【鎮魂と誓い】沖縄でもう一つの「慰霊の日」アイヌが激戦地で20年ぶりの追悼 秋辺デボさん「ここで亡くなった兵士・民間人・アメリカ兵も含めて冥福を祈った」
2025年07月02日(水) 22時09分 更新
20万人以上の死者を出した沖縄戦。7月2日は、太平洋戦争でアメリカ軍が、沖縄攻略作戦の終了を宣言した日です。
6月の「沖縄慰霊の日」に、アイヌの人たちが現地を訪れました。実に20年ぶり、もう一つの「慰霊の日」です。
沖縄戦の激戦地・糸満市真栄平。
その高台にたたずむ慰霊碑、「南北之塔」を訪れたのは、秋辺デボさんら6人のアイヌ民族です。
アイヌ民族 秋辺デボさん
「みんなの協力のおかげできょうが実現したことをうれしく思う」
身元のわからないすべての戦没者を追悼するため、1966年に地元住民たちによって建てられた「南北之塔」。
その建立に、弟子屈町出身のアイヌ民族・弟子豊治さんも携わっていました。
アイヌ兵として沖縄戦に従軍した弟子さんは、生前、地元の人たちと交流を深めました。
その縁もあり、沖縄慰霊の日には5年に一度「南北之塔」でアイヌの伝統儀式、「イチャルパ」が行われてきました。
しかし、南北之塔は「アイヌ民族の墓」という誤った認識が広まったことなどが影響して一時中断。
今回、秋辺さんたちは地元の人たちに招かれ、イチャルパを行いました。実に20年ぶりのことです。
アイヌ民族 秋辺デボさん
「いざこざというより誤解ですよね。そのままにしておくのはアイヌ側としては申し訳ない、そしてもったいない」
「ここで亡くなった兵士・民間人・アメリカ兵も含めて冥福を祈った」
木を削って作った神へのささげ物「イナウ」を使い祈りをささげたアイヌたち。
その後、地元住民たちも手を合わせました。
糸満市真栄平区長 照屋仁裕さん
「できれば毎年一緒に同じ日にやりたい」
式典の後、地元の子どもたちとアイヌたちが、歌と踊りで心を通わせました。
参加した女の子
「一緒に踊ってくれるんだな、(アイヌたちは)すごく優しい人たちだなって…きょう来てよかった」
参加した男の子
「(アイヌたちに)また来てもらってまた話したい」
「戦争を二度と起こさないよう、悲しい歴史を継承し沖縄と交流を続けたい」。
秋辺さんの願いです。