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“やきとり”を注文すると豚肉が出てくる…北海道室蘭市のこの常識、いつ生まれた?カラシをつける文化はあの食べ物の影響だった!

2025年05月02日(金) 19時16分 更新

 北海道室蘭市の地元の歴史を調べたところ、あの“室蘭やきとり”に、新たな説が浮上しました。



■調査依頼
・札幌のラベンダーさん 20代

「室蘭やきとりは“やきとり”なのに、なぜ豚肉なのか?」

室蘭やきとりの会
「がんばるぞ!がんばるぞ!」

4月27日、北海道室蘭市内の25店舗が参加する『室蘭やきとりの会』が発足しました。



“やきとり”なのに、豚肉とタマネギを串焼きにし、甘辛いタレと、洋がらしで食べる、それが“室蘭やきとり”です。



室蘭やきとりの会中村卓也幹事長
「面白さは“やきとりだけど豚”というところなので、『豚肉のやきとり』と発信していきたい」

さらに知名度を上げ、文化庁の100年フードへの登録を目指します。

それにしても、やはり気になる…。

さっそく調査員は室蘭に飛びました。

調査員
「ありました!ありました!室蘭やきとりを発見しました!」

訪ねたのは創業35年の老舗、伊勢広(いせひろ)。

室蘭では、“やきとり”を注文すると、豚肉が出てくるのが地元の常識。

伊勢広では、肩ロースを使用しているといいます。



では、なぜ豚肉なのでしょうか?

伊勢広 3代目 中村卓也さん
「日中戦争の頃に、軍人の靴を作るのに、豚の皮を使っていたが、豚肉が安く手に入るので、居酒屋で提供を始めたのがルーツ」

1937(昭和12)年に日中戦争が始まりました。

日本政府は、軍用の靴を作るため、豚の飼育を推奨。

鶏肉よりも安く、豚肉を入手できた室蘭では、”やきとり”が鶏肉から豚肉に変わったという説が一般的です。

ところが、いくつか疑問点があるといいます。

室蘭市教育委員会 谷中聖治学芸員
「室蘭の統計上、戦時中に養豚が急激に増えたという事実はない」

統計データをひも解くと、戦前から戦中にかけ、豚の飼育数に大きな変化はないといいます。

室蘭市教育委員会 谷中聖治学芸員
「養豚の数を聞かれるたびに見ていたが、あまり変化はない」

さらに、調査を進めると、思いがけない事実が。

鳥よし 2代目 小笠原光好さん
「室蘭にほとんど豚なんかいなかった」

そう証言するのは、室蘭最古のやきとり店『鳥よし』の小笠原さんです。

店の創業は、1933年と、日中戦争以前です。


(調査員:開業時は、どんな物を売っていた?)
鳥よし 2代目 小笠原光好さん
「鳥よしは初めから豚。精肉は高くて食べられないから、主にモツ。おそらく帯広の豚だと思う。だって鶏がいないんだもん」

創業当初から、豚肉や豚モツを“やきとり”として提供していたと話します。

当時、値段が手ごろな“豚モツ”を、ほとんどの客が食べていたといいます。

つまり、戦争中に、鶏肉から豚肉に変わったわけでないようです。



(調査員:室蘭は豚肉が手に入りやすかった?)
鳥よし 2代目 小笠原光好さん
「そういうわけではない」

昭和初期、『鳥よし』の仕入れ先は、帯広や、北海道北部の名寄市周辺でした。

豚肉を入手するには遠方まで足を運ばなければならず、大変だったといいます。

しかし、“室蘭やきとり”が、豚肉である疑問はまだ残っている…なぜなのでしょうか?



やきとり文化研究所 土井中照所長
「江戸末期くらいから牛とか豚とかを焼いた物を“やきとり”と言った。なぜかと言うと、鶏肉は当時高かったので、庶民には手が届かなかった」

土井中(どいなか)所長は、やきとりを研究して25年になる人物です。

やきとり文化研究所 土井中照所長
「律令時代に、聖武天皇などが『肉を食べたらいけない』という命令を出した」

やきとりの歴史は、縄文時代までさかのぼります。

貝塚から、鳥の骨が出土しているのです。

ただ、飛鳥時代に、天武天皇らが肉食を禁止しましたが、人々は、隠れて野鳥や鶏を食べていて、江戸時代の料理書には“やきとり”という記載も。

明治時代になり、ようやく肉食の禁止令は解かれたものの、鶏肉は、庶民の手に届かない貴重で高価な食材だったのです。

そのため、東京では、牛や豚のモツを串焼きにし、“やきとり”として売っていました。

やきとり文化研究所 土井中照所長
「豚モツ串が人気になるのが、大正時代の関東大震災。東京で食べた“やきとり”を地方に持って帰って広がった」

土井中所長によりますと、関東大震災後、食糧事情が悪化。

食材としての肉が注目され、“豚モツのやきとり”が人気になったのです。

それが全国に広まり、北海道にも伝わったのでは…ということです。



そして、1960(昭和35)年代に入り、食肉用のブロイラーが登場すると、鶏肉が安価になり、全国の“やきとり”は、本来の鶏肉に戻っていきました。

そうした中、鉄鋼の町・室蘭では、スタミナがつく豚肉が愛され続け、“豚のやきとり”として根付いたのではないかと、土井中所長は考えています。

やきとり文化研究所 土井中照所長
「おいしいものがあれば、自然と広がっていく」

では、タマネギと洋がらしはどうなのか?

鳥よし 2代目 小笠原光好さん
「鳥よしもオープン当時は、ずっと長ネギを使っていた。ところが札幌でタマネギを作り始めて、タマネギの方が安いので、1950(昭和25)年ごろにタマネギに変えた」

では、洋がらしは?

鳥よし 2代目 小笠原光好さん
「おでん店は夏は”やきとり”店をやっていて、冬になるとおでんを作る。そこで両方出しているので、おでんのカラシに付けて食べてみたらおいしかったので、1950(昭和25)年ごろから変わった」

“室蘭やきとり”は、明治時代から続く“豚肉やきとり”の文化を受け継ぎ、独自の発展を遂げた、唯一無二の“やきとり”なのかもしれません。


■調査結果
“室蘭やきとり”が豚肉なのは、明治時代の鶏肉が貴重だった時代から続く、豚やきとりの食文化が根付いたからかもしれません。


■全国の豚やきとりは?
実は、”豚のやきとり”は、ほかにも残っていて、例えば、山形県寒河江(さがえ)や埼玉県東松山、福岡県博多などにもあるということです。



そして、私たち北海道民に馴染み深いのが、函館の“やきとり弁当”も豚肉です。

土井中さんによりますと、これらは関東大震災後、全国に”豚のやきとり”が広がった時の名残りではないか?ということでした。

調べてみると、実は食文化の歴史の記憶は、消えつつあるという状況です。

資料や文献があるわけではないので、しっかりと、北海道の食文化の記録を残していくことも大事です。

北海道ニュース24