卓田の「これ聴いてみればいいっしょ」 バックナンバー

2023年2月

2月26日の1曲

「毎朝、ボクの横にいて。」トコブクロ(2004年)

卓田のひとこと

所ジョージさんと言えば、現在6本のテレビ冠番組を含む多数のレギュラー番組を抱える大御所タレントとして68歳になった今も大人気。ところが若い人の中には、元々所さんの本業がシンガーソングライターであることを知らない人も結構いるみたいなんですね。まあ、これと言ったヒット曲や代表作的なものが無いのでそれも無理ないことなんですが、実はシングル35枚、オリジナル・アルバム29枚をこれまでにリリースしています。割とふざけた歌詞のコミック・ソングとか有名曲のパロディ的な曲が多くて、クレイジーキャッツっぽいものから、フォーク調のもの、ロック調のものまでバラエティに富んでいます。この曲は、当時所さんが出演していた缶コーヒー「WANDAモーニングショット」のCM用に作られた曲で、CMでは当時、本格的ブレイク寸前で人気上昇中だったコブクロの2人とビジネスマン風のスーツ姿で共演しています。長年連れ添った夫婦の、ベタベタする感じではない、さりげなくも深い愛情を上手く表現したラブソングです。個人的には「私があなたを愛しているんじゃないかとタマに気づいて驚くでしょう」というフレーズが好きです。

2月19日の1曲

「ヴァージニティー」レベッカ(1984年)

卓田のひとこと

1984年にリリースされたレベッカの2ndシングル。1982年にレベッカを結成した初代リーダーの「シャケ」こと木暮武彦さんが在籍時の最後のシングルであると同時に、木暮さんに代わってリーダーとなり絶頂期のレベッカの作品を作り上げた土橋安騎夫さんが作曲を担当した初のシングルで、個人的にはレベッカの曲の中で1番好きな曲です。私がレベッカを初めて見たのもこの頃で、テレビの深夜番組に出演して何曲か演奏していた中にこの曲がありました。サウンド的には木暮さんの得意とするロックバンドっぽい感じもありながら、土橋さんの作る哀愁漂うメロディ、そしてNOKKOさんの刺激的なボーカル。まさに3人の才能の良いとこ取りで出来上がったような曲で、当時テレビを見ていて「カッコいいな~」って思ったのを憶えています。その後、あくまでロックにこだわる木暮さんとポップ路線に舵を切りたい制作サイドとの間で反りが合わなくなり本人曰く「事実上のクビ」という形で木暮さんら2人が脱退。一気にレベッカはポップス路線へと突き進んで 大成功を収めることになります。ですから、この曲は初期のレベッカが好きというファンと、ブレイク後にレベッカのファンになった人、両方に支持されている貴重なナンバーです。

2月12日の1曲

「シュガーはお年頃」スターダスト☆レビュー(1981年)

卓田のひとこと

私は大学時代、コンサートの警備のアルバイトをやっていたことがあり、1987年4月に東京厚生年金会館でのスタレビのライブで警備をやったこともありました。こういうアルバイトというのは、大体、先々のライブのスケジュールを見て上の人から「コレかコレ、どっちか入れない?」みたいに言われ「じゃあ、ココ入ります。」みたいな感じで決まるのですが、その時はスタレビと、もう一つハードロックのバンドと候補があって、上の人から「スタレビはマナーの良いファンが多いから楽だぞ。」と言われてスタレビにしたところ、実際、マナーの良いお客さんばかりで、何もすることがありませんでした。今日、ピックアップしたデビュー曲の「シュガーはお年頃」は、正直当時初めて聴いた時はデビューシングルにしてはちょっと変化球的な曲という印象、ジャジーなピアノに乗せたブギウギ・ナンバーです。3rdシングルまでこんな感じが続いて全く売れず、4枚目の「トワイライト・アベニュー」でようやくJ-POPっぽい路線に変わり、「コレが売れなかったら終わっていた」という5枚目のシングル「夢伝説」がヒットしてバンドは息を吹き返す訳ですが、実は売れなかった「ブギウギ期」こそスタレビの原点とも言える、ライブで楽しく盛り上がれる曲揃い。今でも、初期のブギウギ・ナンバーをライブで演奏すると盛り上がってファンに愛され続けています。

2月5日の1曲

「君は僕の勇気」東野純直(1993年)

卓田のひとこと

鹿児島出身の東野さんは、1993年4月1日に「君とピアノと」という曲でデビュー。(今年デビュー30周年!)当時私も東野さんにインタビューをしたことがあったんですが、とにかく声の透明感が素晴らしくて、爽やかで抜けるようなボーカルが印象的でした。そしてその年の7月にリリースしたのが今回紹介した2ndシングルの「君は僕の勇気」。オリコン18位まで上昇、35万枚を売り上げるスマッシュ・ヒットとなり次世代を担う期待のアーティストとして注目されました。しかしその後はヒットに恵まれず、所属事務所との契約も終了。インディーズでライブを行ったりしましたが、観客動員も減少…。そこで36歳の頃に一念発起、一旦音楽活動をやめて以前から行き付けだった人気ラーメン店で修行を始め、44歳で独立。2016年に東京・昭島市で「支那ソバ玉龍」というラーメン店をオープンし、数年で年商1500万を売り上げるまでの繁盛店になりました。そして、休んでいた音楽活動も再開。ラーメン店の店主とシンガーソングライターの二刀流生活をスタート。「お金のために音楽をやる」のではなく「音楽を続けるためにラーメン店をやる」ことで、お金に縛られることなく音楽活動ができるようになったと言います。ラーメンを作っている最中にふとメロディが浮かんでボイスメモに録りためるなど、最近ではラーメンと音楽の相乗効果も生まれてきているそうです。

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