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左手のフルート奏者・畠中秀幸さん「小さいアクションかもしれないが…」故郷広島で慰霊演奏、音色に重ねた「世界が一体となる日」【戦後80年北海道と戦争】

2025年08月13日(水) 18時39分 更新

右半身まひの障害を抱えながら左手でフルートを演奏している札幌の畠中秀幸56歳さん。沖縄のあとに、畠中さんが慰霊の演奏をした地は被爆地、広島。故郷で祈りの音色が響きます。

■故郷の広島・被爆樹の下で祖父と犠牲者を慰霊

80年前、戦争で初めて原爆が投下された午前8時15分。

「黙とう」



広島市で多くの人が祈るその中に、左手のフルート奏者、畠中秀幸(56)さんがいました。

フルート奏者・畠中秀幸さん
「8時15分の瞬間にどれだけの命が消えたと思うと、戦後80年で注目されているが常々持ち続けないといけない気持ち」

畠中さんは、被爆3世です。

広島市中心部から車で1時間の場所にある大竹市。

今も実家があります。

畠中さんの祖父・只人さんは、当時2歳だった畠中さんの父、嗣郎(82)さんと一緒にリアカーを引いて爆心地まで、親戚を探しに行きました。



フルート奏者・畠中秀幸さん
「祖父が34歳、リヤカーをひいて30キロ離れた爆心地まで行って、父の話によると、ここに連れてきた人が寝ていて怖かったと」

被爆の状況をあまり話すことはなかったという祖父・只人さんは、被爆者手帳を受けとらなかったといいます。

■「僕は慰霊演奏という形で、伝えないと意味がない」



畠中さんの父・嗣郎さん(82)7月26日札幌市西区
「真っ赤になっている人ばかりだった。やけどで赤いのと赤い消毒液を塗っていた。その記憶だけは鮮明にまだ脳裏から離れません」

息子が広島で慰霊の演奏をすることについて…。



畠中さんの父・嗣郎さん(82)
「涙が出ましたね。僕ができないから秀幸がやってくれる」

病気で半身まひとなった右側と健常な左側の2つの違う感覚がある畠中さん。

相容れないものどうし対話し、新たな価値をつくりだすことを大切にしています。

しかし、「原爆」に関して、相反するものとの対話は成立しないと言います。



フルート奏者・畠中秀幸さん
「絶対的な暴力です。許すわけにいかないという感情的なものはある。どうしても広島県人なのであるんです。でも、それを感情的にやってしまうと、僕は同じ列に落ちてしまう。だから僕は慰霊演奏という形で、次の世代に伝えないと意味がない。生きた慰霊にならない」

■小さいアクションかもしれないが…

原爆ドームからおよそ300メートルの場所にある、1本のシダレヤナギの木。被爆樹木です。

畠中さんが参加したのは、毎年8月6日に被爆樹木の下でアーティストらによる平和を祈る活動です。

企画した写真作家の浅見俊哉さん。

被爆してもなお、成長するシダレヤナギを8月6日の日光で姿を映し出して、作品を作り続けています。

写真作家・浅見俊哉さん
「被爆樹木もそうだが、苦悩や傷ついた経験が表現に反映されている」

フルート奏者・畠中秀幸さん
「圧倒的な暴力に対するカウンターアクションとしての浅見さんのアート活動にほとんど同じことを考えた」

この木の下で、祖父、そして原爆で亡くなったすべての人に向け、慰霊の演奏をします。



♪雪の翼/作曲:小川紗綾佳

フルート奏者・畠中秀幸さん
「感極まったというか。水や木の自然の循環が亡くなった人の思いと重なったのを感じた」

「強烈な攻撃性からすると小さいアクションかもしれないが、そういうことを繰り返していかないとだめだと思っている」

畠中さんの妻・さおりさん
「体調ギリギリだと思います。やりたいことやるのが優先なんですよね、それに体調を間に合わせる」

広島が受けた傷は、計り知れない悲しみを生みました。

しかし、畠中さんは同じ傷を返さず、音楽でつなぐ形を模索しています。

■原爆ドームで響く「慰霊の音」



フルート奏者・畠中秀幸さん
「病気して左手で吹いている」

演奏を聴いた人
「世界がやっぱり一体となる日だと思って、その音色が聞こえてきた感じがした」

小川紗綾佳さん
「伝わって嬉しいです」

畠中秀幸さん
「そういう演奏がしたい」

演奏を聴いた人
「祈りの音色ですよね」



畠中さんは、これからも音楽で平和の大切さを伝えていきます。

北海道ニュース24