【戦後80年】サハリン残留日本人 96歳で亡くなった女性が孫の手で埋葬される…国境で隔てられても途切れることがない祖国との「つながり」
2025年05月01日(木) 16時53分 更新
シリーズでお伝えしている戦後80年。
第2次世界大戦後に当時の樺太、いまのロシア・サハリンに残留を余儀なくされ、現在も暮らし続けている日本人たちがいます。
国境で隔てられても祖国との「つながり」が途切れることはありません。
札幌市郊外にある霊園の共同墓所です。
墓石に刻まれた2羽のカモメは「海に隔てられた日本とサハリンを自由に行き来できる時代が続くように」という願いが込められています。
今週、この墓所にひとりの女性が埋葬されました。
2月に96歳で亡くなった天野佐喜さんです。
戦前の樺太に生まれ、ソビエト、ロシア、日本といくつもの国と時代を生き抜いてきました。
樺太にはかつて、約40万人の日本人が暮らしていましたが、1945年8月にソビエトが侵攻。
天野さんは戦後の混乱で日本に引き揚げられず、サハリンで結婚し、6人の子どもを育て上げました。
1994年、天野さんは50年ぶりに姉との再会を果たしました。
天野佐喜さん(当時66歳)
「懐かしい日本の土を踏めることになったのは本当に感激と感動で、胸が詰まって何も言うことができません」
2001年に永住帰国し、札幌市で暮らしていた天野さん。
遺骨は、サハリンから駆け付けた孫のロマンさんの手で納められました。
孫のロマンさんは、幼いころ天野さんから日本の料理やおとぎ話を教わり、大人になってからは日本で暮らした経験もあります。
天野佐喜さんの孫・ロマンさん(54)
「祖母が日本の地で安らかに眠れることにほっとしています。日本サハリン協会と日本の国に対し、祖母の納骨に立ち会う機会を設けてくれたことに感謝したいです」
戦後、残留を余儀なくされ、いまもサハリンで暮らす日本人らでつくる「サハリン日本人会」の会員は約80人。
4年前から会長を務める加藤晃枝さんは、両親が残留日本人で戦後、ユジノサハリンスクで生まれました。
サハリン日本人会加藤晃枝会長(71)
「高齢化したサハリン在住の日本人が、これからも一時帰国して、親類と会えるよう尽力するつもりです」
一時帰国者を迎えて開かれた交流会には、日本に永住帰国した世代の子どもや孫も参加しました。
戦後80年経っても、決して途切れることのない祖国との“つながり”。
残留日本人を支援するNPO法人日本サハリン協会は、「サハリンを通じてつながった人たちが交流を続けられるよう活動していきたい」と話しています。