新たな発見がありました。

右手がフルートの穴をふさぎ、音が出にくくなっていたのです。

フルート製作者・山田和幸さん
「今、初めてのように気づいて」

フルート奏者・畠中秀幸さん
「正直ラッキーだったと思っています。この体になったことの方が。一般的には、障害を持つことはハンディキャップと言われるかもしれないが、アドバンテージをもらったと思っている」



「健常」と「障害」。

自身の中にある2つの違う感覚を受け入れ、排除せずに対話する畠中さん。

フルート奏者・畠中秀幸さん
「今は、右半身の方が愛おしいですよ。できないから。右半身を頑張ろうねって言っている左も尊いし、一生懸命できることを頑張っている右も尊いじゃないですか」

8月下旬、アートヴィレッジでは野菜の販売とアート活動を一体としたイベントを予定していて、音楽と農業の対話が生まれそうです。

北海道ニュース24