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存在を消された“幻の翼”「かなわないよ、あんな敵機にかなうわけない」終戦2か月前に北海道から飛び上がった木製戦闘機『キ106』の記憶 北海道江別市

2025年06月14日(土) 09時00分 更新

 戦時中、北海道・江別では、木製の戦闘機が作られていました。しかし終戦後、長い間、その存在は、幻とされてきました。この事実が伝えるものを考えます。

◇《製紙工場から戦闘機を組み立てる工場へ…》

 6月7日、江別市にある“えぽあホール”で上演された演劇『博士と過ごした無駄な毎日』。題材は80年前の太平洋戦争末期。かつて江別にあった戦闘機の工場が舞台です。



演劇『博士と過ごした無駄な毎日』より―
・「あ、来た!おおおー!」
・「ねえ、これって合格でいい?」
・「ちょっと見せて」
・「はい」
・「不合格。これはねぇここがちょっと短いでしょ」

王子航空機江別製作所は1943年(昭和18)9月、軍からの命令で、製紙工場から戦闘機の組み立て工場に転換しました。



◇《木製戦闘機『キ106』の製造に動員された若者たち》
 
 戦闘機と言っても、ここで作られていたのは、木製の『キ106(いちまるろく)』です。当時、戦況が悪化し、アルミニウムなど飛行機の材料が不足。木製の胴体に金属製の動力部などを取り付けた戦闘機でした。

男性の多くが徴兵にとられ、国内は深刻な労働力不足に陥っていました。木製戦闘機を作るため、江別製作所に動員されたのは、若い女性や中学生らでした。



荒木颯太記者
「おはようございます」

13歳のとき、江別製作所で働いていた佐藤明さん。現在91歳です。

佐藤明さん(91)
「広場でね、最初にできた飛行機が飛び立って、みんなでワァーて拍手していましたよ。自分たちが、これだけのもの作ったんだっていう喜びでね」



木製戦闘機『キ106』は、80年前の1945年(昭和20年)6月11日、初めて江別から飛び立ちました。最後には日本が勝つ、だからお国のために働く…、日本中がそう思っていました。

しかし、佐藤さんは、いま思えば木製戦闘機で戦うことは、無謀だったと語ります。

佐藤明さん(91)
「敵国の飛行機と遭遇すれば、いい餌。ばーってやられちゃう。乗っている人たちはね、命がね、簡単に任務が達成されないままにやられたら、あまりにもひどい」

強度を保つために木をぶ厚くした結果、機体は重くなり、空中戦に必要な上昇力などが大きく劣っていました。江別で、木製戦闘機『キ106』は3機作られました。ただ、実戦で使われることは一度もありませんでした。



◇《存在を消された木製戦闘機だったが…発見された金属ケース》

 終戦とともに、機体や設計図など、関係資料の焼却命令が、日本軍によって出されました。ところが、半世紀の時を経て、歴史から消されたと思われた事実が、再び浮上することになります。

1994年、江別市内の川沿いで、朽ちた金属ケースに入った『キ106』の関係資料が見つかったのです。当時の工員が、秘密裏に地中に埋めたという貴重な資料でした。設計図や生産計画書などの資料が見つかったことで、“幻の木製戦闘機”とも呼ばれた『キ106』の製造のいきさつが明らかになりました。



 そんな“木製戦闘機”をテーマにした演劇が、江別市で上演されることになりました。地元の大麻高校の生徒3人も、プロの劇団員とともに稽古に励みます。

大麻高校2年(女工役)杉下理沙子さん
「観ていて暗い気持ちになる劇ではない。だからこそ、セリフの端々、1シーンに込める残酷さ、1シーン1シーンを大切に演じて伝えられたら…」

6月7日に迎えた本番。会場のホールには440人ほどの観客が詰めかけ、客席は満員になりました。

演劇『博士と過ごした無駄な毎日』より―
・「来年の“キ106”の試験飛行もこんな風にうまくいくといいですね」

◇《「あんな敵機にかなうわけない」木製戦闘機の記憶を未来へ》

 江別製作所で働く3人の少女を中心に、工場での日常を明るく描きながらも、身近に迫る戦争の恐怖を表現します。

演劇『博士と過ごした無駄な毎日』より―
・「かなわないよ、あんな敵機にかなうわけない。今度来たらみんな死んじゃう。絶対にそう。怖いの!ものすごく怖い」



戦時下の江別で木製戦闘機が作られていた、その事実をたくさんの人に知ってほしい…。そうした劇団員の思いは、客席を埋めた観客に届いたのでしょうか。

江別市民(60代)
「感動的です。木製戦闘機の歴史は知っていたが、知らない部分もあったし。江別市民としていい経験をさせてもらえた」

江別市民(10代)
「当時の情景が伝わってくる内容でした」

大麻高校2年(女工役) 佐藤侑乃さん
「日常に戦争があるって、すごく悲しいことだと思う。いつ死ぬかわからない状況で、生きていたこと…そうした過去があったことが(公演を通して)伝えられたと思う」

この日の観客の中には、戦時中、女工として江別製作所で働いた星野小夜子さんの姿がありました。

木製戦闘機『キ106』の製造に携わった星野小夜子さん(96)
「わたし、飛行機を作ったんですよ。ありがとうございました、いろいろと思い出しました」



木製の戦闘機を作らなければいけないほどに追い込まれていた…。無謀な戦争に突き進んだ日本の愚かさを、木製戦闘機『キ106』は物語っています。

森田絹子キャスター)
 木製戦闘機『キ106』は、江別以外に東京、富山でも作られ、合わせて10機が完成しました。それにしても、なぜ江別だったのでしょうか。その理由について“木製戦闘機キ106を伝える会”副会長の川村恒宏さんは、こう考えています。

・札幌に近く、人手を集めやすかった。
・木の扱いに長けた王子製紙の大きい工場があったなど…

堀啓知キャスター)
 江別市内の小学校などでは、木製戦闘機について学ぶ機会もあります。こうした戦争の記憶が広く共有され、たくさんの人にも知ってもらえたらと思います。

北海道ニュース24