ひき逃げ被害で視覚を失った40歳女性が取り組んだ“複合差別”の問題「研究を通して社会に届けることは…私にできる役割」複数の差別がかけ合わされ、より深刻化する構造とは
2025年05月17日(土) 09時00分 更新
札幌に、これまでになかった視点から、ある研究に取り組んだ女性がいます。研究のテーマは『複合差別』です。
障害に加え、性別など複数の差別が、かけ合わさり、より複雑で、特有の差別が生じるというのが『複合差別』です。この研究に取り組んだ女性の思いを取材しました。
◇《視覚障害の女性が帰宅途中に受けた“つきまとい被害”》
安達朗子(40)さんは、この春、札幌にある北星学園大学の大学院を修了し、社会福祉学の博士号を取得。独自の視点から、約6年をかけて『複合差別』というテーマで、論文をまとめ上げました。
安達さんは、15歳のときに遭った交通事故が原因で、視覚に障害があります。右目は明暗が分かる程度で、左目の視力は0.01ほどです。
そんな安達さんの身に降りかかった、ある出来事が『複合差別』の研究に取り組む理由の一つとなりました。
安達朗子さん(40)
「自宅に帰るときに、一人で歩いていたんですけれど、後ろから男の人に付けられてしまった」
白杖を使い、大学から一人で帰宅する途中のことでした。背後から近づいてきた何者かに、付きまとわれる被害に遭ったのです。
安達朗子さん
「すごく近づいて、後ろにずっといる状況で、もう鼻息が聞こえるくらいで」
どんな相手が自分の背後に張りつき、付きまとっているのか。視覚に障害がある安達さんにとって、まったく状況がつかめず、強く身の危険を感じる出来事でした。ところがです。
◇《“複合差別”の研究は、警察で受けた対応がきっかけに…》
被害に遭った安達さんは、警察に相談した際、思いもよらぬ扱いを受けることになりました。接近してきた相手の特徴などを尋ねられた際、上手く説明ができず、警察に被害の相談を取り合ってもらえなかったのです。
自分に視覚障害があることで、受けた思わぬ対応でした。この経験が、安達さんの心に大きな違和感を抱かせ、『複合差別』という研究に向かわせるきっかけになりました。
安達朗子さん
「最初は、男性も女性も関係なく、視覚障害のかたを対象にしていましたが、女性の視覚障害者は、男性が経験することのない苦悩だとか、すごく深刻だと感じましたので、女性視覚障害者とに焦点を当て、研究を始めました」
安達さんが取り組んだ『複合差別』―。それは障害に加え、性別や民族など、複数の差別がかけ合わさり、より複雑で深刻な差別が起きていくことを意味します。
大学院で研究を進めることになり、膨大な論文に目を通し、いくつもの文章を作成する日々が始まりました。
◇《“ひき逃げ”に遭い瀕死の重傷…15歳で視覚障害に》
安達朗子さん
「論文を読んだり、文章を作成するために打ち込んだりするときに、全部読み上げてくれる」
ほかに、キーボードにも工夫があります。
安達朗子さん
「手を置くポジションの所に凹凸のあるボタンを付けることで、キーボードが何もないツルツルのところだと、探すのに時間がかかってしまうので」
パソコン画面に映し出された文章や、入力した文字を読み上げる専用ソフトを使い、安達さんは、コツコツと研究の成果をまとめ、論文を仕上げていきました。
安達さんが、交通事故に遭ったのは高校1年生のときです。ひき逃げされ、脳挫傷のほか、肋骨や鎖骨などを折る大けがを負い、ICUへ…。そして、もうろうとした意識の中で、大きな異変に気づいたのです。
安達朗子さん
「意識もはっきりしていなかったんですけれども、そういった状況の中で突然(視界が)真っ暗になりまして」
◇《視覚障害、高校中退…絶望の中で誓った強い思いが支えに…》
いったい自分に何が起きたのか…。安達さんはパニック状態に陥ります。そんな中、両親にかけられた言葉が、その後の人生を大きく支えたと振り返ります。
安達朗子さん
「母が手を強く握って”大丈夫だよ、絶対に治るよ”と励ましてくれて、父からも"朗子は朗子にしかできない使命があるから生まれてきたんだよ"…と言われて」
重傷を負いながらも、15歳だった安達さんは「絶対に治してみせる」と心に誓いました。そして、事故から3か月後、目に光が戻りました。
ただ、視力をほぼ失ったことで、以前のような高校生活を送ることは困難になり、中退を余儀なくされました。それでも学ぶことを諦めませんでした。
自らの障害に向き合いながら、その後、盲学校で学び直し、短大へ進学。さらに大学院に進み、福祉分野の研究を深める中で『複合差別』というテーマに辿り着きました。
安達朗子さん
「研究を通して、社会に届けるということは、私にできる役割の一つなのかなという風に思って…」
今年3月、大学院を修了し、長い学生生活に一区切りをつけました。今後は、講演活動などに力を入れていきたいと話します。
安達朗子さん
「私はこのとき、絶望の時こそ希望を持ち、諦めなければ、未来は必ずよくなるんだということを確信しました」
逆境に負けず、朗らかに“自分の使命”を全うしようとする、彼女の姿がありました。
森田絹子キャスター)
改めて『複合差別』についてです。例えば、“視覚障害者は何も出来ない”という前提で、家事や育児など“女性の役割”は果たせないという差別が生まれ、そうした差別を背景に、結婚や出産、恋愛の自由なども狭まっていくといった、複合的な差別が生じていくことと考えられています。
研究を指導した札幌の北星学園大学、田中耕一郎教授は、複数の視覚障害者の人生を探求し、差別の実態や、女性たちがどのように生きてきたかを浮き彫りにしたとして、世界的にもあまり類を見ない研究だとしています。
堀啓知キャスター)
安達朗子さんが取り組んだ『複合差別』の研究から、私たちが普段、気が付いていないことへのヒントが、たくさん見えてくるのではないでしょうか。安達さんは今後も、自分の研究やこれまで辿ってきた人生について、講演などを続けていきたいとのことです。