11月19日放送

 何やかややらなければならないことがエンドレスの日々の中、いつも気づくと呟いている言葉がある。噛み締めるように、言い聞かせるように、「ひとつひとつや」と。なぜに関西弁ニュアンスなのか自分でもわからない。スケジュールが立て込み、「大丈夫か?自分」とやや焦り気味の時、ひとつひとつは必ず終わる、丁寧に誠実に向き合えばちゃんといい結果で終わる・・・そんな定石を思い出して前向きになるためのおまじないの言霊だ。
 お陰さまでやるべきことは尽きること無く365日が目まぐるしく過ぎていく。「ほっかいどう元気びと」では、毎週いろいろな分野の方々にインタビューをさせていただき、この後記を数日かけて書く。各地の約15の講座や指導も有り難いことに役割を担わさせていただいて十数年。ナレーションや朗読会などは仕事と言うよりライフワーク。構成も手がける「朗読・宮沢賢治の世界」は道内の町や村に“出前”に行く。合間を縫って次の準備。資料の読書。
 この年齢になると、もはや、すべての取り組みがエキサイティングな“ライフワーク”だ。すべての取り組みが愛おしく、関わるすべての人が愛おしい。愛おしいからもっと喜んで貰えないかと考える。用意する。気づくと準備がどんどん増えていく。
 そんな時に“おまじない”を唱える。「ひとつひとつ、ひとつひとつや」。才能や才覚は問題ではなく、ひとつひとつに心を込めれば必ずものごとはいい方に転び、いい出会いに恵まれ、身体も自ずと付いていくよ、と。

下野謹也さん そんなことを、少しヨレヨレ気味の我が身に言い聞かせていた時に出会わせていただいたのが、今回の「ほっかいどう元気びと」、札幌の下野謹也さん 86歳。現在、「北海道フェンシング協会」の理事長をされているが、お話を聞いて驚くことに、ほぼ毎日、高校に出向いて指導にあたり、他にも車いすフェンシングや一般の人達の合同練習会、カルチャー教室にも足を運ばれているとのこと。勿論、協会の責任者として事務仕事や運営などの仕事もあれば、フェンシング以外のスポーツイベントをサポートする裏方のボランティアなども続けてこられている。365日が誰かのための堂々たる86歳の日々だ。
 こういう方こそ、「ひとつひとつ」を丁寧にこなされてきたのだのだろう。しかも、長年に渡って。見えないその遥かなる年月を想像しながら、取り組みひとつひとつへ込める思いを伺わせていただいた。

 子供の頃に戦争も体験した下野さん、終戦後はちょうど青春真っ盛りの年頃。スポーツ少年だったこともあり北海高校にサッカー部を立ち上げたという。
 北海道庁に勤めながらサッカーを続け、フェンシングは冬場のトレーニングのために取り入れたのだそうだ。始めてみると、団体競技のサッカーよりも自分自身のすべてで結果の決まる個人競技のフェンシングにどんどんのめり込み、選手として東京オリンピックの予選に進むまでになったとのこと。
 その最中にアキレス腱を切るケガをして、選手から指導者へ。それからここに至るまで、指導者としての役割と、協会の運営を通して北海道にフェンシングというスポーツの素晴らしさを広めるべく活動を続けてこられたのだそうだ。
 お話は、東京オリンピックのフェンシング選手だった奥様とともに手弁当で続ける札幌大谷高校での指導の日々や、ケガや病気などでスポーツをあきらめた人でも取り組める車いすフェンシングへの取り組み、高齢になっても身体作りのために気軽に体験して貰うための取り組み(下野さん発案の「折り畳み椅子フェンシング」を提唱しているとのこと)など、スポーツであらゆる年齢の人達を幸せにしたいという思いを明快な口調で語ってくださった。

下野謹也さん “その人が、日々どういう思いを抱き、どういう言葉を使うかで、人生はいいものにも悪いものにもなる”といったような内容の言葉を何かで読んだことがあるが、下野さんとお話ししていて、まさに、思いと言葉、そして行動、“そのひとつひとつ”が“今”を決めているのだと伝わってくる。聞けば、大きな病気や手術も経験されているのだという。
 「そうなったらなったで悩んでもしょうがない。自分とフェンシングは切り離せないという考え方を持っていたので、その時その時で出来ることをすればいいと切り替えられたのかなと思います」
 柔らかい笑顔で“動じない”生き方ヒントを溢れさせる。ケガや病気があったからこそ、そういう人達のためのスポーツはどういう方法があるかと考えるきっかけにもなりましたから、と。
 ものごとは、そもそもはプラスでもマイナスでもなく“ゼロ”であり、どちらに振り子を振らせるかは自分の心次第・・・そう私自身年齢を重ねる中で気づいてきたが、そういう人生観が心身も考え方も若くするのだと下野さんの姿に改めて確信出来た思いだった。
 そして、収録後に、やはりとてもポジティブな口調で、周りのみんなが企画や運営などの活動を手伝ってくれるようになり機運が盛り上がってきたので、東京オリンピックまでには協会のお役を後進にバトンタッチする予定なのだと語り、さらにその後は身体の続く限り指導を続けていくでしょうと、背筋をピンと伸ばして答えられた。

 東京オリンピックがやってくる頃は、下野さんは90歳を目前にされている。その遥かなる地平の到達に比べると、2020年、私などはまだまだ還暦を過ぎて漸く歩き方を覚えた“ひよっこ”だ。
 ひとつひとつにより丁寧に、誠実に向き合い、誰かのための365日をより充実して過ごせるように、前を向いて歩き続ける先達の背中を追いかけよう。
 “やらなければならないひとつひとつ”、その取り組むすべてはやはり簡単ではないが、終わっていくそのひとつひとつの尊さや愛おしさにも益々気づいていくのだろう。
 それはなんと魅力的な年の重ね方か。・・・そんなことも感じさせていただいた今回のインタビューだった。 

(インタビュー後記 村井裕子)

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