凄まじい破壊力でマチが壊滅「逃げる途中に…どんどん泥流に飲まれて」99年前の十勝岳噴火で未曾有の泥流災害 最大時速100キロで144人が犠牲に 北海道・十勝岳
2025年06月03日(火) 12時21分 更新
今から99年前の十勝岳噴火では、押し寄せた泥流が、144人の命を奪いました。マチを壊滅させた泥流の悲劇を辿ります。
◇《噴火後に押し寄せた泥流…すべてを飲み込んだ》
悲劇的な火山災害が起きたのは、99年前の5月のことだった。1926年5月24日、大正最後の年、北海道で十勝岳が噴火し、144人が犠牲となった。
凄まじい速度と破壊力。山から押し寄せた“泥流”は、木々を薙ぎ倒し、畑を覆い、家も馬も…、そして、大勢の人たちを、一気に飲み込んだ。
柴田真由美さん(52)
「(自宅は)この辺りだったんじゃないかなっていう感じ」
十勝岳の麓、上富良野町に暮らす、柴田真由美さん。“大正泥流”と呼ばれた悲劇を、真由美さんの祖父は、目の当たりにした。
柴田真由美さん
「もう流れて何もない状態。この辺りが流れて、埋まっている」
15年前に亡くなった、祖父の大角伊佐雄(おおすみ・いさお)さん。上富良野町の農家に生まれ育ち、当時10歳だったという。
被災者の証言をもとに、道が“大正泥流”の再現CG映像を制作した。大角伊佐雄さんの証言によれば、自宅まで500メートルと迫った泥流は、無数の流木が重なり、まるで山のようだったという。
大角さんは、家族と高台へ避難し、難を逃れたが、一家が暮らしていた家と田畑は、全て押し流された。
◇《子どもを背負い避難するも…絵画が伝える“泥流の悲劇”》
柴田真由美さん
「本当に無我夢中っていう感じだったのかな。逃げる途中に知っている人たちが、どんどん泥流に飲まれていったのも見ている。その記憶を思い出して、絵に残してもいる」
大角伊佐雄さんが生前、描いた1枚の絵。そこには、もがくような人の姿が…。隣の家で子守りを頼まれていた、10代の女性だという。子どもを背負ったまま、必死に逃げる中、押し寄せた泥流に飲まれた。
仏さまが描かれた絵には何人もの名前が…。泥流の犠牲となった人たちだ。
柴田真由美さん
「魂を鎮めるというか、そういう意味で書いてあるのかなと思う」
遺体安置所で遺体が野焼きされる様子を描いた絵も…。そのときの臭いは、生涯、記憶から離れなかったという。
70歳を過ぎてから、十勝岳が見えるこの部屋で、絵を描き始めた。“泥流の悲劇を後世に伝えてほしい”。友人から託された思いが、きっかけだった。
柴田真由美さん
「歳を重ねるにつれて、自分のできることっていうのを探して、それを絵に描いて残したかった、伝えたいっていう気持ちは強かったのかなと思う」
◇《最大速度100キロ…凄まじい破壊力の泥流がマチへ…》
“融雪型火山泥流”と呼ばれ、雪をかぶった火山特有の現象だ。99年前、十勝岳は、水蒸気爆発で、山肌の一部が崩れ、熱く焼けた噴出物が、数メートルあった残雪を瞬時に溶かし、それが“泥流”となった。
木々をなぎ倒しながら、斜面を下り、泥流は富良野川をつたい、市街地まで一気に押し寄せた。最大100キロの速さで、十勝岳から市街地まで、わずか25分で到達。凄まじい破壊力で、一帯を壊滅させた。
NPO法人 環境ボランティア野山人 佐川泰正代表
「今から約100年前に亡くなられた144名の尊い命にお参りをしながら、フットパスのコースを歩いていきます」
“大正泥流”の痕跡を歩いて辿るイベント。地元だけでなく、多くの人が参加した。町の中心にある“上富良野橋”…。地元では別の名でも呼ばれている。
NPO法人 環境ボランティア野山人 井上文雄ガイド
「(大正噴火の当時)町で葬式があったときに、ご会葬者の皆さんとお別れする場所がここだった。通称“涙橋“と上富良野町の皆さんがよく言っている」
橋のすぐ傍には、当時、避難場所となった明憲寺(みょうけんじ)がある。 境内には、犠牲者144人を弔う碑が建っている。
NPO法人 環境ボランティア野山人 佐川泰正代表
「実は、私の直属の、父の兄弟、長男、一家9人が一緒に流されています」
代表の佐川泰正(さがわ・やすまさ)さん。祖父母が被災し、親戚含めて20人近くが、泥流の犠牲となった。
NPO法人 環境ボランティア野山人 佐川泰正代表
「それでは皆さん、手を合わせていただいて礼拝をお願いします」
◇《十勝岳の噴火は直近100年間に3回…泥流対策の巨大施設も》
大正泥流の36年後、1962年に再び噴火し、硫黄鉱山で働いていた5人が犠牲になっている。そして、その26年後の1988年にも、十勝岳は噴火。30年から40年周期で噴火を繰り返し、いまも大量の噴煙を上げている。
気象台は、十勝岳の火口を24時間監視している。現在、大規模な噴火につながる兆候は確認されていないが、熱活動は活発だという。
泥流被害の悲劇を繰り返さないため、巨大な施設が備えられている。全長917メートルにも及ぶ『2号透過型堰堤(えんてい)』である。
旭川建設管理部事業室治水課 吉田栄治課長
「ジャングルジムのような構造をしていて、巨石や流木を補足し、泥流の量を減らし、勢いを弱めることを目的にしている」
鋼材で作られたスリット構造の堰堤(えんてい)としては、世界最長の大きさだ。
◇《99年前の十勝岳噴火…あの悲劇を忘れてはいけない》
上富良野町に暮らす柴田真由美さん。祖父の大角伊佐雄さんが、99年前の大正泥流を目の当たりにした。
あの“悲劇”を消して忘れてはいけない…。祖父が絵に込めた思いをつなぐため、孫の柴田さんは、絵や額を修復。ここ数年、十勝岳が噴火した5月にあわせて、絵画展を開いている。
柴田真由美さん(52)
「いつ(十勝岳の)噴火が起こるかわからないということを、忘れずに言ってもらえるような取り組みを、今後続けていきたいと思っている」
最後の噴火から37年。きょうも噴煙を上げながら、十勝岳は、雄大な姿を見せている。
森田絹子キャスター)
噴火災害は、様々ありますが、道の旭川建設部・事業室治水課の吉田栄治課長は『積雪期で、最も警戒しなければいけないのが“融雪型泥流”』と強調します。
気象台では、十勝岳をはじめ、北海道内にある、樽前山や北海道駒ヶ岳など、あわせて9か所を活火山として常時観測していますが、北海道は積雪期間が長いので、十勝岳に限らず特に警戒が必要です。
堀啓知キャスター)
ハード面の整備も進んでいるわけですが、99年前の映像が残っていることも驚きですし、被災地を辿るフットパスなど、過去の災害の記憶を具体的につなぐ活動も、災害への備えとして重要です。
大正泥流と噴火について描いた三浦綾子さんの小説『泥流地帯』を映画化する動きも、上富良野町を中心に進められているそうです。
過去の災害に学び、未来への教訓とする…私たちが取れる最大の備えではないでしょうか。