「絆という言葉が生まれて、みんなで助け合った」 東日本大震災で泥まみれになった太鼓 札幌で修繕し音を響かせる 被災地から遠く離れた地で記憶をつなぐ
2025年09月01日(月) 19時39分 更新
東日本大震災で津波にのみ込まれた1台の太鼓が遠く離れた札幌で震災の記憶を伝え続けています。
夏祭りで響く、力強い太鼓の音。
バチを握る庄田道則さんと太鼓の出会いは、14年前にさかのぼります。
庄田さんは、2011年、東日本大震災のボランティアで宮城県気仙沼市を訪れました。
目の前に広がるがれきの山に、言葉を失ったといいます。
庄田道則さん
「14年、もう14年経っている、写真を見ると、涙が出てきますね」
津波のあとの片付けを手伝っていると、町内会館の片隅で泥にまみれた太鼓を見つけました。
長い間、町内の祭りでその音を響かせていた太鼓でした。
庄田道則さん
「(ボランティアで訪れた地域の自治会長)『ウチの町内会はもう何も出来なくなったから、もう太鼓は捨ててくれ』と。その時私は『こんな時に申し訳ないけども、札幌へ貰って帰って良いですか?』そうしましたら、自治会長が喜んでくれて『札幌で活かすことができるならどうぞ差し上げます』」
太鼓を受け取った庄田さんは札幌に戻り、あることを計画しました。
庄田道則さん
「ここ(南区簾舞)の町内会、盆踊りが無いんですよね。もらって来た太鼓で盆踊りをすれば地域の皆さんも喜ぶかなと思って始めました」
それは、盆踊り。
太鼓を受け取った地区から、「気仙沼千岩田地区太鼓まつり」と名づけて自ら太鼓を練習し、震災の翌年、初めての開催にこぎつけました。
今年も大勢の人たちでにぎわった祭り。
訪れているのは、地元の人だけではありません。
気仙沼に住む千葉清英さんです。
知人を通じてこの祭りを知り、毎年、気仙沼の特産品を販売しに来ています。
千葉清英さん
「(庄田さんの気持ちに)打たれます、打たれっぱなしです。回を重ねるたびに、思いがどんどん伝わってくる」
祭りの終わり、庄田さんは、会場の人たちにこう呼びかけました。
庄田道則さん
「この太鼓を見ていただいて、14年前、東日本大震災があった。だけども、絆という言葉が生まれて、みんなで助け合ったんだということを思い出してほしい」
震災の記憶を忘れず、知らない世代にも語り継ぐため、太鼓の音はこれからも鳴り続けます。