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一筆啓上 多士済済
 
 
5月19日放送


5月15日に沖縄復帰40周年を取材しました。東日本大震災の時にあれだけ「痛みを分かち合おう」とか「絆」、「一つになろう」というスローガンがいっぱい掲げられて、復興支援が民間レベルですごく広がりました。ところが、沖縄というのは復帰前も含めてずっと踏み付けにされたままで、沖縄の人たちは基地への思いということについてずっと言い続けてきた。それを放置したまま、東日本大震災についてはすぐに目に見える形で事が進んでいることに対して、片やまったく進んでいないことに非常に強いコントラストみたいなものを沖縄の人たちの中には感じている人もいます。

沖縄とフクシマ、両方とも共通しているのは犠牲を強いるということ。周縁部、田舎、辺境といわれるところに不都合なものを押し付けて、都市の人たちがある種のものを得ていく。犠牲を強いる構図が共通しているという分析はその通りだと思います。

政府が夏の電力需給対策を決めました。電力会社の数値目標は、関西電力大飯原発が再稼動しない前提で計算したもので、再稼動するともっと緩まるということを匂わせた内容。そこがこの節電対策の隠れた思惑。ところが、これが実現できてしまうと逆にやっぱり原発はいらなかったじゃないかということになり、大きなジレンマを抱えたもので、とてもおかしな状況になっています。節電対策で国が一体どっちの立ち位置にいるのか。やっぱり需要と供給で言うと供給側の論理に立っている。需要、つまり国民生活の側から本当に必要なのはこれくらいであってという立場に立ってはいなくて、供給する側の事情ばかりに重きを置いているような節電対策だと思います。

電力は誰のものか。電力会社のものではなく利用する国民のもので、国民がまずどのくらいの身の丈の生活をしていくのがいいのかということ。3月11日以降起きたことというのが、僕らの生き方とかを改めて見直してみないと、あそこで経験したことがまったくなし崩しになってしまう。まったく前のままに戻ることがいいことみたいなことになると、僕らは何の教訓もそこから得なかったことになるんじゃないかと思います。

国会の事故調査委員会は責任の押し付け合いの構図が見えている。そこに関わっていた個人の責任というよりも、システム、体制の問題です。僕ら消費者はエネルギーを浪費してきたということもあるわけですし、事故をコントロールすることができないようなシステムで暴走してしまったことについての僕ら自信の反省もあると思います。

民主党政権の中でのエネルギー政策は基本的な方向性がぶれています。発足直後の鳩山政権では「原子力ルネッサンス」と言って、CO2削減の救世主とまでぶち上げていた。それで菅政権の時に事故が起きて、今度は「脱原発」と、真逆の方にハンドルを切る。野田政権では産業経済界の意向を最大限に尊重するというような形で、今、元に戻そうとしています。国民は基本的なベクトル、エネルギー政策の矢印の向きがまったく逆の方向で右往左往させられていて、まったく他人事ではありません。

・・・・・JNN報道特集 キャスター 金平 茂紀 さん
 
 


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