【戦後80年】帰れぬ島、消えぬ記憶を胸に「洋上慰霊」北方領土元島民や家族ら53人参加 元島民「1日も早く返還の兆しが見えてほしい」
2025年07月28日(月) 18時05分 更新
北方領土の元島民や子孫が船の上から祖先をしのぶ「洋上慰霊」が先週行われ、上陸すら叶わないふるさとの返還を祈りました。
「(汽笛の音)いってきまーす」
先週金曜日25日、北方領土との交流事業のための船「えとぴりか」が根室港を出発しました。
参加したのは元島民と家族ら53人。元島民の平均年齢は89歳を超えています。
洋上慰霊は今年で4年目。
歯舞群島付近を経由して、日ロ中間ラインに沿って国後島の近くまで進む1泊2日の行程です。
出港から約1時間で、貝殻島など歯舞群島が見えてきました。
島に上陸する「北方墓参」は、ロシアによるウクライナ侵攻で再開の見通しが立ちません。
何度もカメラのシャッターを切っていたのは、勇留島の元島民、角鹿康司さんです。
勇留島の元島民 角鹿泰司さん(88)
「もう時間がない。元島民として今の情勢では(上陸は)かなわない。島で亡くなった人たちに頭を下げて、そして『現状はこうだ。私は頑張るから助けてください』ということを願って私らは明日お参りしたい」
この夜、船内では元島民らの交流会が開かれました。
生まれた島ごとに分かれて、住んでいた場所や思い出を語り合います。
「島に何歳?(までいた)」
「4歳」
「4歳。あ~なるほど」
「(地図を指して…)僕から見ておじいさん」
翌朝26日。
霧の中から国後島が姿を現しました。
慰霊式では、1人1人が祖先や島への思いを込めて花を手向けました。
勇留島の元島民 角鹿泰司さん(88)
「今年は返還運動が始まって80年という区切りなんです。(自分は)8歳で逃げてきて80年経ちました。1日も早く返還の兆しが見えてくるといい」
国後島の元島民 山田マサさん(85)
「おじいさんに今年も来れたよって、安らかに眠ってくださいってことで」
――ひ孫がひいおばあちゃんの生まれたところに行きたいと言ってくれるのはうれしい?
「そうですね、自分が亡くなってもまた来れるんじゃないかと思うから」
眺めることしか叶わない、ふるさとの島々。返還への願いは子や孫の世代に託されます。