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激戦地となった沖縄県伊江島「死体でいっぱい…お墓も火葬場もない」右半身に障害を負った札幌のフルート奏者が左手で演奏する慰霊のメロディー【北海道と戦争】

2025年07月05日(土) 08時31分 更新

 右半身マヒという障害を抱えながらも、左手でフルートを奏でる畠中秀幸さん。戦後80年の今年、沖縄で戦没者の慰霊演奏を行いました。過去と現在をつなぐ、平和への響きです。

◆《激戦地となった沖縄県伊江島で慰霊の演奏を…》

 青い空に、いくつもの大きな雲が浮かぶ沖縄県入江島。6月19日、札幌から1人の男性が訪れていました。

左手のフルート奏者 畠中秀幸さん(56)
「いや…すごい。ここでも演奏しますか…これを見たらやらざるをえないというか」



80年前に繰り広げられた戦闘に思いを寄せ、心が大きく動きました。

入江島にある飛行場は沖縄戦で、旧日本軍によって強制的に土地を接収されて、戦後はアメリカ軍に占領されました。



札幌のフルート奏者、畠中秀幸さんと、音楽家の小川紗綾佳さんです。



畠中さんたちが演奏しているのは、沖縄本島の北部に浮かぶ人口4200人ほど伊江島。沖縄戦では、アメリカ軍による空襲や艦砲射撃などを受け、激戦地となりました。

日本軍は、戦力を補うため地元住民を動員し、わずか6日間で民間人1500人を含む、約3500人が命を落としました。



畠中さんがまず訪れたのは、戦争の記憶をつなぐ反戦平和資料館『ヌチドゥタカラの家』です。

畠中秀幸さん(56)「畠中です」

謝花悦子さん(86)「よく来られたね…」

資料館の館長は、いま86歳の謝花悦子(じゃはなえつこ)さんです。

◆《激戦の犠牲となった多くの住民…凄惨な記憶を語る証言者たち》

『ヌチドゥタカラの家』館長 謝花悦子さん(86)
「身内が全部集まって、おばさんたちもみんな一緒に行動して、すぐそばに爆弾が落ちた。で…おじいちゃんは、ここでは居られないと言って…終わるまでずっと歩き続けて一人も離れるな」

「死体でいっぱいお墓もない、火葬場もない…各所に山のように積まれた死体が…」

「戦争というのは殺してまでも勝つのが目的。元気な人間を、罪のない人間を殺して、戦争という名のもとで、殺して勝つのが戦争じゃない…?相手を殺して弱らせないと勝てないさ」



 ボロボロの服は赤ちゃんの着物です。“ガマ”と呼ばれる洞窟に隠れているとき、赤ちゃんが泣き出しました。すると兵隊が「泣く子は利敵行為だ」と言って、母親の腕に抱かれていた赤ちゃんを銃剣で刺し殺したといいます。母親の手元には、この着物だけが残りました。



住民の多くが犠牲となった伊江島での戦いは、沖縄戦の縮図と言われています。

伊江島で戦争を体験した内間亀吉さん(87)
「墓の壕に行った。桶に汲んでこられた水は、ため池の水。夜だったから、桶の水を飲んだ。翌朝、飲もうとしたらウジ虫が4~5匹ウヨウヨしていた」

「布切れで虫を取り出して、ウジ虫の入っていた水を飲みました。あんな水でも飲まないと生きていられない。飲んだから生きた。そこまで人間生活どん底」

伊江島で戦争を経験した知念正行さん(87)
「大体10 隻以上いた。艦砲射撃がバンバン来るから、生きるか死ぬか…。もう多くの方々が死んでいるわけだから」

「3年で33の壕や自然洞窟から、あちこち厚生省や自衛隊が収集して、300体近くの遺骨が出たわけよ。私は毎日行って、写真を撮って、記録を残しておかないといかんと思って、昭和26年に遺骨を納める“芳魂之塔”を村が作った。そこに遺骨全部集めたわけ」

◆《沖縄戦の犠牲となった尊い命…北海道出身者1万人以上も》

 沖縄戦での北海道出身の戦没者は1万808人。沖縄県に次ぐ2番目の多さです。

左手のフルート奏者 畠中秀幸さん(56)
「ちょっと後ろにいて…前には倒れないから」

14年前、突然の脳内出血によって右半身にマヒが残った畠中さん。障害を負った右半身と、そうではない左半身。違う部分だからこそ、認め合う大切さを知ったと言います。

左手のフルート奏者 畠中秀幸さん(56)
「次の世代の子たちたちに“こういう場所があるよ…”という歴史を踏まえたことを伝えるためには、伊江島の方にも慰霊したいし、伊江島の話を本土、北海道に持って帰れたら一番いいかなと思っています。がんばります」

畠中さんは音楽を通して、過去の戦争と今をつなぎ、平和を考える活動を続けています。

そして、沖縄と北海道をつなぐ慰霊の演奏会を、友人の美術家が企画しました。会場に選んだのは、沖縄県入江島にある戦争遺構の『公益質屋跡』です。

壁には、砲弾が撃ち込まれた衝撃で、大きな穴が数多く開いています。

村の建物が姿を消した伊江島で、原型を留めていたのが、当時は珍しかったコンクリート作りのこの場所でした。



◆《左手のフルート奏者…激戦の地で奏でる慰霊のメロディー》

 慰霊演奏当日の6月22日。畠中さんがフルートで奏でるのは、北海道の雪の景色をイメージした曲『雪の翼』。戦争で犠牲になった全ての人たちへ向けて、彼らが見ることの出来なかった雪景色を届けます。

慰霊の演奏には、反戦平和資料館『ヌチドゥタカラの家』の館長、謝花さんの姿もありました。



演奏を聴いた沖縄本島の人
「失われた沖縄の、戦時中の本来あったはずの幸せを、これからの子どもたちが取り戻していけるような沖縄になっていけたらいいなと…」

『ヌチドゥタカラの家』館長 謝花悦子さん(86)
「犠牲になった木一本残さない戦場になった伊江島に、これから花が咲くような時代を作ってもらった…と、きょう朝から感謝しているところです。本当にありがとうございました」

畠中秀幸さん(56)「またお会いしましょう」

謝花悦子さん(86)「また会える日を楽しみにお待ちしております」

左手のフルート奏者 畠中秀幸さん(56)
「いろんな方々の思いがわっと入ってきて、それを踏まえて咀嚼して表現して、僕としてはそういう意味で楽しかった」

畠中さんは音楽を通し、戦争で犠牲になった死者と、今を生きる私たちを繋ぎ、平和な未来を訴え続けます。

北海道ニュース24