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【アイヌ兵と戦争】偏見と差別の中で戦地へ「過去を振り向かせなきゃ駄目だよ…アイヌのためだけじゃない」極限下に求めた“平等”への思いとは

2025年05月03日(土) 09時00分 更新

  日本政府の同化政策によって和人とともに、太平洋戦争の戦地に送られたアイヌの人たちがいます。戦場でアイヌ兵たちは、どんな思いで過ごし、何を経験したのでしょうか。国の政策に翻弄された、その思いを取材しました。

◇《アイヌの人たちに向けられた偏見と差別…戦地でも》

アイヌの伝統が色濃く残る、北海道日高地方の平取町二風谷―。

濱田清孝さん(65)の父親・寛さんは、アイヌ兵として太平洋戦争を戦いました。いま寛さんは、二風谷の墓地で安らかに眠っています。



濱田清孝さん(65)
「平成14年6月7日に亡くなっていますね」

寛さんは、農家の長男として二風谷で生まれ、牧場で馬の世話をしながら勉強に励みました。ところが、アイヌ民族であることを理由とした差別は、日常茶飯事だったといいます。

濱田清孝さん(65)
「学校で結構いい点数、100点だったかを取ったらしいんですよ。そうすると教官から『アイヌであるお前が100点取れるわけがない』と…。いわれもない差別ですよね。とんでもない差別を受けた」



ある夜、寛さんは、当時まだ小学生だった清孝さんを起こし、突然、自分の体毛を剃るよう告げました。

濱田清孝さん(65)
「女房(母親)にやらせりゃいいのにと思ったんですけれど、小学校5年生の俺にやらせるんですよ。あれは辛かったですね。だから毛が生えている=アイヌっていうのが、すごく嫌だったんだろうなって…小学校5年生なりに思いました」



太平洋戦争が始まった1941年、昭和16年。国家総動員体制のもと、当時20歳だった寛さんも満州へ従軍しました。戦地に赴いた寛さんを待っていたのは、アイヌ民族に対する偏見と差別でした。



濱田清孝さん(65)
「上官が“うちの隊にはアイヌがいるらしい”と…。『アイヌは出てこい!』『お前らは生肉食うのか』と言って…吊るし上げですね。いじめですわ、完全に。(差別はほかにも?)あっただろうなと思いますよ」

◇《戦争という極限下でアイヌ兵の心に宿った思いは…》

 そうした戦地での差別体験の一方で、心の内に芽生えた異なる思いが、寛さんの遺品から読み取ることができます。

息子の清孝さんが、自宅に飾られた寛さんが遺した、あるものを見せてくれました。

濱田清孝さん(65)
「どれだけ自分のことが好きなのか分からないですけれど…(寛さん自身が)作ったんですよ」

生前、寛さんが作った自身の経歴です。部隊での歩みについても、詳細に記されています。そこには、日常での厳しい差別と比べ、極限状態にいる部隊での日々のほうが、むしろ居心地が良く、仲間意識も強くなったと、寛さんは記していました。



馬の世話も得意だった寛さんは、戦地で上官に気に入られるなどもあり、軍隊では、二等兵から軍曹まで昇進しました。

濱田清孝さん(65)
「戦争は、やっちゃいけないことだと重々思います。だれけど部隊に入って、訓練や仲間でやっているうちに、言っちゃいけないかもしれないですけれど“楽しい思い出はできた”ということは言っていました」

◇《戦争に求めた“平等”…そして戦意高揚に利用された民族》

 アイヌの近現代思想史を研究する国立民族学博物館のマーク・ウィンチェスター助教は“戦争に平等”を求めて、奮闘したアイヌ民族も多数いたのではないかと指摘します。

国立民俗学博物館 マーク・ウィンチェスター助教
「北海道の植民地化によって被ってきた不利な部分を、自分たちが徴兵されることによって、やっと平等な日本国民、やっと平等な位置に立てると…」



とはいえ、容姿をからかう見世物扱いや、狩猟のスキルがあることを理由に、銃弾が飛び交う戦場の最前線に送り込まれるような、不条理な配置もあったと話します。

国立民俗学博物館 マーク・ウィンチェスター助教
「平等でありながら『建前上の平等』…と言っていいのか、ちょっとわからないが、別扱いをされるというようなことが、実際にその戦争の場においても起こる」

当時、国は旧土人保護法により、アイヌの和人化を進める政策を打ち出していました。しかし、戦争が始まると、政府の姿勢は一転して、少数民族の活躍と囃し立て、アイヌ兵を英雄扱いするなど、都合よく戦意高揚に使ったと言います。

◇《虐げられた歴史と、その延長上にある戦争を語り継ぐ意味―》

磯貝拓記者
「こんばんは、よろしくお願いします」

北海道の平取町で、遺骨の返還運動などにも取り組む、アイヌ民族の木村二三夫さん(76)です。旭川市の部隊に入隊した父親の一夫(いちお)さんからは、差別についての話は、ほとんど聞いたことがないと話します。



木村二三夫さん(76)
「親父は、運動神経が抜群だったよ。だから銃剣術、あと相撲なんかも、軍の中でも強かったみたい。親父は、あまり俺たちには戦争の話をしなかったけれどもね」

部隊の中では、本当の意味で「平等」だったのか?それとも気丈に振る舞い、息子に多くを語らなかったのか?いま、本当の思いを父親に尋ねることは叶いません。

ただ、虐げられてきたアイヌの歴史と、その延長上に、戦争があったということを伝えることは、大事だと話します。

木村二三夫さん(76)
「エゾオオカミより俺のほうが、声でかいんじゃないかなと思いながら吠えているよ。みんな勉強しよう、若者たちは特にね。政府が責任を持ってね、やっぱり過去を振り向かせなきゃ駄目だよ。日本のためだ。アイヌのためだけじゃない。日本国のためだ、子どもたちのためだ」



かつて日本政府により、同化政策が進められたアイヌ民族。当時、徴兵されたアイヌの人たちが、どれほどいたのか。そして戦地で命を落としたのか、その正確な記録は残っていません。

世永聖奈キャスター)
学校の授業ではなかなか教わる機会のない、教科書には出てこない歴史。どのように学び、伝承していくかというのは非常に難しいところです。
アイヌ民族は、日本政府による同化政策のため、徴兵された人数も、戦死者数も正確な記録は残っていません。また戦争にどう関わったのかなどについても、詳細に記された資料は、極めて少ないということです。

堀啓知キャスター)
私たちの取材に応じてくれた濱田清隆さん、そして木村二三夫さんは「歴史を学び、改めて差別のない社会になればいい」と話しています。特集でした。

北海道ニュース24