ニュース

Official Account

【北海道空襲】死者を記憶「同級生が1人死んだ。女の子が片足はだしでボロボロに…」95歳執念のパネル、記憶を記録に「この日を忘れないために」新たな伝承

2025年07月29日(火) 20時57分 更新

80年前の7月14日と15日。2日間にわたり、北海道はアメリカ軍の艦載機による空襲に晒されました。当時、道内79の市町村で甚大な被害が発生し、少なくともあわせて2900人が犠牲になりました。中でも被害が大きかった根室市と室蘭市の2つのマチを取材しました。

■北海道空襲 根室の悲劇

北海道根室市の近藤敬幸さん、95歳。80年前に起きた空襲の生き証人です。

私たちに見せてくれた3枚のパネル。近藤さんを含む有志が、戦争の記憶を風化させまいと北海道内外で犠牲者一人一人の名前を調べました。



根室空襲研究会 近藤敬幸さん(95)
「何人死んだと口で数だけ言うよりも、こういう人たちがと(名前を記した)。こんな小さな町であらゆる手段を通じて調べた。病院の診断書や体験を掘り起こし396人までカウントした」

まだ犠牲者の中に身元が分かっていない人もいるといいます。



根室空襲研究会 近藤敬幸さん(95)
「5インチ砲というんだけど、オレンジ色の火を出して目標に突き進んでいく」

根室市は、2日続けて空襲を受け、マチの8割が焼け野原となりました。



根室空襲研究会 近藤敬幸さん(95)
「空襲警報が鳴った、朝5時に。前日の空襲は30分いなくなったからから高をくくっていた。夕方4時過ぎまで(戦闘機が)やって来て延べ100機以上で襲われた」

幸い、近藤さんは家族とともに近くの山へ避難しましたが、戻ってきたとき目にしたのは、変わり果てた故郷の姿でした。

根室空襲研究会 近藤敬幸さん(95)
「同級生1人死んだ。みんな逃げ遅れて、帰ってきたときは女の子が片足はだしでボロボロになって、お母さんの名前を呼びながら探して歩く姿も見た。防空壕が半分潰れて中から助けてくれと叫んでいるおばあさんがいたけれど、兵隊さんがその前を歩いても助けようとしなかった。これが戦争だよね」

■北海道空襲 室蘭の地獄

つらい体験を記憶に封じ込めた人もいます。

加納正和さん、89歳です。



加納正和さん(89)
「昔を振り返るなんていうことはほとんどなかったと思うんですよね。いい思い出でないからそういうことはあまり喋りたくないし、あんまり人に喋るようなことはなかった。」

80年前、兵器や鉄鋼の工場が立ち並んでいた室蘭市。

7月14日、アメリカ軍の戦闘機が室蘭港の船舶や鉄道を攻撃しました。

室蘭市の人々は交通手段を失いました。



そして翌日、アメリカ軍は860発もの艦砲射撃を行い、市街地も壊滅的な被害を受け、2日間で北海道各地で起きた空襲の内、最多の被害者が出ました。

加納正和さん(89)
「避難したときに、艦砲射撃でどんどん砲弾が飛んでた。頭の上真っ赤な砲弾がどんどん飛んでいた。伝えなきゃいけないことは確かだが、なかなか機会がない」

加納さんの記憶を語り継ごうとする人もいます。

室蘭市御崎町の町内会長、今泉勁介さん、80歳。

10年前、室蘭の歴史や苦労した人たちの想いを伝えていきたいと考え、2人の証言を書き記しました。



「電線には人間の足などがぶら下がっていた。」

当時小学2年生だった男の子が目の当たりにした凄惨な光景が綴られています。

御崎町 今泉勁介 町会長(80)
「多大な犠牲者が出たということと自分で体験したことを、歴史的に書き並べてくれていて、御崎町にとって非常に貴重な資料。今これしかないんですよ。」



御崎町 今泉勁介 町会長(80)
「僕らは全く記憶にもないので、空襲があったとき、生後10ヶ月だから。だからそんなもん知りませんよでは駄目だから」

7月13日、御崎町の神社で行われた慰霊祭。

艦砲射撃があったのは、祭りの日でした。

今泉さんが、小さなステージに立ち80年前に起きた惨状を淡々と語りました。



御崎町 今泉勁介 町会長
「『私の家のそばに落ちた爆弾は、岩石を吹き飛ばし私の家の屋根を突き破り家はめちゃくちゃに壊された。』この日を忘れないために。(町内で)65人の方が亡くなったということ。これをこの後もずっと続けながら、みんなで考えていこう」

御崎町民
「実際にここにいた人の日記の話はかなり身近に感じた、実際に想像できる。下の世代に伝わっていけばいいのかなっていうふうには思います」

御崎町 今泉勁介 町会長(80)
「特にお父さんやお母さん方一生懸命頷いて聞いてくれたので、きっと子供にも伝わっていく。期待したい。」

北海道空襲から80年。戦争の記憶は、様々な形で繋がれていきます。

北海道ニュース24